日本明慧
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師を信じ、法を信じて関を乗り越える


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)師に従って法を正す自分の9年余りの過程を顧みると、1999年7月20日から2002年の間、自分の学法が多くなく、法理上の認識も深くないため常人のものに執着し、個人と正法の間の関係をよく理解していませんでした。修煉の道で遠回りし邪悪に妥協したこともあって、今考えてみても師父に顔向けが出来ず、悔しくてたまりません。師父の悟らせて下さる按排と同修の手伝いの下で、再び正法修煉の中に戻りました。自分が転んだ原因を考えて見ると、真に師と法を信じておらず、法を師にしていなかったからだということに気付きました。修煉の道をよく歩みたければ、必ず法を多く勉強し、法の要求の通りに行わなければなりません。その後の数回の魔難の中では、揺るぎ無く歩んできました。以下に、2回の魔難と関を乗り越えた経緯を師父と同修に話したいと思います。

 2006年8月17日午後、数人の警察官達が私の家に飛び込んできて、まず夫(同修)を連行してから、部屋を捜査しようとしました。私は部屋の内側から鍵を掛けました。彼らは門を壊し、私をパトカーまで運びました。私が大声で「法輪大法は良い」と言ったため、1人は頭を押さえもう1人は私の口を押さえたので、気道が塞がり息が苦しくなりました。私は師父に自分の正念を加持し、この痛みを悪人の身体に移して下さるよう求めました。派出所に着いて、彼らは私の目を覆い、2階に連れて行き椅子に手錠をかけました。私は目を閉じて発正念をしながら、自分の心理状態を整理して、警察官に真相を話しました。

 私に迫害を行ったあらゆる人に、一つ一つ大法の真相を伝え、迫害を停止するようにしました。彼らは交代しながら数時間審問しましたが、私も彼らに数時間真相を話しました。翌日、国棟という警察官(私は彼に真相を伝えませんでした)は「某某、あなたが名前を話さなくても俺らは調べられる。今日あなたが話しても話さなくても、サインしてもサインしなくても、俺らはあなたを拘留する」と話しました。私は「あなたが道理を説かないと私も仕方がないけど、私はあなたの名前を覚えました。あなたが私を迫害したために、もしあなたの生命に危険があったら、全部あなたの責任です」と話しました。最後この警察官は私が留置場に移送される時、そっと抜け出しました。

 留置場に移され、私は師父の要求通りに心理状態を整えました。私は修煉者なのでどこへ行っても法を実証し、大法を擁護し、真相を話し、衆生を救うべきです。私は「生きて求める所無く死して留めるを惜しまず妄念を蕩尽すれば佛を修するも難からず」(『洪吟』「無存」)、「大覚は苦を畏れず意思は金剛の鋳生死に執着無く坦蕩たり正法の路」(『洪吟二』「正念正行」)という師父の法を思い出して、心が明るくなるのを感じ、自分がここに来て何をすべきなのかが分かりました。

 当日午後、女の看守は私を呼んで「煉功してはいけない。法輪功を広めてはいけない。留置場の規定を暗記すべきだ」などの厳格な規定を私に作りました。私は不法に連行されて何の国家の法律にも違反していないと話しましたが、女の看守は話をさせてはくれません。私たち夫婦が連行された時、息子はちょうど出張していて、だれも私達の行方を知りませんでした。私は当時シャツと平日家で着るズボンに、スリッパを履いていました。留置場ではご飯を食べようとしても碗がなく、シャワーを使おうとしてもタオルがなく、便をしようとしてもトイレットペーパーがありません。私は後でいっそのこと絶食したほうがいいと思いました。

