真相を伝える故郷の旅 文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)1996年、郷里を離れて経済特区に来てから、たまに出張か新年の時にしか実家へ帰っていません。しかも毎回の行き来も慌ただしかったのです。すでに8年間余り故郷に帰っていません。郷里の親戚、親友、古い学友、古い同僚は真相を知っているのでしょうか? 「三退(中国共産党、共産主義青年団、少年先鋒隊からの脱退をさす)」をしたのでしょうか? 気にする心が私に故郷に帰る願望を生じさせました。
人を救い済度しようとする心が出たので、尊師は私に自分の使命を完成させるために機会を按排して下さいました。やがて、会社のその他の部門の用事のため、社長は私を自分の故郷へ出張させました。私は長い間待ち望んでいた気持ちを持って故郷へ帰りました。
列車の中で、向かい側の寝台の2人も同郷人で経済特区から来ていました。話せば、1人は私の学友で、もう1人は郷里で最大の国有企業を定年退職した元職員でした。道中で仲良くなり、彼女たちは私が健康食品の会社で働いていることを知り、内部価格で健康食品を買いたいと言うので、私は手伝うと承諾しました。会社に戻ってから、彼女たちが健康食品を取りに来た時、真相を伝えると、「三退」しました、同時に神韻公演のDVDをプレゼントしました。
郷里に帰った当日、会社の仕事を終わらせてから、入院している姑のお見舞いをするため、急いで病院へ行きました。彼女を見舞いに来る親戚もたくさんいました。彼女を看護している小姑が私を見て「お姉さん、何年間も会っていないのに、どうして老けないのですか?」と尋ねました。私の夫の従弟や弟の嫁なども「私達はすでに15、6年も会っていなかったのですね。あなたは当時よりも更に若く見えますよ」と言いました。彼らは歳月を経て、顔や体つきがすでに中年になっていました。私は「これは法輪大法を修煉した結果ですよ。以前の私は、冬になると喘息で、咳が止まらず、冬の間はずっと外出できず、30歳くらいが、見たところ40歳くらいに見えました。今はこれらの病気は全部なくなり、仕事場では若い人と同じ速いリズムで働き、その上すでに12年間も薬1粒も、健康食品も飲んだことも、食べたこともがありません」と答えました。居合わせた人は皆驚いて、次から次へと病気の治療と若さを保つ秘訣を教えてほしいと言いました。私は彼らに必ず「真・善・忍」という宇宙大法を信じるよう教え、常に「法輪大法は素晴らしい」を常に念じ、最も良いのは法輪功の修煉を堅持することだと伝えました。居合わせた人はみなしきりに頷き、賛成すると言いました。彼らの中には過去、電話を通してすでに「三退」した人もいました。そのため、帰社後、彼らに神韻公演のDVDを送りました。
数日前、姑はずっと危篤状態で緊急措置を受けていましたので、今回は最後の対面になるのではないかと思っていました。しかし、彼女は私に会ってから自分で座り始めました。私は「真・善・忍は素晴らしい」、「法輪大法は素晴らしい」を念じるように教えました。すると、彼女は日に日によくなっていき、食事の量も日増しに増え、1週間後には病状が安定して退院しました。医師も摩訶不思議に思ったほどでした。
夜、私は夫の姉とその弟の家に行きました。弟の子供2人も私を見にきました。姪は小さい時からずっと天目が開いており、当時すべての法輪バッジや法輪図の中に尊師の法身が座っているのが見えました。さらに天女が色とりどりの美しい花を散らしているなど、その他の空間の光景も見えました。7.20以前、彼女はまだ8、9歳でしたが、とても勤勉に煉功し、講法の録音も聞いていました。ところが、7.20以降、共産党に惑わせられたため、修煉を放棄しました。特に私が修煉を堅持していたため、かつて不法に労働教養刑を科されてから、彼女の家族は大法のことに関して言う勇気さえなくなりました。私は何度も電話で彼女に、根基がそんなに良くて、縁がそんなに大きいのに、くれぐれもこの永久の機縁を失わないようにと言い伝えました。ところが、彼女は大法を信じており、「三退」もして、口では再び修煉を始めると承諾しましたが、少しも行動に移しませんでした。