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学法は実際の効果を重視すべきで、回数や速さを追求しない

(明慧日本)現在、大法弟子が法を実証し衆生を済度する中で、なかなか時間が足りません。限られた大事な時間に、真に心を鎮めて学法し、大法に同化していくことがすべての大法弟子に求められています。

 師父は『転法輪』の中で、「道具だけで見てはならず、その実際の効果を見るべきです」と説かれたので、われわれの学法も実際の効果を見るべきだと私は悟りました。この実際の効果というのは、同じ時間内に速いスピードでたくさん学法することではなくて(もちろん心を鎮めて学法した上で速く多くするのはよいが)、毎日の限られた貴重な学法時間内にどうやって最高の学法の状態に達して、最善の効果を収めるかについて、私の認識を話したいと思います。

  一、学法を妨害する要素をはっきりと見分けて主意識を強くも

 大法弟子は誰でも学法の時に心を鎮めて、最善の効果を収めたいわけですが、なぜ往々にして思い通りにならないのでしょうか? それはわれわれの後天の観念と執着心、思想業力や異なる次元での輪廻で形成された後天の要素と、邪悪な要素が主意識を妨害しているからだと思います。

 それでは学法の時になぜいかなる時間、いかなる場所、いかなる環境にも関わらず主意識を強く持って、冷静に最善の効果を収める事ができないのでしょうか? その心を鎮めることを妨害する要素はわれわれ自身ではないので、必ず強い主意識を持ってそれを排斥しなければなりません。この排斥の過程こそ、それを取り除く過程でもあります。そのようにできれば、われわれは学法した内容を明晰に、はっきりと大脳に反映することができます。

  二、邪悪の妨害はまず学法から入手している

 われわれは法を実証する前に、まずしっかりと学法しなければなりません。邪悪のわれわれに対する妨害はまず学法からやってくるので、もし、私達が学法を重視しなければ、邪悪は静かに学法することを妨害するだけでなく、ひいては最後にはわれわれを法から離れさせてしまいます。そのため学法の中に現れた妨害は最も厳しく、もっとも邪悪なものだと思います。 

 いまだに一部の同修が学法の時に妨害されています。例えば、学法の時によく読み間違え、集中できずに最後まで読んでも内容がわからず、居眠り、ひいては寝てしまいます。上記の妨害は一部の同修に長期にわたって存在し、ある学法グループはほぼ全員が一定の妨害を受けています。そのため同修はこの妨害に困ってしまうものの、どうしようもないという認識を抱いてしまい、学法するたびに集中せず居眠りをしています。

 学法は形式だけにしないで下さい。学法する時は、はっきり主意識を強く持ち、時間が少なく、たとえ一節しかできなくても、一定の効果を収めなければなりません。真にこのようにできたら、われわれの念は大法の威力を持つようになります。

  三、実際の効果を重んじ絶えず向上する

 長い間、私は毎日学法して、全身全霊を大法の無量の内包と大法のエネルギーの場の中に溶け込んでいた時、それは宇宙の中でもっとも殊勝で最も高い栄光であると思いました。たまには師父から法理に関する啓示を受けてさらに次元を突破した時、体の内部の極小の粒子から最も表面の分子まで強烈に振動していた事を感じる事が出来ました。その時の私は別人のようになり、思惟が純粋で、体が綺麗に浄化されるのです。学法の効果を重視するとき、私が発した正念及び三退を勧めた時の状態も非常によく、ほとんど妨害される事はありません。

 交流を通じて、皆がわかりました。大体の場合、学法の時よく妨害される同修は、毎日学法時間がないとか、少ないわけでもなく、毎日一定の時間を作って学法していますし、学法の量も少なくありませんが、しかし状態がよくなければ効果がありません。その根本的な原因は心を鎮めることができず、ただ数量とスピードだけを追求しているからなのです。一部の同修は『転法輪』の内容をよく分かっているので、『転法輪』を学習する時に慣れた観念と記憶を持って読み、前の文を読んでいるうちに下に付いてくる文を大脳に反映しています。また、主意識をしっかりとコントロールしない同修は、上の文を読んで思わず次を考えてしまいます。一部の人は速すぎて、口で読んでいるうちに目が次に走っていきますし、常人が一目で数行を同時によむ読書法を学法に生かしてしまう同修もいます。もろもろの状態は深刻に学法の状態に影響を与えています。

 一部の同修は余りに読むのが速く、自分はこうしなければ集中できないと言い、遅く読めば気持ちが散漫になってしまうと言います。これも正しくありません。読む時に、主元神は「読む」ことを通じて大脳をコントロールしますので、早く読みすぎると「心を鎮めて学法する」状態になりません。速く流暢に間違えないようにするために、主元神は完全に「読む」ことが主体となり、「学法」をしなくなりました。これは正しくありません。「読む」ことを持って別の形の散漫な状態を隠しただけなのです。

 さらに、法理の上での深い交流を通じて、普段妨害される同修は妨害の本質と自分自身の問題を認識し、学法の時主意識を強くもって、スピードを抑えるようにしました。最初は、集中しない時もありましたが、同修たちは絶えず主意識を強化して、読んだ文を一字も漏れないように、すべてしっかりと大脳に反映するようにしました。そして正邪の戦いの結果、「行ない難きも行ないうる」ようになり、妨害が弱まり、最後になくなりました。妨害をなくしてから同修は心を鎮めて学法する事が出来るようになり、良い効果を得て全体的な向上も現れました。

  2009年5月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/27/199775.html