大法弟子は一体になるべきである ーカナダ法会に参加した感想 文/トロントの大法弟子
(明慧日本)5月17日、ちょうど機会があって、私はカナダ法会に参加できました。同修たちの交流を通して、大法弟子は一体になるべきであることをさらに深く認識できました。
同修の元さんが話した、「同じ地域の大法弟子が一体になった途端、大法弟子の全体はまるで大周天が通じたように、脈もなくツボもない境地に達しました」という言葉は、私にとって衝撃でした。大法弟子一人一人は宇宙の「脈」のように、全体的に一面につながれば、計り知れない強いエネルギーになります。師父は次のようにおっしゃいました。「一人の佛がちょっと手を振るだけで、全人類の病気を取り除くことができます。」(『転法輪』)未来の佛・道・神がこんなにたくさんいるのに、もし我々が一体になれれば、できないことはないでしょう。
大法弟子は普通の常人から抜け出し、修煉に入り、そして個人修煉から正法修煉までの過程を経験し、今は最後の最後の段階に来ています。大法弟子は一体になるべきであると思います。一体になることは新宇宙が必要とすることです。旧宇宙になぜ旧勢力が現れているかと考えれば、彼らは全体に圓容することが分らず、自分自身に執着するという基点で師父が正法することを邪魔しています。しかし、私たちはかつて旧宇宙の命で、自分自身に執着する心も持っているので、同修に合わせたり、協調し合ったりすることでその執着心を取り除くことができます。自分自身を放下し、全体に圓容すれば、新宇宙のレベルに達することができ、二度と旧勢力が正法を邪魔し、衆生が滅びることがないよう、永久不変を保証します。
大法弟子同士の隔たりをなくす過程でも、ひたすら内に向けて探し、根から私利を掘り出し、自分の容量を広くし、根本から常人の観念を変える過程であり、個人と全体の向上は連帯していることです。同修たちとの交流を通して分かったのは、ある地域がうまく協調できたら、真相を伝えることがやりやすくなり、結果も良くなります。もし全体的に協調することに隙ができたら、真相を伝えることもやりにくくなり、結果もうまくいかないのです。師父は次のようにおっしゃいました。「皆さんが一つの全体をなしており、まさに先生の功のようです。もちろん皆さんは功とは別のことですが、ただ喩えに使っているだけです。」(『導航』 ワシントンDC国際法会での説法)確かに、私たちは師父の功の粒子のようです。このような粒子は反発し合うと思いますか?絶対ありません。
法会の会場で、師父から送られた「祝辞」を拝聴し、さらに厳しく指摘してくださったと理解しました。なぜある地域は、真相を伝えにくいのでしょうか? それは法を理解しなかったため、自分をきちんと修めず、強大な正念が生じませんでした。他の同修がアドバイスを出した時に、真っ先に「できない」と考え、自分がどうすれば合わせられるか、同修の足りないところにどう足せばいいかと考えていません。このような考え方はある地域ではもう習慣となり、このような観念を変えなければなりません。
師父は「邪悪がおしまいになり、環境が変わりましたが」(「祝辞」)とおっしゃいましたが、邪悪がおしまいになったら、なぜ迫害と邪魔する要素がまだありますか? 師父が邪悪がおしまいとおっしゃったらおしまいです。以前、何に遭っても「旧勢力の按排」、「邪悪の迫害」だと強調していましたが、旧勢力も邪悪もなくなった今、存在するはずのない邪魔の要素と迫害は大法弟子の常人の心によって作られているのではありませんか? 無条件に自分の内に向けて探す時が来ました。内に向けて、根から自分の私利を掘り出し、同修との隔たりを堂々となくしましょう。地域の中で一体になり、地域と地域も、海外と中国国内の同修も、西洋人同修と華人同修も一体になり、正真正銘自分を放下し、無私を修め、もっと神の状態に合わせられれば、私たちは自信満々に、堂々と新宇宙に入ることができるのです。
2009年5月26日
(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/5/21/201330.html)
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