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同情を求める心を取り除く

(明慧日本)中国共産邪党が法輪功を迫害した10年間に、私は多くの損失を受けました。財産を失い、家庭を失い、常人の中の名と利益を失いました。拘禁された中で各種の残虐な拷問を受け、人にあざ笑われ、笑いものにされました。同修は私が何度も迫害されたことに対して、無関心でしかも不満を言いました。辛い思いをしたので、人に同情を求める心が生まれました。

  「ある所で、ある同修が私に対して良くしてくれないので、彼らはその同修を信用せず、その同修には慈悲心がなく、私に同情していないと言いました」 私は何カ所かでこのようなことを聞く前に、ずっとこの執着心に気づいていませんでした。表面的には彼らは私を守ってくれていますが、実際、邪悪の黒い手と卑しい鬼に隙に乗じられ、地区全体の協調がとれなくなりました。

  何度もこれらの話を耳にしたので、私にはきっと取り除かなければならない心があるのでしょう。私は内に向かって探し、他人に同情してほしいという執着心があったために、同修との間にトラブルを引き起こしてしまったことが分かりました。私は直ちにこの良くない常人の心を一掃しなければなりません。

  内心から本当に悟りました。私は法を正す時期の大法弟子で、様々な不公平なことに遭うのは旧勢力の妨害によるものです。師父はすべてを掌握しておられ、それらを見逃されることはありません。同時に私が確かにしっかりと行なっていないところもあります。師父が私のために耐えてくださったのに、私は何が可哀相だと言えるのでしょうか?

  修煉の過程の中で全然苦がなければ、「修」だと言えるでしょうか? 師父が私に修煉の道を按排して下さったので、現れたすべてのことは私に対する試練なのです。三界を離れようとする生命は、すべて悪い事か善い事かを見直すべきです。そうすれば必ず良い結果が得られます。

  これらのことを悟ってから、私と同修の間の恩讐は影も形もなくなりました。同修たちも私のために互いを信じないこともなくなりました。修煉の中でいかなる常人の心もすべて厳格に取り除かなければなりません。 

  個人で悟ったことですので、もし適当でなければ、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

  2009年5月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/5/11/200600.html