日本明慧
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尊師の慈悲なる啓示を悟る(二)


文/大連の大法弟子

(明慧日本)

 三、啓示の下で精進する

 1、真相資料を配る

 1999年7.20、中国共産党は大法弟子を迫害し始めました。その最終目的は衆生を壊滅することです。世間の人に真相を伝えるため、私と妻は同修に手伝ってもらい、2005年10月に家庭に真相資料点を作りました。『九評』、『神韻公演』のDVD、お守りなどの真相資料を作ってから、私達の地元のマンションで配り始めました。最初は恐怖心が強かったのですが、今は余裕を持ってマンションに入り、真相資料を配れるようになりました。また、妻と二人で協力して、真相紙幣を作り、毎週数十枚ほど使うことができます。自分のこの変化は全て尊師の慈悲なる済度があるからだと分かっています。私達に智慧と勇気を与えて下さった尊師に心から感謝しています。真相資料を配る時、すでに他の同修に真相資料が配置されたのを見ますと、とても感動します。私はいつも心からつぶやきます。同修の皆さん、ご苦労さまです!

 2、真相を伝える

 当時の私は真相資料を配る事だけやりたくて、面と向かって真相を伝えることをまだ重視しておらず、それをしたくもありませんでした。尊師のここ数年の説法を何度も学んでから、ついに口を開くことができ、世間の人に面と向かって三退を勧めることができるようになりました。三退を勧めた当初、一度に3人も脱党した時は、本当にとても嬉しかったのです。

 3、利益を求める心を放下する

 私は世間のものに対してとても欲張りで、利益を求める心が非常に強かったのです。例えば、買い物をする時、値段が安く交渉できれば、たくさん買って帰ります。得をして、うまい汁を吸うことにとても喜びを感じていました。しかし、食べきれるかどうか、必要かどうかを考えず、結局浪費をもたらしました。食品に対しても非常に執着して、美味しい物ならお腹が苦しくなるまで食べます。家での食事が終って、まだ食べ残しがある時は、お皿が空にならないので、お腹一杯になっても、食べ残りを全部食べてしまいます。

 数年前、ICテレホンカードの使用が比較的普及しており、欲があまりにも強かったため、街頭を歩く時、IC電話機の前を通ると、取り忘れたカードがあるかどうかを必ずチェックしていました。この全てを邪悪は注視し、私の執着心を増強させるため、なんと数十枚ものICテレホンカードを拾わせました。その後、夢の中で数十回程よく電話機にICカードがあるのを見ましたが、いつも取ることができません。目が覚めてから、これを尊師による啓示だと理解しても、なかなか放下できず、見かければ、また拾ってしまうのです。世の中の財物を放下できないことに苦しんで、尊師に会わせる顔がないと思いました。これまで、私の商売はうまくいっていました。順風満帆でしたが、去年6月から、市場の変化により、私の商売も衝撃や利益の損失を受けてしまいました。このために、私は食欲もなく、よく眠れず、心が苦しかったのです。たくさん学法して、利益を求める心を放下するように妻から言われました。

 尊師は『精進要旨』の「真修」の中で次のようにおっしゃっています。「真に修める弟子よ、わたしがあなたに教えたものは佛を修め、道を修めるための法なのです。 にも関わらず、皆さんは自らの常人の中での執着心を放下できないことに苦悩することなく、逆に常人の中の利益が損なわれたことで、わたしに苦を訴えています。これが修煉と言えるのでしょうか? 常人の心を放下できるかどうか、これは真に常人を超えて歩みゆく至難の関なのです。 真に修める弟子であれば誰でも超えなければならないもので、これは修煉者と常人の境界線です。実は、皆さんは常人の中にある名、利、情が傷付いて苦悩を感じている時、すでに常人の執着心を放下できずにいるのです。 皆さん、必ず覚えておいてください! 修煉そのものが苦しいわけではありません。 肝心なことは常人の執着を放下できずにいることです。 あなたたちの名、利、情を放下しようとする時にこそ、苦しいと感じているのです。皆さんが神聖で清らかで、しかも、この上なく美しく素晴らしい世界から落ちてきたのは、皆さんがその次元の中で執着の心を持つようになったからです。 それに比べて最も汚れた世界の中に落ちたのち、皆さんは速く元へ戻るよう修めることなく、かえってまた汚れた世界の中の汚い物をつかんで放さず、甚だしきに至っては、少しでも失えば苦しみに耐えられません。 皆さん、ご存知ですか? 佛は皆さんを済度するため、かつて常人の中で乞食をしていたのです。 さらにわたしは今日、門戸を大きく開いて大法を伝えて、皆さんを済度していますが、わたしは無数の苦を嘗めても苦しく思ったことなどないのに、皆さんはまだ何か放下できないものがあるのでしょうか? 心の中で放下できないものを天国へ持って行くことはできるでしょうか?」 

 そうです。私は放下できないものを天国へ持って行くことができるのでしょうか? 時が経つにつれ、最終的には、心をえぐり、骨身に堪えるような試練を経て、利益を求める心がようやく薄くなりました。尊師は『転法輪』の中で何度も「自然に従う」ようにとおっしゃいました。私もその自然に従うようにしましょう。諦め、商売ができなければ辞めればば良い、全ては尊師の按配に従おうと思いました。この心が完全に放下できてから1年後、商売はまた好転しました。

 もう一つ珍しいことがあったので、同修と分かち合います。ある日の晩、私は『九評』を作ることを夜中までやり遂げました。やり終えた後に、煉功し、第2セットの功法「法輪椿法」の腹前抱輪の時、手が大法輪に支え上げられているようでした。その感覚は本当に素晴らしく、尊師が私を励まして下さっているのだと分かりました。

 現在は、まさに法を正す最後の最後の時期で、大法弟子は人を救い済度するという偉大な使命を背負っています。私は稼いだお金を大法と世間の人を救い済度するのに用いて行きたいと思います。堅持して三つのことをしっかりと行い、全ての人心を取り除いて、円満成就して尊師と一緒に帰ります。

 (完)

 2009年5月20日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/3/2/196371.html