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ある共産党幹部の選択

(明慧日本)2004年、彼が退役して山東省に戻ったとき、二つの職務が彼の選択を待っていました。一つは市トップの政法委員会書記の座で、もう一つは市農業弁公室副主任でした。当時、彼は明確にこの仕事を按配してくれた上層部の幹部に言いました。「政法委員会書記の職は結構です。それは法輪功を迫害する邪悪組織であることを私は知っています。1989年に軍隊で後方勤務の部長を務めていたとき、軍隊では任務執行のみが認められますので、何も考えずに天安門広場の『六四学生運動』の弾圧に加わりました。結果、徒手空拳の学生たちはわれわれの手によって悲惨な死を遂げました。法輪功の真相資料を見て、私は分かりました。私は大変後悔しました。今は退役しましたので、今後はこのような馬鹿なことはしたくありません。私は決めました。市農業弁公室の二番手を務めます」

 このようにして、彼は自分自身のために美しい未来を選択しました。その結果、ニ番手の職に就いて一年経った頃、彼は副主任から主任に抜擢され、自然にトップの座に上がりました。

 2009年4月21日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/4/19/199240.html