日本明慧
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大法を確固として修め、誓約を果たす(二)


文/中国華東地区の大法弟子

(明慧日本)

 三、法を実証する多難な道を歩み、衆生を救い済度する

 1999年「7.20」以降、全世界の同修と共に、私は表に出て、各界政府に真相を伝えました。まず、現地の陳情局に行きましたが、追い返されました。そのため、仕方なく北京へ行きました。北京の国務院陳情弁公室の所在地では私服警官ばかりで、陳情に行った大法弟子はすべて連行されてしまいました。

 2回目の上京陳情も失敗しました。私は周りの人々に真相を伝え始めました。特に、天安門焼身事件が起きた後、私は同僚たちと、病院の患者に真相を説明したり資料を配ったりして、多くの人が真相を知りました。病院は人の流れが多いところで、廊下、階段、駐車場の至る所に私達が配った真相資料が見られました。

 『共産党についての九つの論評』の発表によって、人々は共産党の邪悪な本性が分かりました。私は仕事以外の時間を利用し、家で資料を作り、病院内の同じ課の20人以上の医師、看護師たち全員、さらに彼らの多くの家族たちを脱党させました。彼らが窓の前に立ったり、椅子に座ったりして、両手で資料を持ち、興味深く読んでいる姿を見て本当に嬉しいです。

 私は14年間地元に帰っていませんが、今年は帰郷しました。親族たちが集まっている中でどうやって口を開くか私は悩みました。親族たちに理解してもらえるか、反対されるかなどを心配して、人心が生じましたが、私は絶対にこのチャンスを見過ごしてはいけないと思い、絶対に衆生をがっかりさせないと決意しました。そして、日常生活についての話を少し話した後、私は大法の素晴らしさ、大法が迫害されていること、天安門焼身事件を皆に伝えました。さらに、大法弟子の臓器狩りのことを聞いた親族たちは、皆驚いて目を丸くしました。そして、十数人が脱党し、しかも大法の素晴らしさを必ず覚えると表明しました。この旅は昔の同級生、友人あわせて50人前後を救い済度しました。

  四、家庭の修煉環境を作る

 1999年「7.20」以降、夫は心配して私の陳情を妨害しました。時には大法に不敬な話もしました。私は慈悲心を持ち、諦めずにずっと夫に真相を伝えました。夫の両親に孝行し、夫の弟夫婦2人にも関心を持ち、夫にも優しく対処しました。医者の待遇はとても良く、私は病院からもらったものをすべて夫の両親の家に持って行き、皆に分けます。夫の弟はお金が必要な時、常に私から受け取ります。私は不満がないのですが、夫はかえって文句をいいます。私の夫の両親や夫の弟に対する態度は、とても良いです。こうして、夫の両親は私を娘とし、夫も私に対して良い態度に変わりました。

 夫は脱党しました。そして、脱党した後、大法に対する態度も変わりました。同修が家に来たら、夫は自主的に席を譲り、親切に接客するようになりました。大法に対する態度が変わるにつれて、夫の商売も順調になりました。現在、我が家の生活はますます良くなっています。一家は大法を支持し、大法弟子を支持しています。最後の階段に入り、我々はもっと精進すべきで、三つのことをしっかり行い、もっと多くの衆生を救い済度し、誓約を果たします。

 (完)

  2009年5月11日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/3/200129.html