■日本明慧
http://jp.minghui.org/2009/05/14/mh151317.html
師父が長春で法を伝えられた当時の思い出(二)
(明慧日本)1992年5月15日から1994年5月10日まで、師父は長春で7回の法輪功講習会を開かれた。一期目の参加者は200人未満であったが、7期目になると参加者はすでに3千人にも達していた。飛行機で遠路はるばるやって来た人もいれば、担架で家族に運ばれて来た人もおり、また、辺鄙な山村から夫婦が子供を竹篭に入れて天秤棒で担いで来た人もいた。まさに「大法に引っ張られた一本の線のように」人々は各地から法を得に来て、また大法を持って各地に戻った。そして、一つ一つの種のように各地で根を下ろし、成長し、花を咲かせ、実を結んだ。師父が種を選び、地を選び、機縁の種を蒔き、水をやり、風と雨を遮ってわれわれの成長をずっと見守ってこられた。14年の間、師父は大法弟子の成熟を待ち、最後の収穫を期待しておられる。
(写真7)
ここで、1994年11月20日、第一回目の法輪大法修煉体験交流会を開催した(写真7)。各地から修煉者が来たが、宇宙の覚者もやって来た。宇宙からたくさんの神や佛がやってきたのを天目の開いている修煉者は見た。木の葉の上にもいた。彼らは大法弟子と共にホールのドアから入り、ある神は次元があまりにも高く、さまざまな形の色鮮やかな星雲を巻きつけていた。カメラはその神聖な一刻を撮影した。
今度の交流会は長春のみならず、全中国ないし全世界からの法輪功修煉者の集まりであり、宇宙の神と佛は我々と共に大法を感得した喜びを分かち合い、短い時間内での師父の弟子の法の中での昇華を称えた。
吉林大学の正門から出てきて、師父が『転法輪』に書かれていたことを思い出した。「この前吉林大学で講習会を開いた時も、ある修煉者が大学の正門を出て、自転車を押して道の真ん中に行ったら、二台の車がいきなり彼を挟み、今にもはねられそうになりましたが、彼はちっとも怖いと思いませんでした。こういうことに遭遇した時、ふつう誰も怖く思うことはありません。その瞬間に、車が止まり、何事も起こらなかったのです」このようなことは長春で沢山あった。たとえば、師父が説法で言及された足場が落ちてきたこと、自転車を引きずりながら逃げた車のこと、倒れている電柱に当たって無事だったことなどなどである。「この類いの事はすべて命を取りにきた例ですが、本当に危険に至るようなことはありません」師父がずっと傍でわれわれを見守っていてくださることを修煉者は皆実感している。
1994年9月18日、吉林大学理化棟の大ホールで長春法輪大法補導員の質疑応答が行われた。「法を透徹に理解し、本当に掌握するべきなのだ。多く本を読み、多く録音を聞くべきである。……法に対する理解は必ずはっきりしなければならない」「私に言わせればこの法に従って学び、この法を完全に理解しさえすれば解決できない問題は無い」(『法輪大法義解』)と師父は強調された。最後に「すなわち私達はまず故郷で先頭に立って皆さんを組織してみませんか。私達はただ一緒に煉功するだけではなく、特定の時間を見つけて一緒に法を学んで一緒に交流してみてはどうでしょうか。学ぶ時間は煉功と同じように決めればよいのです。このようにすれば、もっと多くのメリットがあり、即応性があります。私達は将来、実際問題に遭っても法に則って行なうことができるからです。まず私達から始めましょう。全国各地の輔導站にとても良い作用をもたらすことができます。それから全国各地も同じようにすることができます。このようにするのは、私達が認識を高めることに対して非常にためになるのです。以上は私の提案です」と師父は提案された。
その後、長春の修煉者は法を学ぶグループを作り、法を学び、法を写し、法を暗記するようになった。1995年初頭、『転法輪』が出版されてから、修煉者は着実に法理上で高まるようになり、各地域あるいは海外の修煉者は長春に、法を学んだ経験を交流しに来るようになった。(写真8、9)
写真8:修煉者が写した大法の本
写真9:集団煉功の後に集団学法をする長春の大法弟子
大法がよりよく広まるために、師父は自ら「法輪大法在長春」と題辞を書き記された。師父はお書きになりながら「長春、永遠に存在!」とおっしゃった。長春の大法弟子は、師父が公に法を伝えられて3周年と5周年を記念するために、二回の書画展示会を開催した。師父が後になってこのことを知られて、「功徳無量、功徳無量」と賞賛された。(写真10〜15)
写真10
写真11
写真12
写真13
写真14
写真15
師父は洪法のため海外に行かれたが、1998年7月26日、帰国されてシャングリラホテルで長春の補導員に説法された。ホテルの大ホールに入ると、あたかも師父の説法されたかつての場面が依然としてそこにあるように思われた。後ろの修煉者によく見えるように、師父は積み重ねた上の椅子に座り、5時間の説法をされた。
「実は、長春の古くからの修煉者は皆知っていることですが、当時、法を伝え功を伝え始めた時は、本当に大変でしたが、困難な時期を乗り越えてからやっとこの法を広く伝え、多くの人々に認識してもらうことができたのです。ですから、当初はこれを行う時に、本当に大変でした。しかし、私たちは乗り越えてきました。しかも法はまず長春で広められました。当時、今日のように高く奥深いことを説いておらず、気功から本当の法を伝えるまでの過渡期のものしか説きませんでした。後になって、徐々にこの法を真に説き明かし、多くの人に認識してもらいました。このことは非常に系統的に行われました。……見た目は非常に自然ですが、実は浅いところから深いところに向かって行っています。なぜならば、これほど大きな法を伝えることは非常に厳粛なことだからです」「この法がこれほど大きいので、常人社会で伝わる時の形式に対しても厳しく要求しています。……それはほかでもなく、『大道無形』ということです。ですから、私たちは本当にこれをやり遂げたのです。無形、つまり常人社会でのいかなる形式もありません。しかし、私たちは真に人々に修煉させ、向上させることができます」と師父は説かれた。
当初、師父が法を伝え、我々を救い済度される際に、われわれの善に向かう心だけを重んじておられた。一方、今日になって、いろいろな魔難を経験してきた大法弟子の宇宙を守り、衆生に責任を負う心を重んじておられる。魔難がやってきたとき、師父は弟子たちを率いてこれらの魔難を乗り越えられ、一歩一歩非常に綿密に系統的にこの法を伝えてきておられる。こうして、修煉の形を完全無欠に後世に残してこられた。
14年後の今日、師父の法を伝えられた当初の道をたどると、師父の慈悲なる済度に長春の大法弟子は言葉では感激を言い表すことができない。師父のお誕生日と法を伝える14周年に際して、長春の大法弟子は師父に祝福の言葉を送ると同時に、また誓いを立てた。「私たちは師父の要求された三つのことをしっかりと行っていきます」
(完)
2009年5月14日
(中国語:
http://minghui.ca/mh/articles/2006/5/14/127611.html
)
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