日本明慧
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私は修煉の中でどのように魔難に対処したか(二)


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)

  家庭での魔難について

  2005年の夏、舅が病気で突然倒れ、生活が自立できなくなり、介護が必要になりました。夫の5人の兄弟はそれぞれ父親の介護を断り、最後は無理矢理私に押し付けたのです。常識で言えば、夫は兄弟の真ん中におり、上から順番だと言っても私のところに回ってくるはずはないと考えていました。ですから、私はお断りすることが出来たのですが、しかし、どの兄弟も断ってもいいのですが、大法弟子の私は同じようにしてはならないと思いました。師父が何時も言われたではありませんか「忍をすること、他人を許すこと、他人と争わないこと、些細なことを気にしないこと」などを思い浮かべながら、以前の舅は確かに自分の子供を偏愛し、私達を冷遇していたのですが、しかし、わが一族の長老ではありませんか?どんなことにも偶然はなく、修煉は自然に任せるといっているではありませんか?どの兄弟も面倒を見ないのであれば、私の家に迎え入れましょう!

  私は日当たりのいい部屋を準備し、新しいベッドを購入してから、舅を迎え入れたのです。舅の病気は「老人性痴呆症」なので、体には病毒がなく、ただ、呆けていただけです。来た頃は食べ物をあまり食べなかったため、色んな料理を工夫して作って食べてもらいました。1カ月が経った頃、よく食べるようになり、よく排泄するようになったのです。排泄したものを壁、ベッド、布団、服、菓子入れ籠などに塗っていました。各部屋に行っては尿をし、尿瓶にためた尿をもあちこちに撒きました。毎日私を罵ったりもしました。外へ散歩にでも連れて行こうとするのですが、嫌がるみたいで時間があればモップを持って床磨きをしていました。物を壊したり、破ったりもしました。私はできるだけ一緒にいるようにしていましたが、ちょっと目を放すと同じことをしだすのです。何だか故意にやっているのではないかとさえ思ったことがありました。4人の兄弟が来ては文句ばかり言って帰るのです。「ハァ」この苦しみを師父と私の家族以外は知る由もないでしょう。修煉は本当に辛く難しいのです。

  毎朝急いで家事を済ませ、舅の部屋に行くのですが、正念を発すれば私の手を掴み下に降ろそうとし、学法を始めると尿をして、泣きたい気持ちで一杯です。昼と夜を問わず寝たと思うと起き、起きたと思うとまた寝てしまうことを繰り返して、夜中に私の部屋のドアをドンドンと敲くのです。そして、私が三つのことを出来ない状態になるまで騒ぐのです。そこで、心の中で師父に語りかけました「今は個人の修煉時期であれば、どんなに汚くても毎日舅の面倒を見るのです。しかし、今は正法の時期ですので、人々を救い済度することがどれだけ大事なのか。例え舅に借りがあったとしても、この時期に返さなくてもいいのに。それに舅にとっても決していいことではなく、返済してもらうのに、どれだけの時間を無駄にしているのでしょうか?救われるべき人達が救われないではありませんか?どうか他の方法で返すようにしてくださいませんか?」と師父にお願い致しました。

  数日後、邪悪に追われている夢を見ました。私はある人の家に隠れました。ある声が聞こえ「夫の名前と借りたアパートの住所を言いなさい。そこで返済しましょう。」と言うのです。目が覚めた私は、師父の按排であることを悟りました。夫が商売で借りたアパートに部屋が一つ空いていました。後日、舅にそちらの方に移ってもらい、介護する人を雇いました。このようにして、舅との7カ月にわたる魔難の生活に終止符を打つことが出来ました。そして、私は前の修煉環境に戻ることが出来ました。

  私は心の底から師父のご加護に感謝しています。でなければ、舅への借りが何時までに返せるか分かりませんでした。そして、夫の協力に対しても感謝しています。夫はこのような法理を知りませんから。

 ここまで書いた時、涙が止まらず、ただ同修に「どんなことに遭遇しても、それは偶然ではない」ことを伝えたい気持ちになりました。師父に言われた「偶然は存在しない、必然は目的がある」との法理を教えてくださったではありませんか?ですから、全ての事は師父が決められるのです。 

 衆生を救い済度することについて

  師父の法理にあるように「一人の人間は大法が良くないという考えをもっていては、この人は淘汰の対象になります」ですから、その人達を救い済度するため、私は大法がよいものであることを、親戚、友人、学生時代の先生達とお逢いして真相を伝えてきました。それぞれがもっていた大法に対する疑問を丁寧に説明しました。多くの人は真相を理解してくれました。そして、共産党組織からの脱党もしました。しかし、中にはどうしても真相を理解しようとしない人もいました。私が精神病ではないかとその場で罵る人もいて、後になってその人達と出逢った時、今後は私と二度と付き合わないと言う人もいれば、知らない人のような振りをする人もいました。逃げ回る人もいれば、こちらから挨拶した時に返事だけして走り去る人もいました。もちろん、真相を理解してくれた人達からの感謝の言葉が多かったのですが。

  中には気功を習い始めたい人もいれば、大法の著書を読みたい人もいました。いずれにせよ、賛成があれば反対もある訳ですので、全員が救われるのも現実的ではありません。ただ、自分が心をこめて悔いのないように行ったかどうかが肝心だと考えています。今の人間を見ても分かるように、この世に生まれた目的を悟らず、お互いに争って闘いの中でどれだけ苦しんでいるかお分かりでしょう。真相を理解した人には未来があるのですが、理解しない人には未来もありません。私達は迷いの中から抜け出そうとしない彼等のことをただ可哀想だとしか言いようがありません。だから出来るだけ多くの人に真相を伝え、多くの衆生を救い済度しようではありませんか?まず自分の修煉状態をよくしなければなりません。そして、私達の弊害となっているすべての執着心、後天に形成した観念を取り除かなければなりません。そのためにしっかり学法して、初めてその良くない物質を取り除くことが出来るのです。これは私がすでに体験したことでもあります。

  どのような人間の言葉を用いても、慈悲をもって済度してくださった師父に感謝し尽くすことは出来ないのです。同修達よ!修煉を共に精進しましょう!残された道を師父について最後まで歩き通しましょう!常人が求めているものは、去り行く雲のようにあっという間に過ぎ去ってしまい、何も残らないのです。だから、悔いが残らないように修煉の道に勇猛邁進しましょう。

  2009年4月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/6/198485.html