  絶食したら、私を監視する受刑者の頭目は看守に告げました。すると女の看守は憎憎しげに「今、監獄規定を暗記しろ」と言いました。「私はこの規定を全部知っています。でもあなた達はこの規定通りに行っていません。10項にある権利の第1項が『生命保障権』ですが、私の命は保障されていません。最初警察官から脅迫された時も頭を覆われ、口を押さえられ、もう少しで死ぬところでした。家族は全員私達の生死を知っていません。それにご飯を食べようとしても碗がなく、シャワーしようとしてもタオルがなく、大便しようとしてもトイレットペーパーがないのにどうすれば良いですか」と私は話しました。看守は受刑者の頭目に碗を私に渡させ、私に「必ずご飯を食べなさい。食べなかったら、強制的に食べさせる」と話し、私は「あなたが話さなくても私はあなた達が何をやったか全部分かります。この数年来あなた達に迫害されて命を失った法輪功修煉者が少なくありません」と彼らの凶暴な行為を暴露したので、看守は怒り狂いました。理に欠けたことが分かったように、看守は他の受刑者に美味しい物を用意させて私に食べさせ、寝床もよく整理して、大法弟子を敵視するこの受刑者の頭目をもそれから私を監視させないようにしました。

 留置場で数日経った後、当地の派出所の警察官が私を審問しにきました。女の看守は別人のようににこにこ笑いながら「あなた、今日彼らの警察官に会ってから、何故家族に知らせないのか聞いてみて。その後彼らにあなたの服を持って来るように話して」と話しました。私はそうすると答えました。

 審問の部屋で、女の警察官が「あなたは大法の本をどこから得たのですか」と聞いたので、私は「私の本は中国放送テレビ出版社から出版されています。国家のマスコミが印刷した本で、かつてベストセラーにも入りました。私も大法がこんなに良いものなのを、本を見てから知りました。本の中では真・善・忍の基準に基づいて善い人、もっと善い人になってから、人が無病の状態と功が伸びることに達することができると書かれています。これは天の法で、佛法です。以前私は神佛の存在を信じていませんでしたが、現在は善悪には報いがあるのは天理なのだと分かりました。こんなに優れた大法は92年東方健康博覧会で金賞とスター功法の名誉を受けました。李大師も最も歓迎される気功師になり、短い7年来で1億に至る人が習って修煉しました。人々は全部大法が良い物なのを知っていますが、なぜ邪教だと中傷するのですか」と言いました。

  彼女は共産党が宣伝の中で話した師父が財貨を獲得したとか、豪華な住宅を持っているなどのことを話しました。私は「現在の人に家がない人がいますか。あなたも一般の職員で、あなたには家がありませんか。私達の師父はあんなに偉大な気功師で、家があるのは当たり前のことです。ましてあれは中傷で大げさになりました。私は師父に会ったこともなく、お金を差し上げたこともありません。私の知るところでは、私達あらゆる法輪功を学ぶ人には師父にお金を差し上げた人がいません。それなのになぜ法輪功を邪教と言うのですか」と尋ねました。彼は何も話せず、顔色は青ざめ、それ以上審問をしませんでした。

 もう1人偽善の女性警察官が入ってきて「あなたが他人のために考えてなくても、あなたの息子のために考えてみて下さい。あなたの息子は1人っ子でまだ結婚していませんね」と話しました。私は「私が息子のために考えていない?それともあなた達が私の息子のために考えてくれているのですか。私達の師父はどこでも罪のない人になるように要求されました。私も息子の家で生活を手伝いたいですが、あなたたちが私を拘禁しているのではありませんか。いったい誰が道理を説いていないのですか」と答えました。

 これで、彼女らは二度と尋ねなくなり、私を拘禁されている部屋に戻しました。女看守は私に審問の過程を尋ねました。私はこの機会を逃さず彼女に大法の真相を告げました。看守はその後私に監獄の規定などを暗記させなくなり、報告などもさせませんでした。更に全受刑者の前で「某人は、年を取っており、仕事などは自分がしたければやってもいいが、したくなければしなくてもよい」と言いました。これは師父が私を保護して、励まして下さったのだと考えました。

 この後に、私は監獄の人に、真相を伝え三退を勧めました。ほとんど100パーセントの人が受け入れました。真相を分かった受刑者は「法輪大法はよい。真善忍はよい」と念じた後に、数十年罹っていた憂鬱病と足の痛みが治りました。ある受刑者は、法輪功はこんなによいもので、自分もこれから法輪功を修煉したいと話しました。私に態度が悪かった受刑者も頭目に、絶えず真相を伝える中で、彼女も「法輪大法はよい。真善忍はよい」と念じるようになりました。すると、昔からの足の痛みが治りました。彼女は、他人の前で「お姉さんが私達に真相を話さなかったら、だれも大法がこんなに良いことを知ることはありませんでしたね。私も家に戻ってから修煉します」と話しました。

