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若い女性弟子の修煉体験


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)私は若い大法弟子です。1999年初め頃に大法を修煉し始めました。当時は小学校6年生でした。当時、修煉に対してあまり深い概念がなくて、ただ大法を学ぶべきで、大法を修煉すれば病気にかからないことだけを知っていて、家族全員が素晴らしいと言うから、私も修煉し始めました。しかしその時、修煉の意義に対してあまり深く理解していませんでした。法を得てしばらくして、中国共産党が中国で大法を迫害し始めたので、私は母に付いて法を実証するために上京しようとしましたが、まだ北京に着いていないのに、途中で警官に止められて、ある公園に連れて行かれました。そこに数千人の大法弟子が一緒に座っていて、リードして『論語』を暗誦する人もいれば、またリードして『洪吟』を暗誦する人もいました。しかし、その時の私は『論語』さえ暗唱できませんでした。そばに座っている私より年上のお兄さんがちゃんと暗誦できるのを見て、すごい、なぜ私は何も暗誦できないのかと思いました。

 中国共産党が大法の修煉を認めなくなった時、私は無知で、大法が素晴らしいと母が言うので家で修煉し続けていました。ただ、同級生と一緒にいる時は何かあっても我慢したりし、毎日堅持して『転法輪』を学べば、期末テストの成績がとても良くなると知っているだけでした。新経文が出るたび、1回か2回読むだけで、毎日怠けて、煉功もいつも1、3、4式の功法しかやりませんでした。勉強で忙しくて、時間がないことを言い訳にしていました。他の同修のように、毎日大量の時間を使って学法、煉功をしていませんでした。修煉する家族の環境の中で成長している事だけが、私にとって最も幸いな事でした。親がずっと精進しているから、私はずっと大法から離れなかったのです。時にかなり精進していなかった時もありましたが、何とか10年近く歩んで来ました。

 大学生になって、毎日堅持して学法していましたが、任務を完成させるように法を読んで、多くの時は、本当の修煉者の基準で自分を律していませんでした。他の大学生と同じように、インターネットにはまって、恋愛をして、遊んでいました。当時、恋愛が修煉の障害になって、あまりにも突然に訪れたいわゆる恋愛は、邪悪が手配した私に対する試練ではないか、もしくは情の中に溺れさせようとしているのではないか、と思いました。しかし、考えてみたら、彼と縁があるならば、大法の素晴らしさを伝えなければと思い、彼に真相を伝えて、脱党も勧めましたが、自分は正念正行ができず、いつも「真、善、忍」に基づいて自分を律しておらず、彼と一緒にいるときは自分が修煉者であることを忘れて、常人の方法で彼との問題を解決していたので、彼はあまり大法が素晴らしいと思いませんでした。そして、いくつかの原因で別れました。彼の大法に対する認識は、心の中の残念な思いになりました。将来、善解を得られることを望みます。ある期間中、身の回りの若い同修は大法弟子の結婚問題について討論していました。2人に本当に縁があれば、自然に任せて、一緒になるべきであれば一緒になればと思いました。でも本当に情の魔に隙を狙われれば、愛情に執着して、愛情に対する執着心が深くなってしまい、その中に陥っていれば、それは大法弟子の修煉にはかなり大きな障害をもたらすことになります。このような悩みのある大法弟子がいれば、この最後の時間で情の魔に隙に乗じられないように、修煉者と常人とも関係を正しくして、万事は修煉者の基準で自分を律しなければなりません。

 師父の『法輪大法—オーストラリアの学習者に対して法を説く』を見て、万事がすべて内に向かって探すべきであることを知り、また各地での講法を何回か読んで、師父は、最初から私達に万事は内に向かって探すようにとおっしゃっています。そして毎回の講法の中でも絶えず内に向かって探すことに言及されています。今回は重い金槌を叩かれて、私はようやく気がつき、やっと内に向かって探すようになった。こんなにたくさんの執着をずっと放さず、取り除いておらず、旧宇宙の理は私の身に余す所がなく表れていました。物事を考える時、現実の利益に直面した時、自分はいつも「私」が先立っていて、その上、理にかなっているので話に勢いがあって、私はこんなに利己的になったと言います。口ぶりにも善意がなく、これで大法弟子と言えるでしょうか? 「正法時期の大法弟子」という偉大な特別な栄光など言うまでもありません。学生の時、嘘が一番嫌いでした。特にいつもお世辞を言う人が嫌いでしたので、あまりそれらの人としゃべりません。それに修煉者は「真」を重んじるので、良くないことを良いと言ったことがありませんでした。悪いのは悪いのだから、せいぜい評価しなければいいと思って、本心でないことを決して言わなかったのですので、冷たくて、付き合いにくい人だと思われていました。後になって気付きましたが、冷たい態度は大法弟子に泥を塗っているのではないでしょうか? 慈悲の表れではありません。婉曲に、他人が喜んで受け入れられるような話し方に改めました。それはお世辞を言っているのではなく、自分の慈悲でない心、傲慢な心は取り除いて、「真、善、忍」に基づいて人と付き合うのです。

