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私は修煉の中でどのように魔難に対処したか(一)


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)私は1999年6月に修煉を始めました。修煉の過程を振り返ってみますと、難儀がやって来たときは、試されていると分かっていても、やはり苦痛を感じていました。それは千百年来、形成された執着心とよくない物質を消去するために、心が切り裂かれるほどの辛さの中で、戦いながら乗り越えなければなりませんでした。ただ一つ安心できることは、邪悪に迫害されたときも、魔難に会った時も、師父は慈悲を持って私を見守ってくださり、悟らせてくださいました。師父と、大法に対して確固たる信念をもって、今日まで修煉の道を歩んで来ることができたのです。それでは、私の修煉過程について同修と交流したいと思います。

  自分の難儀について

  2001年春のある日、私は子供を抱いて、夫が運転するバイクに乗って実家に戻るとき、子供が寝てしまったため、速度を落として道の端を走っていましたが、突然、後方から来た車にはねられました。夫は何が起きたのか理解できない様子で、気が付いたとき私は子供を抱いて地面に座っていました。でも怖いとは感じず、心は落ち着いていました。心の中で「私にはこのような難がまだ残っていたのですね」と師父に話しかけました。

  ヘルメットも飛ばされ放心状態になっていた夫に、「車にはねられたのよ・・大丈夫だから心配しなくてもいいのよ・・」と話かけました。夫は前額辺りにかすり傷を負い、私の頭は車体にぶつけられ、左足のすねが切れてズボンが焼け焦げていました。夫と子供は歩けたのですが、私は足のすねが切れているため、歩くことができなかったのです。通りかかった人がこの悲惨な状況を見てタクシーを呼んでくれました。

  家に戻った私は、もう一度足のすねを確認してみると、パンパンに腫れ上がっており、皮膚は紫色に変色し、傷を負ったところに卵ほどのこぶができていて、そのこぶの中には赤黄色の水が溜まり薄い皮膚に包まれていました。動くときは両手で足を持たなければならなかったのです。間違いなく足のすねが切れていました。腫れ上がった足をズボンに通すことができないため、毎日ベッドの上で学法していました。ある日の夜、私は夢を見ました。私はベッドの上に座り、中学時代の先生は、負傷した私の足を見て、「足が折れたかどうかを病院に行って診察してもらいましょう」と言われるのです。私は「大丈夫だから、病院へは行かなくてもいいです」と言いました。目が醒めた私は試されていると直ぐに悟りました。その日から私の足は何かで固定されているかのように感じました。これは私がテストに合格した後、師父が他の空間で切れた私の足のすねを繋いでくださっているのだと悟りました。

  40日が経過した頃から、ベッドに身体を寄せて煉功し始めました。それからは、日に日に良くなって行きました。最初は松葉杖を2本使って歩き始め、数日後からは1本に減らし、またさらに数日後からは、杖だけでも歩けるようになったのです。しかし、負傷したところは完全に身体を支えられるまでには回復していなかったのですが、ベッドにもたれかかるのを止め、杖も使わず、痛みをこらえて五式の動作のすべてを煉功し続けたのです。すると半年と経たないうちに、私の足は以前の健康状態にまで快復したのです。これと同じ時期に、ある同修は、私がしばらく休学していたが、今は学校に通い始めたという夢を見たのだと教えてくれました。この出来事を見た夫は「ぶつけられたのは相手の責任だとも言わず、しかも、車は逃げ去ったのですが、しかし、私達は一文も使っていませんね」と言ったのです。

  私は個人の修煉と正法は同時に行っていると考えています。なぜならば、私が法を得るのが遅かったからです。 

  正念が親族の情に取って代わる

  2003年秋の終わりを迎えたころ、ある日の朝9時半ごろ、息子が通っている中学校から電話がかかり「息子が他の子と大喧嘩したので、早く学校に来るように」と呼び出しがありました。そこで、自分の心の内に向けて「私は修煉者だから、どんなことが起きようとも、慈悲心を持って対処しなければならない」と、言い聞かせました。そして、夫に心配をかけてはならないとも思いました。