 私達は、大法の中で修煉した正念と正行で、世の人々を感動させ、彼らに真相を分からせ、生命の未来を選択させました。監獄の1年間の時間で、私が留置された三つの部屋の受刑者は、全員真相が分かるようになりました。部屋を替わるたびに、彼女らは涙で私を見送りました。

 裁判が続々と開廷される時、私は5、6頁の弁護する文章を書いて大法を実証し、大法を擁護して真相を伝えようとしました。開廷の前、私は女の看守に私の弁護文章を見せました。彼女は言葉に真心を込めて「あなたが、こんなに書いていることは理に適っており、思っていることを書いていてすっきりしますが、私は裁判官達が道理を説かないことを心配しています。私はここで数十年働きました。この前受刑者の1人が法官を控訴しましたが6年後に回され、最後にはこの女性は控訴を撤回するしかありませんでした。あなたが書いたこれらも、法廷ではあなたに不利になるかもしれないから、これを渡さないほうが良いです」と話してくれました。私は彼女の話を聞いて、人心が動じましたが、その後すぐ法を暗記して、法で自分がやろうとする事が正しいか量りました。私達の使命と責任は衆生を救うためであって、魔難を減らすために法を実証しないことは、師父の要求されたことではありません。師父は無私無我、なおかつ他の人を先に、自分を後にするという正覚を修めるよう要求されたのではありませんか。こんなに良い法を実証する機会を逃してはなりません。

 不法に開廷された時、私は、正々堂々と私の弁護文章を裁判官に渡しました。裁判官は道理を説きませんでした。最後に私と他の一人同修は不法に1年の実刑判決を下され、他の3人は不法に3、4、6年の判決を受けました。判決の日、裁判官は私に署名をさせました。私は、冤罪を着せるのなら、口実の心配は要らない。某某は濡れ衣だと書きました。裁判官はこのように書いてはならないと話しましたが、私は多くの人の前で、大声で「あなた達は不法に人をここまで連行し、また道理を説かず不法に1年の実刑を下しました。濡れ衣だと話してもいけませんか」と答えました。

 監獄での1年の時間で、私は常に『論語』『洪吟』や師父の短い経文、『転法輪』の目次を暗記して、私の修煉を指導しました。魔難に遭って、如何にすればよいか分からない時、師父は私を悟らせ、私に智慧を与えて下さいました。法理上の指導の下に私達が師を信じ、法を信じたら師父は必ず私達を手伝って、難関を乗り越えるようにして下さいます。正信と正念は法が私達に与えたものです。

 2008年正月14日午後、私と同修が外で面と向かって真相を話した時に、同修の理智でない振舞いと私が真相を良く話せなかったことにより、邪悪に隙に乗じられ、人に通報されました。十字路で、国家安全局の警察官は私達をパトカーに乗せました。当時私は大声で「法輪功を迫害してはいけない。私達は街を歩いているのに、何故脅迫するのか」と言いました。彼らは道理を説かず、私達を公安局まで脅迫しました。公安局に着いて、私は発正念をしながら、慈悲で和やかな心理状態を保って、彼らに真相を伝えました。法輪功を迫害してはいけないと善を勧めました。私達は何の罪も犯していないのに、何故逮捕するのか。多くの衆生が私達を待っているのに監獄、労働教養所などで留まるわけにはいかないと考えました。

  私は部屋に人がいない時、中庭に抜け出しました。中庭にも人はおらず、大門には鎖が掛かっており、大門の方は1人の警察官だけしかいませんでした。私は壁の所まで行って欄干をひっくり返しました。慈悲深く偉大なる師父の加護の下で、2時間で公安局から脱出しました。そして、正法の中へ入って三つのことをやることになりました。

 2009年5月9日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/3/200134.html