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海外に住む法輪功修煉者が受けた、中共からの「面倒」とは(写真)

(明慧日本)母が亡くなったことを、陳華さんは2週間後になって初めて知らされた。陳さんの父は、自分が亡くなる直前に陳さんに国際電話をかけ、繰り返し「絶対帰国しないで」と告げていた。この永遠の遺憾を語るとき、陳華さんの声は平静さを失っていた。

ドイツ在住の法輪功修煉者・陳華さん

 このことの発端は2001年、陳華さんの父が恐怖心を抱いていたある出来事。その年の冬休み、陳華さんは中国に帰省した。両親には、李洪志師父の「九日間説法」のDVDをあげた。当時、中国国内で多くの人々は、中国政府がコントロールする官製メディアによる法輪功に関する虚偽の宣伝ばかりを聞き、見ていたので、事実を知らないまま、大勢の国民が法輪功に憎しみを抱いていた。そのような状況の中で、陳華さんは親戚や友人に会う機会を利用して、法輪功は無実であるという真相を懸命に伝え続けていた。一ヵ月後、地元の県公安局の幹部は陳華さんの実家を訪れ、父に、陳華さんが帰国中に訪れた先々、誰と会ったのか、誰と接触したのか、などを言うように迫った。しかも、このお年寄りを脅迫し、「息子に伝えておけ、今後帰国するとき、必ずまず公安出張所に登録しろ」と警告した。今回の脅迫を受け、二人のお年寄りは亡くなるまで、二度と息子と会うことができなかった。

 陳華さんは長男であり、両親から受けた恩恵はとても大きい。彼は自分の気持ちを語ってくれた。

 「父は『文化大革命』を経験した人であり、中国共産党の本質とその素顔をよく知っています。母は2002年に亡くなりました。当時、父は私に、母と最後に一目会わせたかったのです。子どもが親の面倒をみて、最期を見届けるのは普通のことでしょう。でも父は、私に母の危篤を知らせることを恐れていました。それは、公安局の人が言い残したあの言葉を思い出したからです。私に命の危険を犯してまで帰国させたくなかったです。父は当時、生涯の伴侶を失った苦痛に耐えながらも、国際電話では私に母の事を隠し続けました。私に知られたら、帰国してしまうのではないかと恐れていたからです。父は、このような苦しみと葛藤に耐え続け、母が亡くなって2週間後に、初めて知らせたのです。その父も2008年に亡くなりました。当時、父は自分が残りの生活は長くないと分かっていましたが、再三に私に、絶対に帰国しないでと繰り返し話していた。誰もが両親から生まれ、育てられたのではないでしょうか。これらのすべての苦痛は、中共が無辜の法輪功を残酷に弾圧したことが招いたのです」

 国内の親が病気で倒れ、あるいは、兄弟が結婚するなどで帰国したくても、海外の法輪功修煉者は、入国ビザの発給を拒否され、迫害されることを避けるために帰国できない事例は、数え切れないほどある。1999年、中共による法輪功への不当な弾圧が始まってから、海外在住の法輪功修煉者の多くがこのような無念な体験をしている。陳華さんはかつて次のように言われたことがあった。「あなたは修煉をやめれば、問題がないのではないでしょうか」陳華さんは、「私はこのような事を絶対に受け入れません。一人のならず者が暴力を振るとき、第三者が被害者に対し、『あなたは彼から遠く離れれば、彼はあなたを殴らなくなる』と言ったとします。これとまさに同じことなのです。しかし、考えてみてください。悪いのは、そのならず者であり、無実の人を弾圧しようとしている人であり、殴られた人でもなければ、迫害されている人でもないのです。私たちは迫害されている側です。法輪功を修煉しなければ、あなたを迫害しなくなる、という言い方、この考えは間違っています。中国共産党のならず者の本性を変えなければ、いつかはあなたも迫害の対象になるかもしれないです。いかなる人も相手と意見が一致しないとき、あるいは、相手があなたに因縁をつけたときに、法輪功であろうと、どんな気功であろうと、相手は必ずあなたを迫害します。だから、私はこの考えは間違っていると認識しています。しかも、誰にも信仰の自由と権利はあるのですから」

