日本明慧
■印刷版   

真相資料を製作する中で心性が向上した


文/長春の大法弟子 純清

(明慧日本)私は大学3年生の時に法輪功(ファルンゴン、法輪大法ともいう)の修煉を始めました。卒業後、結婚せずにある都市で仕事をしています。1999年7月20日以降、私は修煉の環境から離れて、常人社会という染物がめの中に身を置き、精進できなくなっていました。修煉を始めたころを振り返ってみれば、毎朝同修とテープレコーダーと大法の横断幕を持ってキャンパスに行き、後に広場で一緒に煉功し、夜にはグループで学法していました。毎日飛躍的に向上していることをつくづく実感していました。そのような環境はまさしく貴重で懐かしいものです。

 師父の慈悲により、同修は度々私と交流し、私を励まし、真相資料と師父の最新の説法を私に送ってくれました。さらに、私に資料配布や真の手紙の郵送等に参加させるなどして、私を助けてくれました。私は2003年にパソコンを買いましたが、普段は学習や娯楽の為に使っていました。2004年になってから、同修から小型プリンターをもらい、真相資料の製作を始めました。最初、心性と技術が低く、プリンターの騒音が大きかった為、非常に緊張しストレスを感じていました。毎日の印刷量は数枚に過ぎず、しかもプリンターはしょっちゅう故障しました。多く法を学び、同修の励ましと助けと協力によって、私は修煉者が一つの全体であると分かり、私の心はだんだんと清らかになって、心も大きくなりました。心性の向上に従って、技術も自ずと向上し、次第にパンフレットや週刊誌の印刷ができ、パンフレットと書籍の編集までもできるようになりました。その後、『九評』、『党文化解体』と『江沢民其の人』などの書籍についての簡単な印刷と製本もできるようになりました。たまには書籍不足状況を解消する為、大法の書籍を印刷したこともあります。今は心境が穏やかになり、毎日の印刷時間は長く、衆生を済度する真相資料の量も増えてきました。

  つきつめて考えれば、少しの向上と前進にも師父の見守りと、励ましがあります。それに関して私は深く印象に残った出来事が幾つかあります。数年前のある夜9時頃、激しく門を叩く音がしました。すぐ隣の人が出て「住む人のない空室だ」と言って、私を守ってくれました。大家さんはかつて彼にそう言ってくれたし、私も彼に真相資料を見せたことがあったからです。それからある日の午前、私は同修に電子ブックを送付していたところ、だれかがドアを叩きました。私はどうあってもドアを開けないと思っていると、しばらくすると音が止みました。後で聞いたら、派出所の人が住民登録審査していて電話番号も残したと分かりました。私はまた来るかと恐れて派出所に電話しようとしましたが、2回かけても通じませんでした。私はふと師父が私を守ってくださっていると気づきました。まもなく私はそこから引っ越しました。

 現在、私は3回目の『転法輪』を暗誦しており、同時に、順番に大量の師父の各地説法と経文を漏れずに読んでいます。多くの執着心と欲望が知らず知らずのうちに薄くなってきてなくなりました。

 毎日明慧や正見ニュースと週刊誌を読む時、多くの精進している同修と一緒に切磋琢磨しているような感じがします。法に照らしながら私は自分の不足を知りました。三つの事のどれに自分がまだ力が行き届いていないのか、どのぐらい時間を費やすことができるかと常に反省しています。今は一刻たりとも千金でも取り替えられません。それは、師父の慈悲により、我々は威徳を建てること、精進できない又は落ちこぼれそうになった修煉者が追いつくようになることと、真相を知らずまたは嘘を信じている人々が真相を知ることにより済度されるチャンスの為に、延長された時間です。

 私は至るところに花が咲くように真相資料製作拠点の一輪の花になりました。こうした師父の按排に心から感謝申し上げます。この花は咲けば咲くほどより清らかで美しく、鮮やかになるように頑張りたいと思います。内に向けて探せば、私はまだ多くの悪い癖、安逸心と恐怖心があり、色情の心も根本的に取り除かれていません。これから、私は旧宇宙で形成した不純なすべてを取り除き、自分の生命のすべてを大法に同化させ、新宇宙の純粋な一粒子になり、師父と衆生の期待を裏切らないようによりよく三つの事を行い、より多くの衆生を救い済度するようにします。

  2009年5月17日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/16/201018.html