「不二法門」に対する少しの理解
文/河北省石家荘市の大法弟子
(明慧日本)私は「不二法門」の意味について、修煉する人が法輪大法(もしくは他の法門)を修煉すると同時に、他の法門のものと混ぜて修行することを指しているのだと、ずっと思っていました。私自身は一度も他の法門を修行したことがなく、頭の中にこのような意識さえないため、『転法輪』のこの節を読む時、いつも「自分と関係ない」ような感じがしていました。今日、『シドニー法会での説法』を学んで、師父が説かれた下記の部分を読んだ時に心が打たれ、「不二法門」が自分と何の関係もないとは全く思わなくなりました。
師父は、「…若しあなたが他のものを混ぜて修したら、我々は法輪を取り戻すしかないのです。あなたにこの生命−−高級生命を壊させるわけにはいかないのです。それなら、他のものを学んだとしても、法輪はこんなに大きな威力があるのだから、どうして手助けしてくれないのでしょうかと思う人はいるかもしれません。この宇宙の中に又一つの理があり、何を求めるかは自分で決めることであり、自分自身が求めていれば、もし邪のものを求めていれば、邪のものがあらゆる機会を逃さず入ってくるのです。あなたが求めていなくても、無理やり入り込もうとします。求めていれば、すぐやってきて、一秒も経たないうちに来てしまうのです。法輪は何故手助けをしないのでしょうか。あなたが求めているからです。ですから皆さんはくれぐれもこのことに注意を払って下さい。人が修煉するということはとてもとても厳粛なことです。…」と説かれました。
中国共産党(以下「中共」と略す)は正真正銘の邪教です。私達は思想から徹底的に中共に注ぎ込まれた毒素を解体せず、少しの邪説を持ったまま、それの言ったことは理にかなっていると思ったら、師父がおっしゃったように、邪のものを混ぜて修していることになるのではありませんか?法輪が変形してもおかしくないのではありませんか?これはとても厳粛な事ではありませんか?ここまで思い至った私は本当にびっくりしました。「不二法門」の問題は私に何の関係もないのではなく、大いに関係があるのです!
中共に洗脳されてきた私達は頭に残存する共産党のものをきれいに排除したのかを、私たち修煉者全員がじっくり考える必要があると思います。たとえば、いまだに中共のテレビ番組を夢中で見る同修がいます。それは自ら進んで中共の宣伝を受け入れることになって、それは混ぜて修していることに等しいのではありませんか? 共産党文化の言葉遣いを使用して話す場合は、その言葉の意味を認めることで、それは混ぜて修していることに等しいのではありませんか? 中共の罪悪を暴き出す勇気がなく自分の執着を隠す行為は、混ぜて修していることに等しいのではありませんか? 家に共産党文化に関係する品物をまだ保存しているのは、混ぜて修していることに等しいのではありませんか? 現在、共産党文化は中国の隅々まで浸食して、中国人の仕事、生活のすべての空間に詰め込まれ、私達は自ら排斥しなければ、混ぜて修していることになるのではありませんか? 入念に排斥しないと、私達の思想は決して高度な清浄さに達することができず、結局、最終的に円満成就できないと思います。
師父がおっしゃったのはただ一部の弟子に対してだけでなく、私達すべての弟子に対する言葉だと、今やっと分かりました。師父は私達を1つの全体として見ておられるわけです。
個人の悟りで、間違っているところがあれば慈悲なご叱正をお願いします。
2009年5月5日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/5/4/200190.html)
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