日本明慧
■印刷版   

汚れを綺麗に洗い落とし、師父と帰ります


文/中国の大法弟子

 (明慧日本) 法輪功を修煉し始めたころ、夢の中で、自分が二つの荷物を背負って、辛そうに上に登ろうとしていました。山登りをしていたような気がします。しかし、山全体が黒色で、まるで大きな石炭の塊のようでした。一生懸命にようやく上まで登りつめると、目の前に真っ直ぐな大きな道が現われました。自分はようやく業力から抜け出し、正法の大道を歩み始めたのだと悟りました。

 一.師父が私の体を浄化

 私は専門学校を卒業する時に、健康診断を受けました。先生から、心臓が悪いので、全般的な検査が必要だと告げられました。当時はまだ若かったため、気にも留めませんでした。父も心筋梗塞で亡くなったので、家族の遺伝的なものかもしれないと思いました。それでも、私はあまり気にせず、検査もしませんでした。

 法輪功を修煉し始めて2年目のある早朝、恐らく3時か4時頃、私は苦しくて夢の中から覚めました。その時、自分の心臓が瞬時に喉まで飛び上ってきたように感じ、呼吸が非常に困難で、しきりに息を吐き出そうとしていました。わずか数秒間、自分の心臓のあたりから「ぎ、ぎ、ぎ」というはっきりとした鳴き声が3回くらいして、その瞬間に、体がぱっと軽くなりました。その後、再び、熟睡しました。

 師父が私の病巣を根こそぎ取り除いてくださったのだと分かりました。私が耐えたのはほんの一瞬に過ぎなかったのです。

 二.法に浸り心を浄化

 実際の修煉の過程において、執着心を取り除くことは本当に難しいことです。昨年の初め、実家の弟は家を買うローンを組むために、私の自宅の権利証を担保にしたいと頼んできました。私はその場で快諾し、自宅に帰って夫と相談し、夫も了承してくれました。しかし、翌日、夫は心変わりしました。私がどんなに説得しても彼は頭を立てに振らないのです。姑に相談したのではと問いただすと、案の定そうだと言いました。

 その瞬間、私の怒りが爆発しました。「人が困難に遭い、助けを必要としている時に、あなたたちは手を拱いて傍観するだけ、あなたたちはとんでもない親戚です。赤の他人よりもひどい・・・・・・」

 その時も冷静になるべきだと思ったのですが、どうしても自分を抑え切れなかったのです。怒りに怒って、どうしようもない時に、ふっと棚においてあった『転法輪』を手に取り、めくりました。なんと、「心を正しく持つべし」との文字がぱっと目に飛び込んできました。しかし、私はまったく気に留めず、本を置いて再び、文句を言い続けました。

 再び、『転法輪』を取り、随意にめくると、またもや「心を正しく持つべし」の文字がぱっと目に飛び込んできました。「心が正しくないとはどういうことでしょうか? それはいつも煉功者としての自覚が欠けていることです。煉功者は、修煉するにあたって難に遭遇することがあります。難は人間同士の摩擦に現れるかも知れず、その時はいがみ合いや足の引っ張り合いが起きて、あなたの心性を直撃します。これはわりに多く起きることです。」(『転法輪』)

 これを読んで、私ははっきりと自分の問題が見えました。涙が溢れ出て、全身全霊が師父の限りない洪大な佛恩に浸っていました 。

 法を正す過程が推進するにつれ、心性の関を乗り越えるのも、法を正し、衆生を救い済度の需要を表しています。2007年の大晦日、夫と夜一緒に花火を見に行くと約束しました。しかし、その時になって、彼は黙って一言も言わずにメイと一緒に出かけて行きました。それだけでなく、舅にも電話をして、一緒に見に来るようにと催促しました。まるで私たち夫婦の事前の約束を完全に忘れたかのようです。その時、私の心は平静さを失いました。しかし、修煉者は事に直面した時は必ず内に向かって探さなければならない、偶然なことは絶対にないと自分には分かっていました。

 しばらく自分の内に向かって探し続けましたが、心は依然として平静にならず、探すポイントに辿り着いていないようです。最後に「もういい、もう探さない。ちょうど、この時間帯を利用して迫害の真相を伝える資料を配りに行こう」と思い、そして、資料と『九評共産党』の本を持って出かけました。大多数の人々は花火を見に行き、外に出て爆竹を燃やす人も多かったので、資料を配るのも非常に順調でした。

 全部配り終わった時、町に通行人も増え始めました。花火を見終わって家に帰る人たちです。この時、言葉では言い表せない、心からの喜びが浮かんできました。そうだ、彼らを済度できると知ったために生じた喜びです。私は心から「ここの衆生よ、今晩、あなたたちは福を得ましたよ」と喜びを感じました。

 この時、前の不愉快なことは綺麗さっぱりと忘れられました。この一件を通して、私は悟りました。すなわち、衆生を救い済度することを目の前にして、人と人との間の些細な事は、なにものでもなく、影すらも残らないのです。と同時に、私は、師父の『大ニューヨーク地区での説法』の中でもう一つの内包を悟りました。

 師父は、「長きにわたって、一部の学習者はどうしても根本的な執着を取り除いていません! 最後まで溜まって、乗り越えられなくなり、難が大きくなりました。問題が現れたら、心性から探し、根本から自分を高め、真にこのことを放下し、他の方面から正々堂々と歩んでくるのではなく、そのことに対して、なぜこれをまだ乗り越えられないのでしょうか、今日少し良く行なったから少し良くなるはずで、明日更に少し良く行なうから、更に少し良くなるはずだと考えています。このことをいつも放下することができず、「私は良く行なっている」と見た目では放下しているように見えます。あなたが良く行なっているのはそのことのためです! あなたは本当に大法弟子として行なうべきことのために行なっているのではありません!」と説かれました。 

 自分は大法の要求にはまだまだ大きな差があると知っています。しかし、私は、自分の汚れを綺麗に洗い落とし、師父と帰ることに、自信を持っています。 

  2009年4月21日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/4/18/199164.html