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観念を捨て、手紙で議員に真相を伝える(二)


文/ドイツの大法弟子

(明慧日本)

 以前のやり方で、反省するところが1つあります。1人の議員は法輪功に興味を持つなら、彼はおそらく中国の他の人権迫害にも興味を持ち、それで私は彼に私が見せてあげたいものだけを見せるのか、それとも彼自身が興味を持ったものを見せるのでしょうか。真相の手紙を書き始めた頃、このような問題を考慮したことがなく、ただ法輪功の迫害の事実を一方的に伝えただけでした。しかし、他人のために考えることをマスターしたするに連れて、次第に、他人に自分の関心のある問題を他人にも関心を持たせるには、まず他人の関心のある話題に関心を示さなければならないことに気づきました。しかし、この関心は他人に自分のことについて関心を持たせるためのものではなく、他人に対する関心は誠実で自発的に内心から現さなければなりません。したがって、私は議員に法輪功関連の資料に止まらず、時にはドイツ語の大紀元や他のメディアに掲載された中国の現状に関する文章をも郵送し、彼らに中国に対する多方面の理解を手助けしています。一方、もし議員が中国全体の情況をさらに深く把握することができれば、彼らは法輪功迫害の問題もさらに深く理解するようになるのです。

 その他に、私は議員のいくつかの積極的なふるまいに対して肯定して支持するように表しています。たとえば、ある議員はかつて喫茶店の中で禁煙するような法案を推進し、残念ながら可決されませんでした。私は偶然に新聞でこのニュースを読んで、心の中は、私に見せたことは偶然ではないと思いました。そこで、私は1通の手紙を出して、この法案は可決されなかったが、1人の母親として彼にこの法案の推進に感謝し、それは私が何度も子供を連れて喫茶店へ行った時、いつも喫煙する人に出会い、子供の体にあまり良くないからです。常人の善の一面は私たちが肯定することを必要として、これも私たちの善の一面の表れです。同時に、議員に法輪功修煉者もコミュニティの一員であることを感じさせるのです。

 最終的に、最も重要なポイントで、堅持することです。自分の時間と興味に任せて手紙を書くことはできず、絶えず堅持して手紙を書いて真相を伝えることが肝心です。私は、全面的に真相を伝えることはすべての真相を1通の手紙の中に現すのではなく、すべての手紙の内容を1つにして、人に法輪功に対して全面的な認識をさせることができるのだと思っています。

 しかし、自分は緩める時もしばしばあります。たとえば突発事件を生かして議員に真相を伝えるべきだという時、私は自分個人のことで忙しいため議員に伝えることに気づかず、後になってその他の事が発生して、特にここ数年、世界規模で法輪功に関連する重大な事がますます多くなって来ました。このような情況の中で、私は過去の事を触れずに、最近発生した事だけに絞るようにしました。それは常人から見て過去の事の価値は大幅に薄れたからです。

 手紙を書くときに、私はいつも自分の正念を固めて、大法から修めて来た善によって根気よく行い、相手は議員、議員の助役、あるいは議員の事務所で働いている実習生であっても関係なく、少なくとも手紙に触れた人はそれなりに1つの真相を理解することができます。相手からとても長い間いかなる返事もない時、このような信念で私を堅持して書き続けさせたのです。

 他の人のことを自分のこととする

 2年前に、あるハイデルベルクの修煉者は私に、私たちが以前連絡した1人のハイデルベルクの議員はまた、法輪功がどうして弾圧されることに理解できないと言ったため、私は1通の長い手紙を書いて、中国共産党は数十年にわたってずっと文化を破壊し続けて来たことを説明しました。翌日、議員は私に電話して、私とこの問題について探究しました。彼はついでに、この数年、法輪功修煉者はすべて彼と連絡が取れなくなったと話しました。私は2003年にハイデルベルクを離れたので、その前に、私たちはこの議員と3、4回面会したことがあって、ある時、私たちは彼の家まで行かせてもらいました。2003年以降、私はハイデルベルクの議員と連絡しなくなり、ただしハイデルベルクの修煉者に、すでに作り上げた良好な関係を維持するように提案したことがあります。電話で議員と話した後、私は直ちにハイデルベルクの修煉者に電話して、そこで私が離れた後、ハイデルベルクの修煉者は議員との連絡は以前ほど多くなく、次第に議員にドイツ語の大紀元を送るだけで、直接の連絡は極めて少ないことを知りました。それを聞いた私は機嫌が悪くなって、心の中で、「だめではありませんか。人が連れて行くならやるが、人が連れて行かないと止めるというのですか。政府の役人に真相を伝えるときに、みな重要だと言って、しかし実際に行動するとどうして重要であることを感じさせないのですか。このようなことについて私はすでに同修に注意を促したことがあります。今自分はすでにここを離れて、あまり構う必要がないと思いました。私は同修に恨み言を言っていますが、あなたたちの選挙区に住む議員には、あなたたちが救う責任を引き受けるべきで、あなたたちが尽くして彼らを救い済度しようとしなければあなたたちの問題なのです」と思いました。

 それから『2002年ワシントンDC法会での説法』の中で、「特に大法弟子の内部において、私たちが外に対して真相を伝える時、衆生に慈悲をもって接しなければならないと思っていますが、大法弟子の間も慈悲でなければなりません。皆さんは同じ法門の弟子であり、皆宇宙で法を正すことに心を尽くし尽力しているため、お互いの間に協力しあうべきです。度を過ぎて常人の心で物事に対処しないでください。お互い常人の心を抱いているために、生じるべきではないトラブルと議論を起こさせないようにしてください。これらのことに大法弟子の寛容、善良と和やかさを表すべきです。相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」という法理を読みました。

 私は、ハイデルベルクの議員に面して説明する時にとても根気よくしますが、同修に対しては根気がなくなります。その上、私は他の人の事を自分の事とせずに、非難ばかりしました。このようにしていては、どのように1つの全体となし得るのだろうと思いました。

 その後、私は自分の選挙区の2人の議員に手紙を書く時、ついでにそのハイデルベルクの議員にも手紙を書くようになりました。その議員は何度か私に電話をかけて、手紙の内容について討論しました。彼は、幾度か中国へ行った時にすでに中国の官吏に法輪功迫害の問題を提起しましたが、中国共産党の本質に対する認識は明らかでないため、毎回のように問題が残ったままで、したがって私たちはいつも長い時間にわたって討論することにしました。私は、彼は中国に関する問題を考えることを中断したことはなく、彼も私たちからさらに多くの情報を得たいと思っており、彼は私たちの手紙と電話により、中国の問題に対する異なった思考方式に導かれつつあると思いました。

 (続く)

 2009年5月3日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/1/30/194514.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/3/15/105600.html