大法修煉の路は歩めば歩むほど広くなる 文/広東省の大法弟子
(明慧日本)私は1999年初め、幸いなことに大法と出会い修煉を始めました。この年の7.20に中共は法輪功に対して、天地を追い隠すほどの迫害を始めました。私は、師尊に遵って法を正す路を歩み始めたのです。慈悲で偉大なる師尊のご加護を得て、9度目の春秋が過ぎ去り、嵐の中で一つ一つの関門、一つ一つの難関を乗り越えることができ、どんな言葉を用いても、師尊に対するご恩への感謝を表わすことはできません。それでは、大陸の大法弟子の第五回修煉体験交流会で、私は修煉によって執着心を取り除いたこと、師尊について法を正したこと、衆生を救い済度したことについて寄稿し交流したいと思います。
2003年のある日、私は子供を連れて同修と一緒に郊外へ真相資料の配布に行きました。その時、法輪功の真相を知らない人に通報され、私達は警官に連行されたのです。そして、留置所に閉じ込められました。私は日ごろ学法があまりできていなかったので、正念が足りず、身内の情に執着し、旧勢力に隙に乗じられ、2年の労働教養を受けさせられたのです。
私は労働教養所の中で、自分の修煉のことについて反省する時間がありました。師尊は『転法輪』で次のようにおしゃいました。「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」 この法を思い出したとき、今まで眠っていた自分が叩き起こされたように感じました。正法時期の大法弟子として師尊に遵って法を正し、衆生を救い済度する重い責任を果たさなければならないのに、なぜ、常人のものに執着しなければならないのでしようか。悟ったときから邪悪の要求に一切応じないと決めました。まさに師尊がおしゃったように、「大法弟子として、なぜ、迫害を受けている時に、邪悪の徒を恐れるのでしょうか? 問題は執着があるということですが、そうでなければ、消極的に耐えるのではなく、絶えず正念をもって悪人を正視してください。たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないでください。」(『精進要旨ニ』「法弟子の正念は威力あるものである」)そこで、私はチャンスを見計らっては労働教養所内の人々に真相を伝えていました。
2年の不法な労働教養を終えて家に戻った私は、別の監獄に入れられたような気がしました。それは、邪党は法輪功に対して迫害を始めてから、私は幾度も不法な労働教養を受けさせられ、家族も心身ともにダメージを受け、家族は私に対して理解ししなくなり、私の行動を制限するようになりました。これは原因の一つですが、最大の原因はやはり長い間、学法していなかったことにあり、法に基づいて行動するのではなく、常人の観念で行動するようになりました。その常人の観念で同修のことを判断するようになり、同修と接触するのも嫌になりました。自分が自分を封じ込め、閉じこもるようになったのです。こうすればするほど、家庭の環境はますます悪くなる一方で、家族は私を家から追い出すとまで言い出したのです。その言葉を聞いた私は悲痛な気持ちになり、主人と離婚しよう、家を出ようと考え、正念がなく、自分が大法弟子であることさえ忘れてしまいました。
数ヶ月が過ぎました。ある日、同修にばったりと出会い、同修は私にまず家から一歩踏み出し、全体の学法に参加し、同修とよく交流すべきだと勧めてくれました。そして、師尊の『経文』と『明慧週刊』を渡されました。学法しているうちに、自分の主意識が段々とはっきりするようになり、私達は小道修煉ではなく、独修してはならず、私達は正法時期の大法弟子であり「自分が修煉するだけでなく、衆生も済度しなければなりません」(『転法輪』)師尊に遵って法を正すことは私達の神聖なる使命であり、責任でもあります。大法弟子は一体となり、師尊がおしゃったように「ですから、心性を強調し、全体の向上、昇華を強調するのです。」(『転法輪』)、「共同に精進すれば、前程に光明あり」(『洪吟』「融法」)このようにして初めて先史の誓いを果たすことができるのです。
法理を悟ったので、家庭の束縛から抜け出さなければならず、全体の学法に参加することにしました。学法していくうちに心性もだんだんと向上し、正念も強くなっていき、家庭の環境も自然と良くなったのです。家庭からの妨害がなくなり、私は再び正法の路を歩み始め、衆生を救い済度することを始めたのです。最初は面と向かって真相を伝えるのはできなかったのですが、同修と一緒に真相資料を配りに行きました。我が家は商店を経営していて、毎日縁のある人がたくさん買い物に来ます。彼らが救い済度される機縁を失ってはならず、彼らを救い済度しなければ、と思うようになり、恐れる心を取り除くよう努力しました。師父は次のようにおっしゃいました。「修煉は厳粛なことであり、このように恐れ続けていけば、いつになったら、恐れの心の束縛から解放されるのでしょうか?」(『至難の関から抜け出す』)人心があるから恐れる心があり、神は恐れる心がないのです。そして、大法弟子として自分の店での衆生済度を始めたのです。
面と向かって真相を伝えると同時に、真相資料の配布も続けていました。今まで配布した資料は同修からもらっていたのですが、同修の多忙な姿を見て、何もかも同修に頼るのはよくないと思い、自分は学問のレベルが低いからという観念を突き破らなければ、と思いました。そこで、パソコンの使い方から資料の作り方、そして印刷まで勉強を始めました。本当に師尊がおっしゃったように「修は己にありて、功は師にあり」なのですから、短期間でマスターできたのです。大法弟子が何をしようとしても、正念さえあれば、師尊が助けてくださり、智恵を開いて下さるのです。そして、花が次々と開くように全国に資料点(真相資料を作成する場所)が増え、私はその花の一つになれたことを幸運に感じています。
私は商売上の有利な条件を利用して、紙幣に真相を書き、つり銭としてお客さんに渡していて、ごく自然で受け入れやすいのです。店で流れている音楽は大法の音楽であり、お客さんの良くない考えを浄化することができます。それから、私が作った資料点は同修に供給するまで成長し、全体の協調に役立つようになりました。これから、三つのことをしっかりと行い、師尊のご加護の下で、一歩一歩確実に自分を高めて生きたいと思います。
次元が限られており、法に符合していないことがあれば、慈悲にご指摘して下さい。
2009年5月25日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/9/200485.html)
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