日本明慧
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どんな時でも内に向けて探し、自分を修める

(明慧日本)もう70歳をすぎたA同修は私の姉で、協調人のB同修と、私たちは同じ学法チームにいました。学法チームはどんなことがあっても、一度も学法をやめたことはなく、真相を伝えることもやめませんでした。私たちには直接会って真相を伝えることや、真相資料を配る、携帯のショートメールで真相を伝える、社会各界の人に真相資料を配るなど、いくつか方法がありましたが。私たち高齢の3人は主に直接会って真相を伝えるという方法で、怠けずに続けてやっています。

 しかし、最近皆は自分の向上が遅いと感じて、内に向けてたくさん探したのに、取り除いた執着が少なかったのです。特にA同修は、大法が迫害されたことで、江沢民を怨み、髪の毛が白くなるくらいに苦しんで、人の心が多く、どれから取り除けばよいかわかりませんでした。私はよく彼女に指摘し、何回か重ねると不満も募りました。ちょうどB同修ともう1人の同修が彼女と交流し合い、A同修はようやく不満をぶつけました。「あなたたちは誰か本当に内に向けて探しましたか? 誰か向上しましたか?」という言葉に私は衝撃を受けました。「そうですね。なぜ私は彼女の欠点ばかりを見て、逆にそれこそ私が修めるべき、取り除くべき人の心であると考えていなかったのでしょうか?」と思いました。結局、自分は向上のチャンスを逃し、逆に同修を不快な気持ちにさせてしまいました。

 B同修は協調の仕事で、毎日非常に忙しく、大量の時間と精力を費やし、とても大変でした。しかし、彼女の性格は元々大雑把なので、物事の後先をうまく考えずにしていることは、B同修にとって良くないと思い、いつも問題が出ると真っ先に指摘しました。何回か指摘した後に、B同修は私に「あなたは口を修めると言っていましたよね?」と言いました。しかも、私が指摘すると彼女は内に向けて探すと言うのに、なぜか私はずっとB同修の不足を指摘し続けていました。最後、B同修は学法チームで、内に向けて探すことについて交流し、私の不足を指摘しました。一度、邪悪の所に近距離の正念を発しに行く時、私はバスの中で常人の話ばかりしていて、静かに正念を発しなかったと言いました。その時の私は、彼女が私に欠点を指摘されたから報復していると思いました。B同修は私にそれが党文化で、自分の立場を使い、修煉者にふさわしくない行為をしていますと言いました・・・。

 私は少しも内に向けて探しませんでした。一つ一つ向上できるチャンスを逃し、とても後悔しました。夜、夢を見ました。自分が飛行機に乗っていたのに、しかし飛行機は飛んでいってしまって自分が残されました。焦って起きたら、夢だと分りました。本当の大法弟子は、内に向けて探すことが分からないなら、自分を修めなければ非常に危険だと分りました。

 この頃の出来事をもう一度考えると、私は「正法時期の大法弟子は必ず三つのことをちゃんと行わなければならない。ただ毎日外に出て、たくさんの真相を伝えても、自分を修めず他人の欠点ばかり探すだけでは、いつになっても向上することはできない。それは修煉者の状態ではなく、常人が大法の事をやっているだけだ。修煉を無駄にしたのではないか?」と悟りました。深く内に向けて探し、自分を修め、常人の心を取り除くことの大切さに気付き、大法弟子は全体的に向上しなくてはならないと悟りました。うまく真相を伝えるだけで満足することでは、全然足りません。

 師父のご按排に感謝します。もう自分を向上できるチャンスは二度と逃しません。同修の皆もいつも、どんな時でも内に向けて探し、自分を修め、もっと多くの衆生を救い済度します。

  最後に、共に師父の『洪吟』「苦其心志」(その心志を苦しめる)をもう一度読みましょう。

 圓満となって佛果を得る
 吃苦を当(まさに)に楽と成す
 身を労するを苦と算(かぞ)えず
 心を修するは最も過ぎ難し
 関という関は都(すべ)て闖(こ)え得る
 處處(いたるところ)都(すべ)て是れ魔
 百(よろず)の苦一斉に降る
 其の如何に活さるかを看
 世上の苦を吃じ得れば
 世を出づれば是佛陀

  2009年6月1日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/30/201895.html