日本明慧
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3人の親友の修煉物語:異なる道で同じ家に帰る(写真) (明慧日本) 「わー! あなたも法輪功を練習しているの!」 2004年の秋、法輪功の交流会で、居如さん、玲さん、蔓鈴さんの3人の高校時代の親友は偶然に出会って飛び上がってお互いを抱擁して喜びました。数年間会わなかったのですが、3人は同じ法輪功を修煉する道に入り、以前と異なる人生の道を歩き始めていたのです。
大法に出会い、異なる道で同じ家に帰る 蔓鈴さんと玲さんは中学時代の親友で、居如さんは蔓鈴さんと高校時代の親友でした。蔓鈴さんと玲さんは中学卒業後、連絡がとれませんでしたが、居如さんと蔓鈴さんはずっととても仲が良い友人でした。 もの静かで人に好かれる居如さんは大学を卒業してから、ハイテク会社に勤めました。彼女はとても細心で、注意深く、その上、自ら高い目標を目指していたので、多くの細かい事を思いつめて、いつも気持ちがふさぎがちでした。 童顔の玲さんは有名な日本の会社に勤めて、英語と日本語に長けていました。彼女は、小さい時に家が貧しかったので、ずっと名利や利益を人生の主な目標にして、人から抜きん出ようとあくせく仕事をして、負けん気が強く、そのため非常にストレスが貯まっていました。 にこやかな蔓鈴さんは公務員で、内気な性格の彼女は安定した公職生活の中で、ただよく働くだけで、他に求めることもなく、毎日ごくありふれたサラリーマン生活をしていたのです。 穏やかな日々の中で、彼女たちはいくつかの解けない悩みがありました。居如さんは心霊の本を読み、蔓鈴さんも佛教の書籍を読んでおり、玲さんは数年前から紫微斗数(占術)について研究を始め、大量に生命科学と関係ある各種の書籍を読んでいましたが、やはり答えを見つけることができませんでした。彼女たちは絶えず人生における疑問を解く方法を探していたのです。 2001年、居如さんはおじさんの紹介で法輪功の修煉を始めました。『法輪大法義解』を読んだとき、彼女は以前に読んだ本とは比べ物にならず、とても明快で広々としたものを感じました。法輪功の9日間の講習会に行って、まず読む本は『転法輪』だと彼女はやっと分かったのです。玲さんが法輪功の縁を得たのは、香港にいる1人の同僚と関係がありました。2004年に香港から彼女と同年齢の同僚がやって来ました。彼女はこの香港の同僚の性格が並外れて良いと感じていましたが、その後、この同僚が法輪功を修煉していることを知り、同僚からいくつかの法輪功の真相を知りました。台湾を離れる前に、この香港の同僚は彼女に法輪大法の明慧ネットのURLを彼女に教えました。 玲さんは矢も盾もたまらずインターネットで法輪功の関連情報を得て、さっそく本を買うことを決めました。『転法輪』が郵送されてきた日に、彼女が本を開けて10数ページ読むと、もう止まらないと感じましたが、翌日の出勤に遅れないように、彼女は本を閉じました。『転法輪』を読んだ後、彼女は人生において今まで解けなかったこと、戸惑うことがすぐ分かり、彼女は非常に心地良いと感じ、特別に美しく見えたのです。 最後に修煉を始めた蔓鈴さんは、サービス部門に法輪功の団体があるため、ずっと前に同僚から『転法輪』を借りていましたが、仕事が忙しくて、数ページ読んでから引き出しに入れたままで半年が過ぎていました。ある日、病院へお母さんの付き添いで本を持って行こうと思い、引き出しを開けたとき、忘れていた『転法輪』を見つけ、その夜『転法輪』を読み終わった後に、すぐ彼女はこれは自分が一生探していたものだと感じ、彼女は今度のチャンスを逃さなかったことをとても喜んだのです。 法輪功を修煉してすべてが変化した 法輪功を修煉してから、彼女たちは修煉者の基準に自分を照らして、家庭の中で家族との関係がよくなっただけでなく、仕事の上でもさらに思いどおりになって、人生の目標を見つけた彼女たちは悩みも少なくなりました。何が起きても内に探して、何をするにも他人を先に自分を後に置くという法輪大法の法理は、彼女たちをとても楽しくさせました。 修煉する前、玲さんは妹との関係が悪かったのですが、修煉してからは妹と仲良くなり、お母さんは不思議だと感じていました。法輪功は意外にも簡単に姉妹2人の20数年来の宿怨を解消することができました。その後、玲さんは『転法輪』を妹に紹介して、10数年も佛教の本を読んでいた妹を法輪功の修煉に参加させたのです。 以前の玲さんは名利を求めて、性格も悪く、自分より仕事ができない同僚が昇進すると、いつも嫉妬していましたが、修煉してから彼女はその考えを棄てることができたのです。ある日、出張して帰ったあとに清算すると、上司は、あなたは他の人と違って、公用車があれば公用車を使い、タクシーのお金を浪費しなかったと彼女に言いました。