日本明慧
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教訓:「私は独りよがりだった」

(明慧日本)先日、私に恍惚状態が現れました。発正念をする時、煉功する時、学法する時もこんな恍惚状態が現れ、周りの同修は焦っていろいろな方法で私を悟らせようとしましたが、主意識を強く持って正念正行しても変わらず、自分でも原因を探せませんでした。最近、同修が「自分で師父の説法CDを整理してはならない」とう明慧文章を見て私を訪ねて交流し、「私達が師父の『オーストラリアの学習者に法を説く』のDVDをAVIフォーマットに変換したのは間違いです」と言いました。私はその時、根本的にこの問題の厳粛性を認識しませんでした。同修の督促で私は明慧の同修に問い合わせました。明慧同修はすぐ回答してくれました。「師父の説法、師父の物を弟子として、勝手に触ってもいいのですか?」この話は私をすぐ目覚めさせました。

 私は長年、独りよがりの観念を持っていました。少し技術上で他人より優れていると考える名利心、つまり自我を実証する心がありました。私は必ずこれらの心を捨てます。これらの心は自分と他人に害を与え、大法を破壊することになり許されないことです。私は師父の『オーストラリアの学習者に法を説く』のDVDを頂いて、それをMP3フォーマットに変換しました。これは名利心で行った行為でした。あの時MP3フォーマットは声だけで画面、字幕が出てこないため学法の効果に影響があると認識しただけで、これが法を破壊する行為であることに気が付きませんでした。後で他の同修のMP4に師父の広州説法の第1講と第2講があるのを見て、自分も『オーストラリアの学習者に法を説く』のファイルをAVIフォーマットに変換してMP4、MP5に入れようとしました。VCD、DVDがなくても学法ができて、学生や外で暮らしている同修には便利だと思いました。

  当時、私は師父の『オーストラリアの学習者に法を説く』をAVIフォーマットに変換しただけでなく、広州説法の15枚CD、煉功動作CD全部をAVIフォーマットに変換しました。当時こんな考え方と行為を法に照らして見ておらず、大法の不変不動の威厳と大法を破壊する恐ろしい結果を考えませんでした。ただ他の同修もやっているから、私もやっても大丈夫だと思いました。今考えてみると、当時の私は張り合う心、顕示心などの多くの人心を覆い隠して、人心で間違ったことを行いました。表面的には同修の学法を手伝うためでしたが、実際は自分の私心のためでした。

 間違いを認識したら直すべきです。私は心の底から師父に謝りました。「師父、弟子の間違いです。師父への大きな不敬を必ず直します。現在パソコンにあるMP4とMP5、AVIファイルを全部削除して、同修に渡したファイルも直ちに全部削除します」と話しました。直ちに発正念をする時の手振りが良くなり、効果も良くなりました。私は師父が励まして下さっていることがわかりました。

 その後、気落ちと恐怖の状態におちて、発正念の手ぶりがまた変形しました。後ろめたい気持ちと恐怖心及び修煉に自信がない心が入り混じり、無神経になりました。なぜこうなったのでしょうか。1999年末から2000年初めに、法を暗記することに便宜をはかるため、私は1冊の『転法輪』を1講1冊で、9冊に分けました。当時、これは法を破壊することであると分かりませんでした。後で3年の労働教養を受け、多くの苦を嘗めて遠回りしました。

  2003年秋から再び修煉を始めて、自分がなぜ労働教養を受けて邪に悟ったのかと考え直しました。その結果、このような法を破壊した振舞いこそ、邪悪が私を迫害した一つの口実になったと認識しました。当然他の原因と執着もあります。師父の説法ファイルをAVIフォーマットに変換したことは、邪悪に迫害された以前の情景を思い出して、恐怖と自責の念を感じました。

 同修が私を手伝ってくれ、師父もずっと私を助けて下さいました。正法修煉の最後の時期に、最も重要な衆生を救う時期に、私は精進しなければなりません。倒れたら早く立ち上がり、決して邪悪が存在する機会を与えません。顕示心、安逸を求める心、歓喜心、独りよがりの心、劣等感、あらゆる執着心は全部自分自身ではありません。私の空間場に現れたらすぐ解体します。

  法を多く学んで、多く発正念をして、衆生を救い済度し、自分の主意識を強く持って、真善忍に同化し、真善忍を実証することが真の自我です。私は、必ず大法を堅実に修煉し、先史の願望を果たして、師父に従って円満成就します。

 同修達も法を師にし、私の教訓を参考に、私のように遠回りをしないことを希望します。最後に、師父に感謝し、同修に感謝します。

  2009年5月5日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/5/2/200070.html