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Des Moines Register紙の報道:法輪功修煉者が述べた法輪功迫害の経緯

(明慧日本)アメリカのDes Moines Register紙は4月26日、記者であるJohn Carlsonさんによるインタビューを掲載した。この文章は、法輪功修煉者の楊桂珍さんと張春綱さんが法輪功を学習したために、中共政権によって労働教養所に不法に入れられ、そこで受けた迫害について書かれている。

 文章には「米国Des Moines市のアパートのリビングで、ある母親と娘が座禅をしながら中国で受けた迫害について語った」と記されていた。

 彼女らは「労働教養所に入れられた人々は奴隷のように強制労働させられ、労働を拒否しようとすると両手を縛り数時間も吊るされます。中には断食して抗議する人もおり、その人達は汚いプラスチックのストローを鼻から入れられ、胃に直接食べ物を流し込まれました」と語った。

 彼女達は他の拷問についても語った。「飢餓や電撃、殴打や火あぶり、また生きたまま臓器を摘出するなどもしていました」彼女達がこのような迫害について語った時は泣き叫んでなどいなかった。ただ、彼女達はアメリカにいる民衆に中国で起きていることを理解するよう希望しているのである。

 張春綱さん(37)は次のように話した。「私たちは実際にこの迫害を体験しました。他人が拷問されているところもこの目で見ました」張春綱さんの夫と十歳の娘はまだ中国に残されているという。ただ法輪功を学習しただけで、張さんは母親である楊桂珍さんと中国の監獄や労働教養所に二年間入れられた。

 彼女達は2006年に親子二人で中国から脱国し、アイオワ人権部の救済の下、2008年11月20日にこのDes Moines市を訪れた。アメリカに来た後、英語や西洋文化についても学習した。もちろん、彼女らにとって最も喜ばしいことは自由に法輪功を勉強できることだった。

 彼女達はNew Brunswick大学から少し離れたアパートに住んでいる。部屋はきれいに整理されており、簡素な部屋だった。州政府の職員が彼女らにこの家を提供し、生活の必需品や課程を按排した。

 法輪功を学んでいる中国人は数千万人にも及び、修煉者達は法輪功が彼らの心身を良くしていくと考えている。法輪功は宗教ではなく、会員制も取らず、修煉者からお金を一銭も取らない。

 中国の労働教養所に拘禁されている人の約半分は法輪功修煉者である。2007年、アムネスティ・インターナショナルの報道によると、約100人の法輪功修煉者が監禁期間中あるいは釈放後に短時間で死亡していることが明らかになった。その主な原因は拷問、虐待、医療不足などであった。2008年北京オリンピック前の数ヶ月間で、報道によると数千人もの法輪功修煉者が拘束されたという。

 中国で法輪功を学ぶことは危険なことである。しかし、彼女たちはそれでも修煉を止めない。法輪功が彼女達の心身に健康を与えたためである。中国にいることは大きな代償を払うことになる。

 楊さん(62)は2004年5月24日、丹東市の自宅で連行された。彼女の話によると、警官たちは彼女から法輪功の書籍や録画テープを取り上げ、その一日後に労働教養所に移送した。

 ある退職した医者によると、楊さんは24時間監視され、40名ほどの法輪功修煉者が一つの小部屋に閉じ込められ、日夜衣服や手袋などを作らされていたという。

 「労働を拒絶した人々は酷く殴られ、両手に手錠を掛けられ、数時間吊るされていた。もし作業が遅れれば食事することも許されなかった」

 彼女が監獄に入れられた時の体重は63kgであったが、二年間の拘禁により、彼女の健康状態は酷く悪化した。釈放された時には体重が36kgになっていた。

 楊さんは拘禁されていた間、夫が2004年8月28日に他界したことを知らなかった。楊さんの娘、張さんは父親の葬式の帰りに連行された。その後、中国で悪名高い馬三家労働教養所に入れられ、二年間拘禁された。

 張さんは「警官たちは朝四時半に私を叩き起こし、夜遅くまで働かせ、一日中私に法輪功の悪口を言い続けました。私は一人で数週間迫害されました。最後、二度と法輪功をしないという『転向書』を書かされ、私はそこに署名しました」と話した。2005年1月、彼女はこの「転向書」を破棄し、新たに修煉を始めた。

 「警官達は私を一つの部屋に四月一日まで拘禁しました。当時は非常に寒く、全ての窓は塞がれ、外を見ることもできませんでした。私は断食で抗議しましたが、彼らに食べ物を流し込まれました」

 彼女は鉄のベッドの上に縛られ、何かの薬物を注入された後、全身が腫れ上がった。

 「彼らは私を殴ったり蹴ったりして、私が声を出せないよう汚い布で口を塞ぎました。最後に彼らは、瀕死の私を解放しました」

 彼女達はアメリカにあるアイオワ州について知らなかった。ここが彼女達の目的地となることも。彼女達はここの中国コミュニティで新しい友人を作った。その中には梁亞潔さんも含まれていた。粱さんはこのインタビューの翻訳を担当していた。

 梁さんは「もしあの二人が中国に残ったままだったら、生きる術はなかったかもしれません。私たちは彼女達に安全な住環境を与えたいです。その願いはもう叶えられているかもしれません」と語った。

 少し前、この親子二人はDes Moines市の旅行バスに乗り、もう一度旅に出かけた。この旅が彼女らの放浪の終着点となるように願う。目的地はニューヨーク。彼女らがそこで落ち着いて暮らせるよう望んでいる。

 張さんは「私たちはアイオワ州が好きです。でもニューヨークには多くの中国人や法輪功修煉者がいて、その方が私たちに適していると思います。私たちはアイオワ州を忘れません。ここの人々は私たちに非常に良くしてくれました」と語った。

 張さんがここまで話すと、楊さんは微笑みながら頷き、合掌した。

 楊さんは「人々が法輪功を理解し、私たちが善い人であることを知るよう願っています。私たちはただ自由に修煉したいだけなのです。ここにいる限り、私たちは自由です」と語った。

 2009年5月21日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/5/7/200407.html