日本明慧
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法を得て、法を学び、法を正す修煉の中で歩む(二)


文/黒竜江省の大法弟子 暁語

(明慧日本)2000年、同修たちは真相資料を自分で作って配布するようにしました。その時の資料はなかなか手に入らず、私の手元に何枚か残っていますが、それが私の初めて配布した真相資料です。私は出かけて長い時間歩き回ったのですが、結局1枚も渡すことができませんでした。同修からどうしたのかと聞かれましたが、私は至る所全てが汚くて、それらの人の感じが良くないことを見て、資料をもらう資格がないと判断したのだと言いました。すると同修は目を見張って、私に「あなたにはどうして僅かな慈悲心もないのですか?あなたの真相資料は人を救い済度するためのもので、師に遵って世の中に迷った人を救い済度するのだから、師父は汚いことを嫌がらないのに、どうしてあなたは嫌がるのですか?」と言いました。彼女の話は直ちに私を目覚めさせ、私は恥ずかしく思いました。私は常人の観念で真相資料の配布を取り扱っており、人を救い済度することに気づいていませんでした。同修と比べれば、私の悟性は全く欠けていたので、彼女は私に資料配布の要領を教えると言いました。そして、私に行く勇気があるかと聞いたので、私は大声で行きますと言いました。

 2001年、同修が電話で発正念のことを教えていました。しかし、どうやって正念を発するのかをはっきりと教えていませんでした。夜になって、私は息子を連れて卓球をしに行きました。休みの時間になるとチームの監督が地上で座禅し始めて、立掌しているのを見ました。好奇心で彼に「これは何の功法ですか?」と尋ねました。彼はしばらく躊躇して、そして私に「これは佛家の功法です」と言いました。私は、私も煉功していると言いました。彼が何の功法かと聞いたので、法輪功だと答えたら、彼も法輪功を修煉していると言いました。私は、これは慈悲なる師父が私に発正念のことを学ばせて、法を正す道程に間に合うようここまで導いて下さったのだとすぐ分かりました。

 小さな資料センター

 2004年、私は小さな家庭資料センターを設立しました。

 資料センターと言えば、私は身の回りの何人かのお姉さんのことから話します。これらのお姉さんはほとんど私より10数才も年上で、法を得たのも比較的早く、とても邁進しています。恐ろしい迫害が始まった早い時期に、彼らは黙々と現地の協調の仕事を引き受けて、私たちの使っている経文、明慧週刊、真相資料等の全てを彼女たちがその他の地区から持って来ていました。周辺部も彼女たちのところに資料を頼っているそうです。

 明慧ネットでは資料センターが至る所で素晴らしい発展を見せるよう提案していることを知り、私は彼女たちに、私も資料を作ることができると話しました。お姉さんたちは話を聞くととても喜び、積極的に私に準備するよう手伝ってくれました。そして私に機械を買わせるための3千元を出して、私の負担を軽減してくれると言いました。

 夫は修煉していませんが、大法を支持しています。彼は私に付き添ってパソコンを買いに出かけ、私にどんなランクのものがいいかと聞きました。私は思いもせず「上級機種を買いましょう。予算が足りなかったら、私たちが出します」と言いました。夫は「よし」と頷きました。私たちが設備を買って来て、喜んで彼女たちに知らせると、彼女たちは嫌々ながら無理してほほ笑んだのを明らかに感じ取りました。しかし、どこが間違っているのかさっぱり分かりませんでした。その時、Aさんは笑顔で「大丈夫です。超えた金額は年末までに捻出することができるから、その時あなたに渡しますと言いました。Bさんはパソコンは中古で十分だと言いました。私はやっと彼らの「無理して笑った」原因が分かりました。そして、私は彼女たちに自分で完全に資料拠点の全ての費用を支出することができるから、その3千元がなくても私は良いパソコンを購入すると話しました。Cさんは私が不機嫌であることを見抜いて、私にBさんが前払いでもらった退職金の10万元を全て資金不足の資料センターに使い込んでしまっていることをこっそりと教えてくれました。それを聞いて私は悲しくなり、私は彼女たちの気持ちをよく理解できました。事実、彼女たちの退職金は多くなく、生活が豊かでない中で切り詰めているのに、私は少しも彼女たちの気持ちを考慮していませんでした。資料センターの運営が始まらないうちに、私はすでに人心を起こして、自分が何のために行っているかをすっかり忘れてしまったのです。旧勢力がそうした中で隙に乗じることは容易くなります。幸いながら、Cさんは善意で婉曲に私に教えてくれて、私の心性を直ちに正しい道に立ち返らせてくれました。

 私はこの事を夫に話しました。夫は、彼女たちは大変だから、私たちは余裕があって全てを担っても問題ないので、私にその3千元を返すように言いました。このようにして、私たちは資料センターを設立する中で心性を高めて、以来、全体の協力がとてもスムーズになりました。

 私は仕事が忙しくて、資料を作る時間を毎日の夜と週末に限定されているため、出来上がった資料の品質は彼女たちの理想にはほど遠く、私はいつも焦っていました。彼女たちは私に、資料を作ると同時に法を学ばなければならず、どんなに忙しくても必ず法を学ばなければならないと注意を促しました。私の忙しさを見て、私の負担を軽減するために彼女たちもパソコンをマスターするようになりました。彼女たちはもうすぐ60才になる人ばかりでありながら、かなり短時間でインターネットの利用の仕方や、ネットからダウンロードして資料を作るやり方をマスターしました。次第に私たちは、大法の仕事の中で分業するようになりました。ある人は『九評共産党』をプリントしたり、ある人はディスクを焼き付けたりして、また小冊子とチラシをプリントする人もいれば、紙幣に真相をプリントする人もいる等々、私たちの資料作りはよりタイムリーでより全面的になりました。同修同士が互いにスムーズに協力し合って、学ぶことと修めることの両面において良い環境を形成するようになりました。

 十数年の苦難に満ちた修煉の道のりを歩んで来た中で、こうした過程に幾多の師父の苦心が含まれていることでしょう。したがって、私たちは動揺せずに、、心にこだわりを持たず、正々堂々と歩み続けています。そして、師父の期待に背かず、私たちの先史の大願を達成するのです。

 適切でないところをご指摘願います。合掌。

 (完)

 2009年4月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/12/193371.html