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法を暗記し心を修めることについての体験(一)


文/カナダトロントの大法弟子

(明慧日本)

 尊敬なる師父にご挨拶申し上げます。同修の皆さん、こんにちは。

 私は2000年5月に法輪功の修煉を始めた大法弟子で、尊敬なる師父の法の中で修煉し、あっという間に9年が経ちました。

 2008年9月1日、天梯書店はトロント支店をオープンしました。私は初めて「天梯(天へのはしご)」という二文字を見た時、いろいろと考えました。

 師父は『棒喝』の中で、「天神まで私が人間に天に昇るための梯子を残したと言っています」とおっしゃいました。師父が私たちに伝えられたこの大法は、1本の天に登る梯子なので、大法弟子はこの梯子を登る修煉者です。しかし、私はこの天梯までとても遠いようで、その上を登っているような境地を感じないだけでなく、その意識さえありませんでした。私はとても驚きました。

 考えてみれば、この数年の修煉の中で、私は根本を捉えておらず、何か大法の仕事をするのが修煉であるような錯覚に陥りました。毎日法を学んでいますが、仕事をする心理状態になっていて、法を学ぶことが二の次になり、甚だしきに至っては法を学ぶ時、どのように仕事をするのかに考え事をしてしまうのです。言ってみれば、私の法を学ぶことに対する認識は、自分が仕事をする時にうまく運ぶためであって、この法を1本の天に登る梯子として登っていませんでした。したがって私は天梯の上におらず、当然ながらそれを登っているような境地を感じることもできず、その意識もまったくありませんでした。私は生前のことは知りませんが、この一生の中で、私はこの法を得るために多くの苦しみに耐えてきました。しかし、この法を得てから、かえって大切にすることができませんでした。では、どうして大切にしなかったかを追及してみました。自分の能力が強くて、智慧があって、意志が堅固で、悟りが良く、これらに任せて修煉の中で成就できると思っていて、そして仕事をした時の歓喜心がさらに加わり、自分の能力をかなり重要な位置に置き、大法と法を学ぶことを副次的な位置に置いてしまったのです。

 自分の今までの人生を振り返ってみると、常人の中の良い役職を得るため、私は20年あまり貧しくて辛い学習環境の中で、中国から外国の学校にまで行って学びました。今この師父の伝えられた大法を修煉することによって、私を円満成就させることができながら、しかし私はどれだけ精を出して学んでいるのでしょうか。事実上、まさにそれらの教育が人の悟性を深刻に妨害していて、人は常人の中の物事や自己に迷っていて、宇宙の大法の貴重さに気づかなくなり、道理で大法の偉大な威力を感じられないのであって、これは人の最大の悲しさで、私自身の悲しさでもありました。

 考えを切り替えるに連れて、私は法を学ぶことに対していまだかつてない渇望が出てきました。私は法を心の中に入れようとすれば、『転法輪』を暗記しなければならないという一念を浮かびました。つまり法を暗記することによって法を学ぶことです。法を暗記することは苦しみに耐えることだと知っていますが、失わなければ得られず、私は1講を暗記すれば、そのぶん1講を得ることができます。修煉と生活の中のことをすべて平常通りにして、普段の法を学ぶ時間を利用して、毎日およそ1〜2ページ暗記して、量を求めず、速さも求めませんでした。こうした中で私が感じたのは、苦しみに耐えることを恐れず、代価を払うことを恐れないで、法を頭の中に暗記し、心の中に入れて、そして大法に同化しながら自分を修めることが善念であり、佛性であり、それによって大法は絶えずあなたに現れ、師父は絶えずあなたを悟らせ、あなたは絶えず新しい理解と新しい収穫があるのです。したがって、法を暗記する時、速さを求めてはならず、それなりの次元に合わせて相応しいスピートで行えば良いと思いました。このように順序に従って漸進して、私は、自分は毎日師父が与えてくださった天梯の上を登っていると体得し始めたのです。

 法をページ毎に暗記すると同時に、私は毎日またすでに覚えた部分を暗唱し、毎週また覚えた部分を第1講から暗唱するようにしています。私は毎日少なくとも2時間を費やしてバスに乗っていて、ほかにすることもなく、私は法を暗記することに利用しています。家で法を暗記する時、私は座禅をして目を閉じて、黙唱あるいは暗唱するようにしています。そのひと時、すべてがなくなって、師父の法と私だけが存在するような気がしました。自分の心、生命の本源、いつも師父の慈悲と、法の偉大な威力に揺り動かされて、涙がぼろぼろと流れました。

 6カ月過ぎて、第9講を暗記し終わった時、私はこれは終点ではなくて、起点であると分かっていました。したがって、私は繰り返し法を学んで暗記し、毎週9講を一通り暗記するようにしています。『転法輪』の9講の中で合わせて60節あって、私は1節を暗唱し終わってから、本を出してその1節を一通り読むようにし、法を暗記する時の誤りを是正しています。

 (続く)

 (二〇〇九年カナダ法会の発表原稿)

 2009年5月28日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/5/20/201299.html