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人心を放下して、神の念を修める


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)師父の『法輪大法—オーストラリアの学習者に対して法を説く』のDVDを見て、最後の幾つかの言葉は、私に対する教戒、震撼がとても大きかったのです。法を得て11年間、歩んできた修煉の歴程、修煉の道で学法の浅さと精進していない自分を非常に恥ずかしく思いました。

  私はずっと自分に問いかけました、人のものとは何ですか? また神のものとは何ですか?

  師父の下記の講法の中から、私ははっきりとした解答を見つけました。師父は「人覚之分」の中で「何を持って人と為すや? 情欲、身を満す 何をもって神と為すや? 人心存する無し」と説かれています。この中の情と欲とは、人のもろもろの情欲を指しています。7つの情とは、喜、怒、哀、恐、愛、悪、驚。6つの欲とは、身、意、口、鼻、目、耳が外部に接触して情欲を生むことを指していると思っています。『精進要旨』の「真修」の中で「常人の心を放下できるかどうか、これは真に常人を超えて歩みゆく至難の関なのです。 真に修める弟子であれば誰でも超えなければならないもので、これは修煉者と常人の境界線です」『精進要旨』の「警告の言葉」の中で「皆さんが人間の状態を変えようとすることなく、理性の上からも大法を真に認識するまで昇華することがなければ、皆さんは機会を失うことになるのです。皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできませんし、圓満成就できません」と説かれています。このような明確で、明瞭な講法は、私の修煉上での指針となり、自分の一つの考え、一つの念から、内に向かって探すよう努力して、自分の中にある人のものを取り除きました。

  私は医者なので、家庭生活と仕事の環境の中で、心性を高めています。以前は、家庭の中でいつも子供と妻の欠点を先に見て、自分の基準で彼らを評価していました。子供が勉強をしないで、一日中テレビを見て、パソコンゲームをやり、妻がよくマージャンをしていることに対して、本当に気に食わず、ひどい時はかっとなって、かんしゃくを起こしたりするので、家庭の雰囲気はとても悪いものでした。時には、なぜこの人たちと一緒に生活しているのか? と思いました。口では何も言いませんが、内心では、自分の医療技術と能力からみて、彼らと一緒に生活しているなんて不公平だ、憤慨や悔しさなどの常人の思いがよくありました。

  絶えず学法して内に向かって探す時、私はこのような意識は完全に常人の思想で、最も利己的であると気がつきました。私と子供、妻が今生で一緒に生活しているのは、背後の因縁関係があるからです! 彼らは修煉していないので、常人の状態で生活しているのは当然なことです。私は今生、法を得て修煉しているため、常人が永遠に知らない道理が分かりました。現在、私は修煉者の基準で厳格に自分を律して、慈悲、善意に道理を話すことで、彼らの一つ一つの言動に対応しなければならないのです! 法理が分かってから、万事は先に自分が間違っていて、どこが足りないのかを探すよう努力して、法をもって自分を正し、以前のように、先に他人の過ちや欠点を見ることがなくなりました。

  このようして、次第に私の家の環境が改善され、同時に私の学法、煉功、真相伝え、三退を勧めることに、ゆったりとした良い環境をもたらしました。また彼らの理解も得て、時には私を支持して協力し、三つのことがしっかり行えるように良い環境を作ってくれました。

  以前は、私が患者の前で法輪功に関する事に言及したり、あるいは真相を伝えて三退を勧めようとする時、彼らはいつもあれこれ恐れて、邪魔をしていました。私は内心かなり焦って、なぜ私を理解しくれないのか、なぜ他人が私を理解しくれないのか、それとも私が他人を理解していないのかと思っていました。妻と子供は当時、真相を伝え、三退を勧めることを言わせてくれず、あれこれと恐れて、私を妨害していました。

  彼らが私を妨害する理由は、私が再度捕まえられて、投獄され、家庭が守れない事などを恐れていました。当時、なぜ内に向かって探さなかったのかと後悔しています。自分はいったいどこが間違っていたのかを法に基づいて探し、他人が受け入れられるかどうか、冷静に考えて、他人の気持ちや苦衷を理解していませんでした。怒って、無理やり人心で大法の事をしていました。結局、自分がしっかりと学法して、自分を修めていないことがもたらした結果だったのです!

  法理が分かってから、私は誠意を持って妻に謝りました「以前、私が迫害されていたとき、家の事などにたくさん耐えてくれました。私を妨害して、真相を言わせない理由は、私が安全に注意しないで、万が一のことで悪人に告発されたら、と心配していたからでしょう?」と言うと、彼女は納得して笑いました。私は、「以前にも話したように、真相を伝えるのは本当に人を救っているのです。現在はどれだけの人が毒害されているか知れません。迷いの中で法輪大法に対して反感があって、理解していません。真相を伝えることを支持してくれることで将来はすばらしい未来があります! これは絶対に本当のことです。それに、私は安全に注意するので、家の事を考えないはずはないでしょう?」、「私の接触した人はすべて患者や患者の家族に、診察を通して、病因やなぜ人は病気になるのかなどから法輪功へ導いて、理性的に真相を伝えています。患者と家族は理解して、喜んで聞いているし、同時に診察をも遅らせていません」と誠意をもって話すと、それ以来、私が真相を伝えるとき、妻と子供が反対したことはありません。

  一つだけ言及しなければならないのは、毎回、真相を伝える前に必ず心の中で正念を発しなければなりません。徹底的にすべての外来の邪悪の妨害を一掃しました。以上の経験と教訓から、仕事でも内に向かって探すことに注意して、しっかりと自分の一つ一つの言動を修めて、慈悲の心で患者に対応し、患者の苦しみを理解しました。診察、薬品の使用は厳格にし、正直に合理的に薬品を使用し、高い薬を小さい病気に使わず、薬をむやみに使って、思いのままにお金を請求することはしませんでした。老人子供と言えどもだますようなことはしませんでした。患者に一文も多くお金を請求していません。注射代、診察費はこれまで多く請求したことはありません。特別貧困な患者にはコストだけ取って、時には逆に帰りの旅費を与えました。時間が経つと、外来の診察患者が増えました。同時に、多くの患者に真相を伝えて、衆生を救い済度することに良い環境と影響をもたらしました。患者が多くなると、私は診察しながら、理知的に、知恵を使って真相を伝えることで、予想もできない良い効果を得ました。同時に自分の思想境界も昇華し、たくさんの執着を取り除くことができました。

  仕事以外の時間は、いつも学法と衆生を救い済度する事を思っています。学法と衆生を救い済度することや、同修間の全体の協調と共に高まることに対して責任を持つことは(実は自分自身に対して責任を持つことです)、すでに私の生活の中の一番大事なことになっています。当然、責任を持つ中でどうしても問題が出てきます。それもまず人心を取り除く過程です。歩んできた修煉過程から、私が分かったのは、人心を持つと三つのことがきちんどできません。早く発見して、正念で一掃しなければ、邪悪が隙に乗じれば、衆生を救い済度することに障害、損失をもたらし、甚だしきに至っては迫害に遭うことになります。「人のものを取り除かなければ、神のものが出てきません」 まずしっかりと学法して、ようやく正念が出て神の道を歩むことができ、衆生を救い済度することができます。

  2009年4月22日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/1/20/193820.html