真相を伝える中で向上する 文/中国の大法弟子
(明慧日本)2009年5月20日、数人の同修で、対面して真相を伝え、衆生済度する問題について交流しました。各自が真相を伝える中での不思議な体験を話し、よい方法と経験を紹介し合いました。正念正行のもと、対面して真相を伝えることは難しいことではなく、絶えず突破することができ、恐怖心のないことが対面して真相を伝える上で一番よい状態だと一致しました。
一、真相を伝える過程は修煉の過程
ある同修は真相を書いた紙幣を使う際に、偶然何気なく話したことに、巨大なエネルギーがあると話しました。ある日、同修は真相紙幣を使って新聞を買おうとした時に、相手に拒否されました。冗談半分に「あなたが真相紙幣を受け取らなければ3日間、商売に影響しますよ」と同修が言いました。結局、新聞屋さんはその日ほとんど売れず、翌日再び会った時に、積極的に真相紙幣を要求しました。「まだ3日終わっていないけど」と同修がまた冗談半分に言うと、3日も、待っていられないとのことでした。勿論、自分で話してそのことを定めたこと自体がよくなく、闘争心がありました、そして真相紙幣を受け取らない時にこそ真相を伝えるべきで、相手が理解すれば排斥しないはずです。
二、心性が境地に達していれば奇跡が起こる
ある同修は、自分は学歴が低く話が下手で、ふるさとの地元の人はあまり理解せず、三退もほとんどしていないそうです。今年73歳になった同修は故郷の「73才のお祝い」の慣習を利用して、衆生を済度することを考え、お土産と真相資料を準備して、正念正行の下、出発しました。とても賑やかなお祝いの雰囲気の中で、学歴のないこの同修は真剣に『転法輪』の中の酒とタバコに関する講を読みました。結局17世帯の25人が三退し、店の従業員2人も喜んで三退しました。
もう1人の同修の話ですが、この同修は以前身体が弱かったのですが、現在はとても元気になりました。そして自分1人で自転車を漕いで実家に帰ると、皆が驚いていました。ある親戚は腰が悪くて真直ぐにならない状態で、今回法輪大法を信じて「法輪大法は素晴らしい」と念じていました。すると腰の痛みがなくなり徐々に真直ぐになり、翌日出勤しました。同修の実家の人がもと共産党青年団の書記を担当した時に入団させた数人も今回三退しました。こういう時には、少しお土産が必要で、金を使って人を済度することにも価値があります。人を救うことならばそれくらいの金は全く平気でしょう。
三、常人の状態に合わせて話すことは慈悲なこと
最初は常人を誉めて、親近感が沸いてきてから、少し話しているうちによい名前を作ってあげると、すぐに三退をし、直接本名でする人もいるとある同修が紹介しました。バスに乗る時に、縁のある人を探すため直行バスをさけて、わざと乗り換えて車中で人と話し、或いは手伝ってあげて、三退を勧めます。
よく考えて見ると、救出される人と交流し親しくすることは慈悲なことであり、話の中で相手が受け入れること自体も背後の邪悪を滅したことになります。同時にこの人は助かり、新生するのです。常人の状態に合わせて交流する事は大法弟子が衆生を済度する慈悲な表れなのです。
四、師と法を信じ、恐怖心をなくすのは最良の状態
対面して真相を伝えることは恐怖心を無くす過程でもあり、修煉の一つです。対面して真相を伝える時に、もし恐怖心が沸いてくると、時には聞く側が「法輪大法は素晴らしい」と叫ぶ場合があります。これはあなたの恐怖心を無くすよう注意を喚起しているのだとある同修は紹介しました。恐怖心がなければ、なんでも順調で効果もよいのです。
もう1人の同修は、恐怖心を取り除いてから、私たちは普段の生活の中でよく私たちと会う世間の人に「法輪大法は素晴らしい」と挨拶するように呼び掛けるべきだといいます。なぜならば、このようにすれば法を実証する和やかで、活気のある雰囲気を作れるからだと話しました。例えば市場の中で、顔なじみの店主に、冗談半分に「だれかが私に会って『法輪大法は素晴らしい』と言えば、その人の物を買いますよ」と話します。もちろん、余り固く一律にするのもよくないし、良い雰囲気の中で人を救い済度する事です。
五、注意すべき二つの問題
1、大法が人を救い済度し、病気治療の効果があると話す時に、くれぐれも病気になったら薬を飲み、病院に行くことを否定しないで下さい。いきなり大法が病院の代わりになるなどと話してはいけません。世間の人はそれぞれで、大法を信じるのも低い次元なのです。一部の人は何となく分かりますが、最初は真相を知った人に対して、やり方を教えて自分で判断させることが必要です。同時に他の方法を排除しないでください。
2、現段階で他の宗教を信じている人は比較的救い難いのです。往々にしてその宗教をもって法輪大法を排斥し、拒否しています。実は、他の宗教はすでに大法のために前もって準備されたものであり、いまだに固執すると救われる機会を失い、大法を信じることの妨害になります。大法を排斥した時に、一部の同修は「私はあなたに大法を信じるようにと勧めていません」と言いますが、こう言わないほうがいいと思います。本来真相を理解し大法を信じさせるのが目的なのに、本意に背いてはよくありません。大法を信じて、返本帰真することこそ人として生きる目的です。したがって、我々は大法でしか修煉できず、返本帰真できないという道理を諭してあげるべきで、どちらを信じるかは自分で選択すればよいのです。
2009年5月31日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/23/201477.html)
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