日本明慧
■印刷版   

神韻のチケット販売の過程で、大法に同化し、衆生を救い済度する(二)


文/カナダの大法弟子

(明慧日本)

 二、法をしっかり勉強し、大法に同化する、人を救っているのは大法である

 同修と交流する中で、ずっとチケット販売がとても良くてきでいるある同修が、ずっと発言してないことに気づきました。私は彼女に交流するようアドバイスしました。彼女はちょっと考えてから、ただとても簡単な一言だけを言いました。「すべては師父が行なっておられる」私たちはみな静かにこの言葉を聞きました。私はこの簡単な言葉が私の心を貫いていると感じ、私は本当にとても衝撃を受けました。師父は神韻を利用して大規模に人を救っておられ、私たちは大法弟子としてチケット販売をするにせよ、マスコミ関係の仕事をするにせよ、すべては師父の世間での法力の現れであります。私たちが真に大法に同化してこそ、大法の法力が如意に私たちの身に現れ、衆生を救い済度することができます。そして、私たちは神韻の公演を開催する中で、修煉が第一であると意識できました。もし私たちがよく修煉できていなければ、私たち個人の執着が衆生がチケットを買うことに影響し、衆生が救い済度されることに影響します。

 ある同修はチケット販売の過程で、すべての観念を放下し、いったん人間の考えが浮かんでくるとすぐそれを排斥し、消滅していることについて交流しました。彼女は、チケットを販売する前に、法をしっかり勉強し、しっかり煉功することは神の考えを保持する基礎であり、そうでなければ、ほんとうにチケットは売れないことに気づきました。ある同修は普段大法のほかの仕事でわりに忙しく、チケット販売をはじめる前に、法を勉強する時間がない時さえありました。法を勉強していなかったときは、チケットに興味のある人はなく、この同修が『転法輪』を取り出し、心を静めて勉強をしはじめると、しばらくすると、チケットを買いに来る人がいました。もちろん、この学習者も、自宅で法をしっかり勉強したほうが最も良く、衆生を救い済度する効果もさらに良いと発言しました。

 今回の交流後、同修らはみなチケット販売の自信が強くなり、その後、本当にすべての同修がチケットを販売できました。これは、さらに皆の自信と信念を強くさせてくれました。みな互いに励ましながら、修煉を最優先にし、絶対に個人修煉で起きた問題が、師父が衆生を救い済度する障害になるようにしてはいけないと交流しました。

 今回の交流会の組織者として、交流の中で、私の正念と心性は向上し、強くなりました。まるで師父の指導員へ要求のどおりでした。「指導員は仕事にはできるかぎり責任を負うべきで、厄介な仕事でも主動的にやって行くべきだ。ある指導員は年を取っているかも知れないので、法に対する理解が少し足りない、自分でいいと感じたが、はっきり言えない、それなら何人かの助手を捜して指導員の協力をして仕事をしてもいい。法に責任を負うことに基づくことで、あなた個人の損得ではない、あなた個人の損得でも法と緊密に繋がっているのだ。指導の仕事をするなら、個人の各種の考えでも混ぜ込んではいけない、さもなければ皆個人と集団の修煉を邪魔することになるはずだ。」(『法輪大法義解』「長春法輪大法指導員の為に法を解く」)

 三、正念と全体に対する円容について

 一ヶ月間チケット販売をしてから、私はもうひとつの問題に気付きました。神韻の公演は現地で依然として誰もが知っているような公演になっていなかったため、一部の人は私たちに会うととても興味を持っていて、問い合わせしてからチケットを買いました。また一部の人はまったく無関心であり、一部の人は神韻の公演が好きでしたが、自分で決めることができず、家族と相談しないといけない状況でした。このような状況に対して、私たちはまたトレーニングを行いました。異なるケースに対して、いかに顧客にチケットを買ってもらうか、あるいは再びチケットを買いに来られるようにさせるかについて共に交流しました。同修らは各自自分の意見を述べ、慈悲と正念、真相をはっきり伝えることが非常に重要であるという一致した考えを得られました。