今回会って、私は厳粛に彼女に法を正すことはすでに最後の最後になっており、まだ時間を無駄にすれば、本当に永遠にこの万古の機会を失ってしまうと教えました。それを聞いた彼女は焦りました。「大法の本も、煉功の録音も持っていません。7.20以後の新経文は1篇も読んだことがないのでどうしましょう?」と私に言いました。翌日私はMP3を買って、尊師の済南での講法の録音と煉功の音楽を入れて渡しました。夜、彼女に5式の動作を思い出すように教えて、『オーストラリアの学習者に対する講法』のDVDを一枚贈りました。今の彼女は毎日講法を聞き、煉功して、真相を伝え、行動で尊師の法を正す流れに戻ってきています。
小姑の娘婿はある大規模な国有企業の工場長です。彼の人となりは善良で、人情を重んじているので、家族全員がすでに「三退」しました。2日前の夜に、彼に詳しく真相を伝えました。彼は「私が南洋にいた時、すでに三世の仏縁があり、いずれ仏道に入ると言われました。『転法輪』も拝読したことがあります。確かに佛家の上乗修煉大法です。李洪志先生がその後続々と発表されている経文を見せてもらってもいいですか?」と言うので、私は尊師の経文をUSBメモリに入れて彼にプレゼントし、また天音と予言などのDVDもあげました。彼はDVDを見てから「とても感動しました。魂から身体まで全てに変化を得たと感じました」と感慨深そうに言いました。3日目、実家の従弟が交通事故で死亡したことを聞き、急いで葬式に駆けつけ、私が帰る当日に彼はやっと帰って来ました。帰って来てから深く心に感ずるものがあったと言いました。「従弟の死は私に生命のもろさ弱さを深く感じさせました。小さい時からずっと一緒に成長してきた従弟が、一瞬にして亡くなりました」そのため彼は葬式の場で、式に参加した肉親、親友に対して、真相を伝えました。「真・善・忍」の宇宙大法を必ず信じて、共産党から脱党し、そして、ようやく災いを転じて福となすことが出来、難に遭遇しても吉祥が現れます。
郷里に滞在中、仕事以外の時間に大学、高校、中学時代の学友とも集まりました。また、前に勤めていた会社の同僚、旧友にも会いに行きました。その前の2年間、私は電子メールと電話を通して彼らに真相を伝え、「三退」を勧めていました。今回、皆と会った時に神韻公演のDVDを渡してきました。会えない人には、各種のルートを通して相手の電話を聞き出しました。帰社後、電話で挨拶して、EMSですべての人に神韻公演のDVDを郵送しました。私の故郷の人も、公演を鑑賞している中で救い済度されますように。「劇場から出てきた人は、大法弟子に対する態度がほぼ百パーセント変わったのです。法輪功に対する態度も変わりました。人間の念が動じれば、その人が残されるかどうかを決めることになります。」(『2007年ニューヨーク法会での説法』)
小姑は離婚したので、娘はずっと祖母の家に預けられています。この子は両親の離婚にも自暴自棄にならず、逆に自ら努め励んでいましたので、良い高校に受かりました。私と夫はずっとこの子の運命に同情し、いつも経済面で援助し、勉強の面で指導していました。電子メールで彼女に真相を伝え、彼女も三退しました。私の送別会で、彼女が本当に真相を理解したかどうかを尋ねるため、私は特別に彼女を呼びました。彼女は天真爛漫で大きい目を瞬かせて、私に「法輪大法は素晴らしいです!」と言いました。
かつて国有の大企業の工場長と主管者局副局長を担当していた私の過去の上司に、2年前、私は電話で真相を伝えて、「三退」を勧めました。彼は直ちに「良いですよ! 良いですよ! 断固として共産党を脱退します」と答えました。今回私に会った時、彼は「あなたの話を聞いて、徹底的に共産党を脱退するために、定年退職の時、私は局の中で嘘をついてまで、党員の証明を町内へ転送すると言って貰い、途中でそれを引き破りましたよ」と私に言いました。
それを聞いて心の中が熱くなり、深く感動しました。私が何度も共産党の迫害に遭っても、郷里の親戚、友人は依然として私を信じて、私の言ったことを信じてくれています。これはすべて大法の威力で、この偉大な大法は彼らの理解する面を啓発したのです。そして大法弟子である私を通じて、大法を信じるという彼らの生命の中の願望を表して、大法に同化し、大法の救い済度を待っていました。