  学校に到着すると、事務室に呼ばれました。先生は「息子さんが、朝、学校に着くといきなり(怪我を負わせた側の親を指差しながら)そちらの子供さんがナイフで刺したのです」と言いました。それを聞いた私は、子供の状態が分からなかったので、ドキッとしてしまいました。突発的に発生したとしても、それは偶然なことではなく、もしかすると、前世に借りがあったから今返したのかもしれません。師父がいてくださるからこそ、たいしたことにはならないのでしょう。そのように考えると心が落ち着いてきました。怪我を負わせた側の親に対して「怖がらなくてもいいですよ・・けちをつけたり、強請ったりするような事はいたしません。私は法輪功修煉者ですから。私達の先生は、常に『真・善・忍』に従って、自分を律しなければならと教えてくださっているからです」と私は言いました。この話を聞いて、怪我を負わせた側の親は、ホッとしたような表情になり「息子さんを病院へ連れて行きましょう!! 全ての費用は私が払いますから」と言ってくれました。

  別の部屋で待機していた息子は、先生に連れられて部屋に入ってきました。恐怖を感じている息子の様子を見た私は、落ち着いて「怖がらなくてもいいよ・・先生が見守ってくださっているから、大丈夫ですよ!!」と声をかけました。すると息子はうなずきました。下腹部のガーゼで押さえつけている傷口を見ると、締めている腰ベルトのあたりに、ナイフで刺された大きな傷口がありました。傷口は大きく開いており、肉が見えていましたが、しかし、出血した跡がなかったのです。私は心の中で「師父、本当に危ないところを見守ってくださり有難うございました」と感謝しました。そして、息子に対して「忍が出来ていないよ」と注意しました。振り返って息子を刺したA君に、「おばちゃんは、君を殴ったり、罵しったりするようなことをしないからね。おばちゃんは法輪功(気功)を修煉しており『どんなトラブルに遭遇しても忍ばなければならず、そして、相手を許さなければならない』と、私達の先生は言われています。もし、今日の相手が他の人だったら果たしてこのように対処してくれたでしょうか? いずれにせよ喧嘩は1人の責任ではないので、例え相手が全部悪いにしても、人をナイフで刺すことは良くないから、今後は、親にあまり心配をかけるよう事をしないでね。テレビの法輪功に対する誹謗中傷はすべて虚言であり、信じたら駄目だよ。今日、おばちゃんの行動を見て分かったでしょう。だから、法輪功が素晴らしいと覚えておいてね。時間があったら遊びにきてね、息子の親友として接してあげるから」と声をかけました。

  私の話を聞いた彼は、泣きじゃくりながら「おばちゃん有難うございました。必ず覚えておきます」と言ってくれたのです。その場にいた先生達も感激の涙を流しながら、お互いに顔を見渡してうなずいていました。大法弟子の子供なので師父が必ず見守ってくださいます。ですから、息子は絶対に大丈夫だと確信していました。

  家に戻って息子に対して「A君のことを憎んではならないよ」と声をかけました。「もしかすると、前世であなたがA君をもっと酷く刺していたかもしれないよ!! 今生ではあなたの債務が多く、それを師父が取り除いてくださったから、あれぐらいで済んだのよ。だから、相手から何らかの賠償をもらうことを考えてはなりませんよ。でなければ債務の返済が出来なかっただけでなく、また、新しい借りを作るかもしれません」と説明してあげました。 

  午後になってA君の親が、車で息子を病院まで連れて行き、医者から数針を縫ってもらいました。医者は「刺したところがわずかでもずれていれば腸に達していたかもしれない」と言いました。医者が処方した炎症を抑える薬をもらって、家に帰ってきました。相手の親は服の弁償金としてどうしても200元を置いて帰ろうとしましたが、私は再三断りました。私の真意が伝わり「あなた達は本当にこの世で稀な良い人達です」と言い残して帰っていきました。息子は少し残念そうに言いました。「母さん、今のお金をなぜもらわなかったの? もらえれば僕はジーパンを買えたのに」その話を聞いた私は、「お金をもらわなかったからこそ、貸し借りが帳消しになったのよ。ジーパンは、母さんが買ってあげますよ」と言うと、息子は嬉しそうな顔をしていました。

 (続く)

 2009年4月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/6/198485.html