■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/05/21/mh224416.html 



馬三家労働教養所の法輪功修煉者に対する迫害

(明慧日本)遼寧省瀋陽の馬三家労働教養所の中に、第三女子労働教養大隊がある。その大隊には特殊管理隊が作られており、特殊管理隊の役割は、転向に応じない法輪功修煉者への拷問を担当している。

  特殊管理隊に収容されている修煉者の多くは、長期にわたり絶食して迫害に抗議した修煉者であり、身体がかなり衰弱している。修煉者は、警察、当直隊長、室長らに24時間監視されている。 

  2008年のオリンピック期間中に収容された修煉者は、わかっているだけで遼寧の修煉者・周桂琴さん(60歳前後)、徐惠さん(50代)、劉艷琴さん(50代)、王青艷さん(30代)、李紅さん、王立君さん。北京の修煉者・夏寧さん(50代)、張連英さん(30代)、陶玉琴さん(50代)は(2009年1月に釈放された)。もう1人の修煉者の名前は分からないが、高血圧のために寝たきり状態となり、後でどこかへ移された。

 徐惠さんと、夏寧さんは未だに絶食を続行中であり、2人は痩せ細り、自分の生命をもって迫害に抗議している。警官が2人に対して拷問やあらゆる手段を用いても、2人の固い信念を変えることは出来なかった。今は毎日2回の強制灌食(流動物を鼻から管を通して流し込む拷問刑のこと)をされている。2人が常に言っていることは「労働教養所のご飯を食べるつもりはない! 無罪で釈放すべきだ」と強く意志表示をしている。徐さんは囚人服を着ることを拒絶したため、看守の張雪梅に平手打ちされ、当直の警官に罵声を浴びせられた。徐さんは「法輪大法が素晴らしい」と叫んだため、悪辣な警官に拷問を加えられた。

  周桂琴さんは迫害により身体の機能が弱まり、心臓病が再発し、歩行困難な状態である。

 劉艷琴さんは、労働教養所の衛生条件が悪いため、疥癬に感染し全身の皮膚が腐り、膿が流れ出ている。西岡封閉区の3人の法輪功修煉者が同じ病気に感染していた。この病気は痛いだけではなく、言葉で表現できないほどの痒みを伴い大変辛いのである。

  陶玉琴さんは、2007年に警官に長時間吊り上げられたため、右腕と、手の掌、指が不具になり、腕が曲がらない状態である。吊り上げられていたとき、左手は窓下の湯暖房に手錠で固定され、右手は送湯管に手錠で固定されていた。固定した両手の高低差が大きく、体重が長時間右腕にかかり、そのために腕が不具になった。オリンピック期間中は「徹底的に取り締まる」と言われ、陶さんは度重なる吊り上げの迫害により、両手首の皮膚が剥けて変色した。大便を失禁するまで拷問され、その悲惨な状況はだれが見ても思わず涙を流した。右手が不自由になったため、生活するのはとても不便だった。陶さんは2009年1月に釈放された。

 張連英さんは、労働教養所で名札を付けない、点呼を取るときに数を言わない、審査を受けるための署名をしない、教養所が決めた歌を歌わなかった等のために、吊り上げられたり、高圧スタンガンで電撃されたり、殴打された。2009年の初めに彼女は特殊管理隊に移され更なる残酷な迫害を受けた。

 王青艷さんは「転向」しないだけでなく、「転向」した人に「転向に同意するのは間違っている」と説得したため、悪辣な警官の隊長・董ビンに罵声をあびせられ、殴る蹴るの暴行を受けた。王さんは「法輪大法が素晴らしい!!」と叫んだため、顔が腫れ上がるまで殴打された。警官は暴行したことがばれるのを恐れて、王さんにマスクをつけるように強要した。

 遼寧省大連市の法輪功修煉者・李紅さんは2009年の4月に既に刑期を満了したが、夫が政府に圧力をかけられたため、仕方なく李さんと離婚していた。両親は田舎に住んでいて遠方へ出かけたことがなく、子供は外地で勉強をしているため、迎えに来てくれる人が誰もいないので李紅さんは未だに収容されている。

  遼寧省大連市の法輪功修煉者・王立君さんは、2009年の初めに刑期が満了していたが、夫が亡くなり、迎えに来る人がいないことを理由に、彼女を釈放しない予定だった。しかし、彼女が1日かけて説得した結果やっと釈放された。

  2009年5月21日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/9/200507.html

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