会社では8年間働きましたが、ほとんどの同僚は彼女が法輪功を修煉していることを知っており、彼女を非常に尊敬しており、たくさんの事を彼女に教えてもらっていたのです。 法輪功は居如さんの閉鎖した心を開きました。彼女はすでに世のありように怒りと憎しみもなく、内心はとても穏やかになり、相手の立場に立って考えることができました。自分の基準で弟に求めず、母に配慮して責任を引き受けても、不平をこぼさなくなったのです。以前はうわべを重視した彼女は、今は物に対する欲求をなくして、温和になり、将来はきっと良妻賢母になるだろうとたくさんの同僚が彼女に恋人を紹介したいと思っています。彼女は法輪功を修煉し、自分がしっかりと行う中で、法輪功の穏やかさをあらわしています。 修煉者の風格が現れる 大らかな性格の蔓鈴さんは、修煉して一番の変化はさらに知恵が増したことです。仕事の中で他人に困難な事がある時、彼女は他の人がしたくない仕事を積極的に行いました。最も印象深いのはとても手を焼く難しい仕入れを引き受けたことで、たくさんの同僚が避けたいと思っていました。上司は蔓鈴さんの積極的なやり方を称賛して、彼女が引き受けることを決めました。実は彼女はたいへん不安で、自信がなかったのですが、修煉するうちに彼女は強靱な心になり、もう困難を恐れる心がなくなったのです。仕事をするなかで上司は時には焦って人をののしる事があっても、彼女は怒らず根気よく解決して、すべての仕事を完成させたのです。 彼女の仕事への良い態度は、同時に上司に初めて法輪功を理解させたのでした。 世間の人に法輪大法の良さを教える 2004年の秋の法輪功の交流会で、居如さん、玲さん、蔓鈴さんが会った後、常に一緒に法輪功の勉強会、交流および真相活動に参加していました。彼女たちは法輪功の修煉の素晴らしさを経験すると同時に、明慧ネットにより中国共産党が労働教養、洗脳、拷問、生きたまま臓器を取り出すなどの手段で残酷に法輪功修煉者を迫害することを知っていました。彼女たちは中国共産党がどうしてこのような人に「真・善・忍」を教える修煉団体を恐れるのか、本当に理解できませんでした。 2007年7月1日の香港返還10年のとき、彼女たちは香港で、中国共産党の法輪功への迫害制止を呼びかける活動に参加した時、彼女たちは中国共産党の邪悪を自ら体験しました。そのとき、中国共産党は香港政府に一部の法輪功修煉者のブラックリストを提供して、香港政府を脅迫して名簿にある人の入国を許さなかったので、千人近い人が香港に入国することができませんでした。蔓鈴さんは香港のビザを申請する時に拒絶され、玲さんと居如さんは合法的なビザを持っていても、香港入国管理所で暴力を受けて送還されました。また、居如さんも当局が用意した暴動防止用の毛布に巻かれて、眼鏡、財布さえなくなり、一文なしで台湾に戻されました。 帰って来た後、彼女たちは周囲の人に彼女たちの自らの体験を伝えて、中国共産党の邪悪な本質を知らせ、積極的にさらに多くの人に法輪大法のすばらしさを伝えることに決めたのです。彼女たちは相談して仕事以外の時間を利用し、一緒に法輪功修煉者からなる天国楽団に参加することにしました。この楽団は各コミュニティの活動に参加して、人々にすばらしい音楽と大法の福音を届けています。蔓鈴さんはホルン、玲さんはピッコロ、居如さんはクラリネットを選択しました。 3人は音楽が好きですが、しかしこれまでこれらの楽器を使ったことがないため、まず、練習しなければなりませんでした。多くの練習を通して、彼女たちはいち早く演奏技術を身につけました。蔓鈴さんがはじめて台北のパレードに出場する時、歩きながら吹奏するので、体力的に本当に大きな試練だったのですが、道の両側にいた民衆の喜ぶ表情を見て、すべてのことに気遣うのは値打ちがあると思ったのです。また香港にあるパレードに行ったとき、ルートがとても長かったため、両足がつり始めましたが、彼女は依然として歯をくいしばって歩き続けたところ、それから歩けば歩くほど良くなって、首尾良く全行程を歩き終えたのです。 今彼女たちはすでに台湾、香港、マレーシア、インドネシア、インド、オーストラリアなどで歩き続けてきました。人心を奮い立たせる音楽の中で、彼女たちは民衆が法輪大法のすばらしさを感じていることを見て、このような音楽の形を通じてもっと多くの人に法輪功を理解させ、同時にともに立ち上がって中国共産党の法輪功に対する迫害を制止させることを願っています。 2009年5月18日 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/4/23/199504.html) |
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