 陳華さんはドイツのマクデブルク地区の法輪功の連絡人。法輪功は活動内容や連絡先などを全部公開しているので、中共の工作員は海外の各煉功場の連絡人の生活、大学・研究機関などの状況を把握し、そして肝心なときにこれらの情報を『活用』するのだ。陳華さんもこれについて思い知らされた。

 「2005年春、私の新疆出身の友人が中国に帰省しました。当時、私は彼に、家族に渡す物品を託しました。上海に到着後、彼はこれらの品物を私の実家に郵送しました。後に、彼は国家安全局の人に目をつけられました。一ヶ月の間に、彼の行く先々に秘密警察が彼を待ち伏せていました。例えば、新疆に着いたら、新疆の秘密警察が彼の前に現れ、大連に行ったら、大連の秘密警察が彼を待ち伏せていました。彼の姉は大連に住んでいます。上海に着いたら、また、上海の秘密警察が彼を見張っていました。彼の同級生が上海に住んでいます。秘密警察は絶えず彼と話をしようとし、用いる手段は非常に陰気で狡猾なものでした。例えば、ある日、彼が自分の姉のところを訪れたとき、大連市の秘密警察は彼に電話をし、市内のあるホテルで会うと約束しました。彼はホテルに行くと、ホテルの部屋番号は、私の自宅の部屋番号とまったく同じでした。彼はそのとき、そのことにびっくりしました。私の自宅は高層マンションの717号室、面会のホテルの部屋も717室でした。後に、彼は理解できました。すなわち、私がドイツにいる一挙一動、一言一行を、中国の秘密警察が全部把握している、と暗示するためで、観念しておとなしく当局の情報収集のスパイになるよう、脅かすためです。秘密警察はこの友人に対し、ドイツに戻ったら私のすべての行動を彼らに報告するよう強要し、陳華はドイツにいる安徽省出身の監視対象重要人物である、と警察は告げました。友人はドイツに戻ってから、これらのすべてのことを私に話しました。しかも、彼によると、私の身辺、在学の大学では、少なくとも2人の安徽省出身の留学生が随時、安徽省の秘密警察に私の情報を報告し続けているというのです。これらの事実から、一部の留学生は、中共が海外で法輪功を迫害する手段として利用されているのです」

 この友人は当時の状況を思い出し、正直で率直な彼は思わず大声で、ドイツで彼の身に起きたある出来事について話した。

 「2004年のとき、私と妻はあるマンションに住み、一つの鍵を共有し、鍵をポストに置いていました。6月末、ポストにあるはずの鍵が消えました。だれかに持って行かれたと思い、鍵を取り替えました。しかし、1ヶ月後の7月末、鍵が再びポストに戻っていました。が、寝室の鍵だけが外されていました。これはどういう意味でしょうか。すなわち、私たちへのメッセージであり、監視下に置かれていると警告するためでしょう」

 このような出来事はたくさんあったという。後に、陳華さんはこのような中共の低レベルの「ゲーム」をまったく気にかけなくなった。

 中共のこれらの手段は、陳華さんの就職活動にも大きな影響をもたらしました。陳華さんは以下のように明かしました。

 「2005年、私がドイツの大学を卒業した当時、複数の大手企業に採用されました。例えば、Bosch GmbH社、Mahle GmbH社、Schaeffler KG社など、しかしこれらの会社では新入社員の契約として、当社の中国国内に駐在員として派遣する前提でした。例えば、Mahle社は上海で研究開発センターを設立するため、ドイツで留学した中国人学生を採用しようとしていたのです。Bosch社は、技術主管の助手を雇おうとしていました。待遇はみな良いのです。しかし、中国国内の環境は非常に厳しく、私は仕事のために、お金のために自分の信仰を放棄することは絶対できません。信仰はいかなるものにも取り替えられません。信仰は私にとって、呼吸と食事同様に、生活の一部です。いかなるものとも交換できません。これらの大手企業は、信仰を放棄することをしない私の身の安全を確保きないために、私はこれらの企業への就職を諦めざるを得ませんでした」

 いま、陳華さんはある中堅のドイツ企業で機械設計のエンジニアとして働き、同じ志と信念を持つ奥さんも、ドイツ企業に就職している。二人は元気な息子を連れて、中共の迫害を抗議するパレードの隊列によく姿を見せている。いかなる迫害の手法と形式も、彼らの歩む道を変える事はできないのである。

 2009年4月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/16/198848.html