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師を信じ、法を信じることは向上の根本


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)私は年配の法輪功修煉者で、もうすぐ70歳です。修煉を始めてから度重なる魔難の中で、心が動揺したことはありませんでした。

 順調に数回の病業の関を乗り越えた

 修煉を始めたばかりの時、病業の関が多かったのです。夫は医者なので、毎回病業が出た時、私は夫に分からないようにしました。ちょうどよく毎回の病業は夜に始まり、一晩中苦しくて寝られませんが、朝になったら何ごともなかったようになりました。ただ、一度夫に知られてしまいました。それはある日、晩ご飯を食べるとき、突然脳血栓のような状態が現れ、話せなくなり、下半身が動けませんでした。家族は私を病院に連れてCT検査をしようとしましたが、担当医を探せませんでした。病院で医者をちょっと待っているうちに私は話せるばかりでなく、歩くこともできるようになりました。でも夫は私を帰らせず、他の外来で見てもらおうとしました。医者は「この人のどこに病気がありますか。元気ではありませんか。帰ってもらってもいいです」と話しました。初めから私はこれを病気とは認めず、修煉者は修煉の中で生生世世の業力を消去しているのだと思いました。私は心から、遠回りしないように関を按配してくださった師父に感謝しています。

 『九評』をもらったあの日、私はちょっと怖がる心が生じました。その結果、当日の夜中に息ができなくなって非常に苦しんでいました。私は自分の念が正しくなかったため、旧勢力に隙に乗じられたと分かりました。私は直ちに正念でこれを取り除こうとしましたが、効果がありませんでした。夜12時になって、私は発正念をしようとしましたが身体が動けず、手足が痺れて手も挙げられませんでした。でも頭は非常にはっきりしていました。師父は私達のために多くの犠牲を払ってくださり、師父を心配させたくないため、ふだん問題が起きても師父に求めようとしませんでした。しかし、今回は本当に乗り越えられないと感じ、心から「師父、私を助けてください。私は師父の弟子です。私は師父に従って天上に戻りたいです」と念じました。この時、ぱっと頭のてっぺんから足までの熱い流れを感じ、当時涙が流れました。私は師父が私に新しい生命を下さったのが分かり、師父に何度もありがとうございますと心の中で言いました。朝起きてから私は一気に『九評』を2回読み、中共は何物かが分かり、その歴史となぜ『九評』を広めるのかなどが分かりました。

 今回の経験をしてから、私はもっと多く法を勉強し、考えの中でちょっとした悪い念が生じてもすぐ取り除き、邪悪にいかなる隙にも乗じられることを許しませんでした。

 内に向かって探し、執着を取り除く

 私は他人に何か言われることを嫌がっていました。私は自分が苦を嘗め、もっと疲れても、他人と争ったり、他人の悪口を言うことはしませんでした。これは他人が私の悪口を言うのが怖いからです。誰かが私の事を話すと、直ちに顔が赤くなり、心から苦しくなります。ちょっとしたことでも涙を流し、何日経ってもそのことを忘れず、ずっと心の中に残っていました。

 修煉してからこれらの心を捨て去りましたが、徹底的ではありませんでした。師父が「他人に言われることを恐れる」心を必ず捨て去るべきだと強調されてから、私の息子は何度も私の事を言うようになり、日増しに酷く言うようになりました。私は当時反駁せず、彼の話が正しいかどうかに関わらず、私は必ずこの心を取り除くべきだと考えました。しかし、心から嫌な気持ちにさせられました。私はこれは修煉者の状態ではなく、なぜこの関を乗り越えられないのかと自分を責めました。落ち着いてから、内に向って探しましたが、やはり師を信じ、法を信じる心が確固としていないからだと分かりました。師父は明らかに「他人に言われることを恐れる」心を捨て去るべきだとおっしゃったではありませんか。そこで、私は師父の説法を学びました。一段落を見てから、師父の一言一言は全部私のことを話しているように感じて、自分を照らして見て師父のおっしゃった通りにしようと決心しました。

 私は真に法理が分かってから、自分の心がまるで窓を開いたように明らかになり、気が楽になったと感じました。自分の修煉経歴を通して師を信じ、法を信じれば捨て去れない執着はなく、さらに師を信じ、法を信じることは向上の根本であることが分かりました。

 2009年5月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/5/11/200636.html