獄中で法を得た1人の修煉者の体得(二)
文/大陸の大法弟子 精進
(明慧日本)ある年の師父の誕生日に、私は両手で合掌して心の中で敬意と祝福を表したところ、同室の人に見られて刑務所の隊長に告げ口をされました。このために大、中、小の隊長はすべて何度も私を呼んで話し、私に法を学ぶことを止めるような内容のものを強制的に書かせました。強い脅迫の下で、私は冷静に彼らに考慮する時間を3日下さいと返答しました。3日後、私は真相を伝える文章を差し出しました。私はその中で自分が法を得た経緯を述べ、師父が私の命を救ってくださったこと、法を得てから身体は丈夫になり、身体に感じたことと天目の中で見た光景等のすべてを書き出しました。後に隊長たちは私を呼んで話して、圧力を加え、24時間監視させました。私はすでに命すら捨てていたため、まったく恐れませんでした。それに私はその他の方面がすべて比較的良かったこともあって、彼らもどうしようもありませんでした。
このことのため、私は後に生産大隊に移されました。そこの労役はもとの新米大隊より何倍もきつくて、毎日深夜の1、2時にようやく休むことができ、多くの古い修煉者はこのようなひどい迫害の中で我慢できなくなって、所謂「反省文」を書きました。そのことで私は悲しくなり、心の中で、私は新しい修煉者で、経済の事件でここに入りましたが、しかし大法を確信し修煉する機縁を大切にしなければならず、よく法を学んで、苦しみに耐えることによって業力の消去ができるので、私はいくら苦しくても恐れることはありませんでした。隊長はたびたび私を呼んで話しましたが、しかし私が堅持することを見て、とうとう私の信仰を尊重すると言うしかなく、他人に教えない等を言い付けました。
監獄の生活は10年近くなりましたが、このようなひどい環境の中で、1人の大法弟子として、私は大法のために何かをしなければならないと思い、堅持して絶えずみんなに真相を伝え続けて、後に三退の事も行うようになりました。
私は人に濡れ衣を着せられて入獄したため、かつて数十年苦労して経営した企業はなくなり、私の所有していたほとんどの財産はすべて不法に剥奪されて、自分の数カ所の住宅も人に占有されており、数千万の帳簿の金も不良債権になりました。しかし私は恐れることなく、自分はすでに大法を学んでおり、師父がおられるので、師父は大法弟子の1人である私を路頭に放浪させることはないと確信しています。
刑務所から出ましたが、生活は比較的苦しく、家も職業もなく、しばらく身内の家に住みました。他の人が私に借金があっても、返って来ることはなく、訴訟をして家を取り返す費用もなく、こうした情況の中で、私は、私の以前の生涯に人に借りがあって、このような方式で返済しているのかも知れないと思いました。もし私が彼らに借りがなかったら、彼らはわたしに徳を与えなければならないので、私はこの事を薄く見るようにしました。
私は新しい修煉者であるため、すべて時間を法を学んで功を煉り、自分の心性を高めなければならないと思いました。
私はやっと師父の肖像と経文を拝見することができました。これは数年来昼夜待ち望んだことで、ついに待望を実現することができました。私は師父の各地での説法の本とビデオ映像を見て、とても感動しました。師父の私に対する慈悲に感謝し、獄中で大法弟子が自身も迫害されながら、私に法を得させるために払ってくれた努力に感謝します。
今の生活は比較的困難ですが、しかし私は堅持して実修することができ、まじめに修煉して、努めて1人の真修の弟子になります。努力して古い修煉者に学び、自分の執着心を大いに取り除き、正念を発することを堅持して、真相を伝えて法を広めます。
次元が限られており、不適当なところがあれば、ご指摘願います。合掌。
2009年5月31日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/5/27/201687.html)
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