無私の境地
文/大陸大法弟子
(明慧日本)先日来、ずっとよくない状態に困っていました。いろいろ方法を考えましたが、やはりよくなったり悪くなったりして、徹底的に根絶できませでした。つい最近、他の同修と出会いました。彼も同じよくない状況が現れていたので、同修の為に私は個人的な認識をたくさん話して、なんとか自分の話から同修がよくなるようにと願いました。知らず知らずのうちに、自分の話はまさに自分の為に自分に対する話のように、ずっと心に響きました。言えば言うほど心が明るくなり、体中が爽快な感じになりました。同修が帰った後に私は自分のレベルが高くなったように感じて、正念が強くなり、以前の元気も戻ってきました。
よく考えてみると、自分でも可笑しくなりました。いろいろ考えたあげく何の解決も得られませんでしたが、自分のことを思わずに真に人の為に問題を解決してあげようとしたときに、一番得をしたのはまさに自分だったのです。このことによって、本当に有為と無為、私と無私の間には巨大な境地の差があることに深く感銘を受けました。そして、これからは自分がどのような道を歩むべきかよく分かりました。それは全身全霊で人の為に奉仕し、自分のことを考えず、さらに自分のすべてを捨てても惜しむことがない生き方です。なぜかと言えば、すべてを喜捨すること自体がすべてを有することであるからです。同時に、すべてを喜捨するのはすべてを有するためではなく、我々は大法弟子であり、師父と一緒に法を正す時期の大法弟子であるからです。
2009年5月1日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/4/22/199361.html)
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