日本明慧
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私達の神の一面を復活させよう

(明慧日本)一般社会の中で困惑し、人の道理に束縛されていれば、私達の神の一面はいつ復活するのでしょうか?

  尊師は前もって弟子達を各自の最高位まで押し上げ、神と同じ能力を備えさせ、大法弟子に法を正す口訣を使うことを特別に許可しておられます。「法正乾坤、邪悪全滅。法正天地、現世現報」 これは法が乾坤を正し、法が天地を正しており、この法は師父の計り知れない威徳と大法の万能の威力を持っています。これらのすべては法を正し、衆生を救い済度することに必要です。これは一般の神や仏の威力と比較出来るものではありません。神と仏の能力を全部備えているのに、なぜまったく無関心なのでしょうか? 千百年も眠っている神達よ、目覚めるべきです。聞いてください——尊師は私達を呼んで下さっています。「今日は復活祭であり、神が復活する日です!(熱烈な拍手) 多くお話しませんが、今日という良い日に大法弟子の神の一面を復活させましょう!」(『2004年復活祭ニューヨーク法会での説法』)

  尊師は私達の心を大きく揺り動かし、弟子に警告しておられます。「人間の考えが優位に立てば、人間に向かっていきます。神の考えと人間の正念が優位に立てば、神に向かっていきます」(『2005年サンフランシスコ法会での説法』) それなのに、なぜ神の一面がまだ復活していないのでしょうか、どの面が優位に立つのかという問題について交流したいと思います。

  「家で正念を発して、真相チラシを配る事ができますが、物事に遇うと正しい念正しい行いを思いだせなくなります」と言う人もいれば、「私は精進していませんので、悟れる所まで悟れば、修める所まで修めればいい」と言う人もいます。私達は仏法の中から功能を発揮すべきである事を知りましたが、苦難の中で功能を使う人は本当にまだ足りません。

  邪悪に直面したとき功能を使うことを思い出せず、思いつかない人はたくさんいます。しっかりと学法していないのが一つの原因ですが、自分の人の観念に阻まれている人もいます、もうひとつは神のことに言及すると反感を持つ人がいますが、実は無神論が邪魔しているのです(もちろん、神の道で修煉している人は毎日神を口にしてはいけない、行為が常軌を逸してはいけない、本当に実修しなければなりません)。

  例を挙げます。ある弟子は法廷で、今日来る人が多ければ多いほど良い、ちょうど彼らを救い済度することができる、と思ったら、多くの警官が来て、法廷で真相を伝え始め、法官まで笑わせたので、最後に無条件で釈放されました。

  「大法は衆生を圓容していますが、衆生も大法を圓容しています。」(『道法』) 尊師はあなたを最高位まで押し上げておられるので、あなたは自発的にこの次元の法に同化、圓容しなければなりません。同化しなければ常人と同じではありませんか? 「精神と物質は同じです」「一人の修煉者として、あなたがこの特性に同化すれば、得道した者となるのです。理はこんなにも簡単です」(『転法輪』) あなたは内心で自分を神と承認すれば、きっとできます! あなたは自分を強化する度、人心の中から出て来られ、神の念を認めた部分は既に法に同化して、法に同化した部分は既に神となって法に同化されていない執着と人心は瞬時に消えてなくなるのです。心で自分を神と見なさず、自分が駄目だと思い、それが謙虚であると思えば、実は既に修めて出てきた功能を否定することになり、はっきり言うと、尊師と法を信じていないことになります。

  「実のところ、大法弟子の一人一人が皆功能を持っているのですが、ただ表面の空間で現れていないだけに、効能がないと思っているのです。しかし、たとえ表面の空間に表わす事ができても、できなくても、真の念が生じる時には、みな威力は強大です」(『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」) 自分の功能を動揺せずにかたく信じて、少しも疑わずに、一念でなせるという自信があり、しっかりと自分の神の念を守って、功能を運用し、迫害を制止させ、彼らの法に対する犯罪を制止することも、人を救い済度していることになります。

  2009年5月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/6/192953.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/1/13/103871.html