 同修と一緒にいるとき、よく彼らの体験を聞きます。特に、今回の第5回大陸大法弟子の書面交流会の文章は、いずれも敬服させられて、これらの大法弟子は本当にとても素晴らしくて、すべての大法弟子が皆同じように出て来ることができ、真相を伝えていれば、世間の人はとっくに助かり、大法弟子の修煉はとっくに終わっています。しかし、私のような、良い環境の中で修煉している大法弟子は、毎日真相を伝える事をあまりやっていなくて、朝の煉功もいつも同修に起こしてもらって、学法も集中せず、時間を切り詰めて法を頭の中へ入れることをせず、真相も救いたい同級生にだけ伝えていて、比べて見れば、本当に恥ずかしく思います。

 実は、今回初めて体験文を書きました。同修の体験を読むと、いつも師父の「法」が引用されているのを見ると、自分はやはり書かないほうがいい、書くと全部常人の言葉、分かりきったことばっかりで恥ずかしいです。師父の講法の出所さえも知らなくて、人のメンツを保心が出て、何を書けばいいのかも分からなかったので、ずっと書きませんでした。しかし、同修の子供の事を聞いたため、この体験を書いたのです。今、私の身の回りである現象が起きています。迫害の前に法を得たたくさんの大法小弟子は、修煉しなくなったり、あるいは前より精進しなくなったのです。彼らの年齢は私と同じぐらいで、ちょうど成長盛りなのです。私と同じぐらいの大法弟子が修煉に戻れば、真相資料の制作も、真相を伝えることにも大きな力となります。なぜならば、若い方が近代的な設備に対して受け入れやすいし、今の学生は中国共産党の教育の毒害が最も深いので、私達が真相を伝えていれば、話題を探しやすくて、受け入れさせやすいでしょう。しかし、以前知っている大法弟子は皆修煉しなくなり、彼らの親はまだ精進していますが、迫害の前のにように、子供に毎日学法、煉功することを催促しなくなりました。なぜでしょうか? 子供は学業が忙しいため、学法、煉功で時間を取られるからでしょうか? しかし、本当に修煉している人は知っています。「法輪大法は素晴らしい」と言うだけで、常人にテストの中で実力以上の力を発揮させる事ができます。大法弟子はなおさらでしょう? それとも、子供は大法の素晴らしさを知っているだけで十分で、以前は修煉していたし、まだ機会があるし、子供に言っても聞いてくれないからでしょうか? 迫害の前に法を得た弟子は、その名にふさわしい正法時期の大法弟子になるべきで、次の時期のエリートになるのではなく、今この歴史のこの時に、師父の正法に力を尽くすべきです! 先史の大願を達成すべきです! その命は、将来この家庭の中で法を得ることできて、師父が世の中で法を正すことに力を出すことができることを知っているから、あなたの家で生まれたのです。常人のように将来のため、良い生活のために奮闘して、常人の中で迷うためではありません! 修煉者の一生はすでに師父は按配済みで、あるべきものは何一つ失いません。しかし、これらの弟子は入学試験の時だけ、良い成績になるように師父にお願いして、師父に加持を求めています。その時のあなたは、大法弟子として恥ずかしく思わないのでしょうか? 「法」のために何かやったのでしょうか? 身の回りの人を救ったのでしょうか? 修煉者に基づいて修めたのでしょうか? 大法弟子として三つのことをちゃんとしていないのに、困った時だけ師父に助けを求めます。親としての同修は、師父があなた達に家につれて帰るように託した師父の大法小弟子を連れて帰れなかったら、きちんとできていないと思わないのでしょうか? この問題で、自分をしっかり修めるべきではないでしょうか。

 自分の子供に対して、一番良い事は、彼らに良い食べ物、着る物を与えることではありません。新たに大法の修煉に歩み戻ることです。以前は精進していて、私に感服させてくれた同修達は、もっと精進すべきです。もう10年にもなったのです。奮い立って追いかけなければ、まだ常人のままで、まだ自分を子供だと思って、厳粛に修煉に対処しなければ、修煉者の基準に基づかなければ、身の回りの友達、同級生、世間の人を救い済度しなければ、大法弟子という名、師父の慈悲なる済度に合わせる顔がありません。自分と同じ時期に法を得たお姉さんや妹の皆さん、後に福の報いを得るだけ、あるいは遺憾を残して圓満成就することは本当に望ましくないのです。この歴史のこの時に、先史の大願を達成することを望みます。また、毎日身の回りの同修にくれぐれも精進するよう、さらに精進するよう言い聞かせてください。くれぐれも師父の弟子を一人も置き忘れてはいけません!

 2009年4月22日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/1/1/192691.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/2/5/104550.html