重慶市:元身体障害者の費明彦さんは永川刑務所で迫害を受けている
(明慧日本)重慶市北ハイ区静観村の法輪功修煉者・費明彦さん(38歳男性)は数年来絶えず迫害を受け、一家は離散し転々としていた。2008年初頭、費さんは重慶市に帰り、青木閉鎮のある工場で働き始めた。その年の3月18日、真相資料を配ったため、北ハイ区の610弁公室に連行され、正当な理由もなく6年の実刑判決を言い渡され、重慶市永川刑務所に拘禁された。
元来手足が不自由であった費さんは囚人服を着ることを拒否したため、殴られて全身が傷だらけになり、顔は青や紫のあざだらけになったが、強制的に石炭を運ばされた。最近、警官は費さんを第14刑区に移送し、更なる迫害を行っている。
費さんは幼い頃から、重度のリューマチ性心臓病に罹り、手足が枯れ木のように痩せ、身体は小さくなり、力もなくなっていた。指を伸ばしたり、歩いたりすることが困難で、身体が極度に衰弱していたが、病魔と闘いながら勉強に励み、重慶广播テレビ大学に合格して、卒業した。
1995年から、費さんは法輪功を修煉し、返本帰真の道を歩み始めた。心性の向上に従い、身体が徐々に良くなり、薬も要らなくなり全て捨てた。さらに自分で商売を始めてお金を稼ぎ、2人の弟を大学に行かせて学費を支払った。
1999年に共産邪党が法輪功を迫害し始めてから、一家の生活に大きな打撃と迫害がもたらされ、常に恐怖の中で生活しなければならなくなった。
2001年、費さんは警官に連行され、3年の労働教養を宣告された。自宅の商店は長安工場に強制的に安く買収されてしまい、数万元の損を被った。
費さんは重慶西山坪で労働教養を科されていた期間中、ひどく殴られ、苦しめられて、何度も入院した。家族によれば、毎回見舞いに行く度に警官に贈り物やお金を渡さなければならず、家計はとても苦しくなった。
釈放された後、費さんはいつも嫌がらせに遭い、尾行され、仕方なく仕事を転々としなければならなくなった。レストランに勤めたり、アルバイトをしたり、工場で働いたりして、家計はとても不安定だった。2007年6月、重慶市西山坪に借りていたアパートで警官に連行され、転向班に拘禁されたが、2日目に、正念で抜け出すことができ、家を離れ、成都でアルバイトを始めた。間もなく父親が亡くなったが、父親の最期の場面にも立ち会うことができなかった。
2008年3月18日、費さんは真相資料を配ったため、北ハイ区の610弁公室に連行され、6年の実刑判決が下された。今、費さんは重慶市永川刑務所第十四刑区で迫害を受けている。
2009年5月21日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/16/200996.html)
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