日曜日、私は従姉の家に行きました。かつては彼女の一家全員が修煉していましたが、今は従姉と彼女の息子だけが法を正す進程にしっかりとついており、堅持して三つのことをしています。姉婿は体格のたくましい軍隊の高級士官です。7.20以前は、彼も学法して勇猛に精進して、若くてハンサムでした。7.20以降、厳しい迫害に直面して、彼は修煉を放棄し、今は糖尿病を患っています。
私は叔母の変化を目の当たりにしたので大法を修煉し始めたのです。当時の叔母は半身不随で、すでに寝たきりになっており、太っていたため、相前後して何人かの家政婦を雇っても、皆叔母の体重の重さにすぐ辞めて逃げていきました。やむを得ず、彼女は法輪功を修煉し始めました。最初は寝たきりで講法の録音を聞くだけでしたが、だんだん座ったままで本が読めるようになり、煉功することができるようになり、ついには立って煉功することが出来るようになりました。7.20以前は家族に食事を作り、散歩ができるまでに回復していました。このことは現地で広く伝えられ、弘法の典型的な事例になりました。しかし7.20以降、公安支局、派出所、町内会などが絶えず私生活を侵害しに来るようになり、修煉しないという保証書を強制的に書かされ、強行に指紋を押し、署名させられました。そのため、子供達の前途に影響しないよう、それからは煉功を中断し、しばらくして病死してしまいました。
叔父は7.20以前にすでに70歳くらいになっていました。法輪功を修煉していたため、彼の顔は赤くてつやつやして、元気いっぱいで、いくつかの建築会社に現場の総監督として招聘されていました。7.20以降、恐れる心が出たため、修煉を放棄しました。完全に常人に戻り、酒食や遊楽にふけっていました。亡くなる時、すでに80歳くらいの高齢でしたが、世の中の福だけを享受して、修煉する機縁を失いました。
叔母一家の結果は、私に修煉の厳粛さを悟らせました。生死を放下できれば神であり、生死を放下できなければ人であって、恐れる心は人が神へ歩み行く死の関所であって、生、老、病、死という古い法理、古い掟の束縛を突破する事が出来るのは、根気よく続けて尊師と大法を信じるしかありません。いかなる外部が変化しても意志を動揺させてはいけません。尊師は『精進要旨二』の「道」で「修煉とは実に難しいものです。天が崩れ、地が陥没したり、邪悪が狂ったように迫害したり、生死に関わる時であっても、依然、あなたの修煉のこの道を確固として歩み続けられるところに難しさがあります。人類社会のいかなる出来事も修煉の道の歩みを阻めはしないのです。」 と説かれました。
8年間での故郷の変化はずいぶん大きく、高いビルが林立し、昔の光景はとっくに存在していませんでした。私の最も仲が良かった同僚も引っ越して、8年間も連絡が取れなくなりました。帰った後に、彼女がすでに3年前に脳溢血で亡くなったのを知り、私に永久に残念な思いを残しました。私は一層人を救い済度するのに、時間が緊迫していること、及び時間は人を待たないことを痛感しました。
小学校、中学、高校、大学時代、また恋愛中によく行った公園へ再び行きました。往来する人の中で、すでに熟知した顔はなく、ただ見慣れない人が身の回りで慌ただしく行き過ぎていました。たまに道を尋ねても、答えは「おばさん、行き方はこのようですよ……」と。私が他人をおばさんと呼ぶよりも、すでに他人におばさんと叫ばれる程になりました。「人生は本当に苦しくて短いですね」瞬く間に百年です。自分が生きている間に大法を得られて、返本帰真の道を歩めるのは最も幸いなことです。尊師に感謝いたします。精進して、しっかりと三つのことを行い、衆生を救い済度して、ようやく尊師の慈悲なる済度に背かないことができます。この千載一遇の機縁を逃しません。
2009年4月26日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/18/193701.html)
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