 ある同修は当時、子供が小さくて、仕事をしていなかったため、一週間のうちの4、5日は外でチケットを販売していました。彼女は毎朝、マーケットに着き、準備が整ったら、チケット販売の車の前に立っていました。彼女は自分の体のすべての細胞がみな強大な正念と慈悲な場を発していて、限りなく遠いところまで発せられ、彼女の空間場は穏やかで、すべての衆生にみな神韻のすばらしさを感じ取らせることができると感じました。この同修は真相を伝えるとき、すべての衆生にはっきりと説明し、例え、その人がチケットを買う状況ではなくても、彼に真相を知らせ、そして彼が将来チケットを買うことに基礎を作り上げました。この学習者はどのマーケットのブースに行っても、一地方を守る神のように衆生を救い済度していました。

 またある同修は数年間中国大使館前での抗議活動に参加し、彼女はまた中国大使館前での活動の主力でした。この同修はわりに年を取っていて、英語もあまり完璧ではなかったのですが、彼女は大法に対する正しい信念、着実な修煉と神韻に対する深い理解と人を救いたい慈悲の心を持っていて、正念が極めて強かったです。異なる場所において、彼女の人を救いたい心は常に顧客を感動させ、顧客は彼女のところにチケットを買いに訪れました。チケットを買った後、彼女と親戚のようになった人もいました。10歳前後のある小さい女の子はこの同修が彼女の母を説得して、彼女のためにチケットを買った後、この同修に寄り添って、まるで自分の母親に寄り添っているようでした。これは救い済度された後の無言の感激です。

 ある同修はチケット販売の過程で、正念の作用とマーケットでチケットを販売するグループの同修の間で、調和の取れた、円容で不滅の全体をなすこともきわめて重要であると交流しました。私たちは普段マーケットでチケットを販売するとき、二人から四人を按配し、また週末にはブースの大きさに合わせて人員を増加、削減しました。私たちは私たちのチケット販売グループは常人の仕事をしているだけでなく、衆生を救い済度する大事なことをもしていて、同修の異なる状態に対して円容するだけでなく、さらに正念で加持し、黙々と協力すべきであると理解できました。一ヶ月間、私たちはあまり大きくないマーケットで二箇所のブースを設け、レジは一台しかありませんでした。私たちが正念を持って、全体に円容した時、一台のレジでもオペレーション上いかなる衝突もありませんでした。同時に、二箇所のブースの同修は正念の場を形成し、マーケット全体範囲をカバーしていて、その中でチケットを販売することは、とても楽しいことでした。このマーケットはあまり大きくなかったのですが、毎日数十枚、クリスマスのピーク時には、最大一日中約90枚のチケットを販売できました。当時、オタワから運転時間が一時間半かかる同修もこのマーケットでのチケット販売活動に参加しました。みな自我を放下し、互いに足りないところを補いながら、非常によく協力し合いました。もう一つの大きなマーケットでも二ヶ月間チケットを販売しましたが、一部のよくマーケットに訪れる人は、古い友人のように私たちに挨拶をしてくれました。

 取り上げたいのは、英語ができる同修がいったんマーケットに着くと、老年の同修は黙々と自宅で発正念したり、また一部の老年の同修はブースのそばにあるベンチで、黙々と発正念をし、空間場をきれいにさせ、さらに多くの世の人々が神韻を知り、救い済度される機縁を掴むようにさせたことです。

 昨年は人の流れが大きい店、マーケットと政府部門でチケットを販売することを通じて、私たちは8800枚のチケットのうち、合わせて98%を販売でき、同時に人々が絶えず神韻の情報を聞けるようにさせるための基礎を作り上げました。

 (続く)

 (2009年カナタ法会での発表原稿)

 2009年5月24日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/5/20/201312.html