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私が真相を伝えた数回の経歴

(明慧日本)私は2004年末から修煉し始めました。当時、中共の迫害により、私が知っている同修はハルピン女子監獄に不法に監禁されていて、私は彼女を二年待ちました。同修が戻ってから私に『転法輪』をくれて、それから大法の修煉を始めました。当時、私は体中病気だらけで、15年間信仰したキリスト教からも離れて心からずっと迷っていました。その時、私は法輪大法に出会いました。学法グループに参加し、同修たちと交流し合い、正法の中へ早く入ることができました。私が真相を伝えて衆生を救い済度した、数回の経歴について同修と交流したいと思います。

 ある日の学法グループで、同修はスーパーに行って「資料を配らないほうがいい、あっちには監視カメラがある」と言いました。私は監視カメラが何物か分からないし、怖くもないと話しました。この数年来、スーパーはずっと私が真相資料を配る良い場所でした。ある日、私がスーパーに資料を配りに行った時、スーパーの従業員は一元の真相紙幣を持って、隣の従業員に「天が中共を滅する、脱党して命を守ろう」と読んであげました。私は彼らに近づいて「よく読みましたね。私もさっきこの小冊子を拾いました。これを見てください」と話しました。従業員は、ここでは勤務時に法輪功のチラシを見てはいけないと言いました。私は「それなら、家に帰って見てください」と話しながら小冊子を渡しました。彼女は小冊子をもらってありがたいと話しました。

 スーパーを出て、家に戻る道にアイスドリンクコーナーがあり、ついでに小冊子を置きました。店員は部屋でこれを見て、大声で、小冊子を指しながら「これは何ですか」と聞きました。私は「これは小冊子です、見てください」と話しました。彼女は小冊子を持って、これは法輪功の小冊子ではないかと話しました。この時、道にいた二人の男性がコーナーの前に近づいていました。彼女はその二人に大声で「これを見て下さい。法輪功のチラシです」と話しました。この状況で、私は落ち着いて怖がる心はなく、発正念をして異なる空間の彼女を操っている邪悪な生命を取り除きました。そしてその二人が聞こえないように師父にお願いしました。結果、二人はアイスドリンクコーナーの前を通りましたが、何も聞こえなかったようにそのまま行きました。この時、私は微笑みながら、「ほら、みな法輪功が良いのを知っています。法輪功を修煉している人はみな罪のない人です。あなたがこの小冊子を見たら分かるようになります」と話しました。その後、私がこのコーナー前を通るたびに、彼女は笑いながら私を見ました。私はチャンスを見てついでに彼女に真相を伝えて、最後に彼女の家族全員が中共の少先隊から脱退しました。

 もう一回は、私の家から少し離れたところに行って真相を伝えたことについてです。そこは大部分が平屋でした。夜、発正念をしてから行きました。ある家の入り口に着いた時、家には犬が数匹いて、ひどく吠えました。私は早く離れて、この家はまずは救わないでおこうと考えて別の家の入り口に行きました。この家は何の物音もせず、私は『九評』と小冊子などの真相資料をビニル袋に入れて大門の裏に置こうとしたとき、不注意で大門に触れました。この家は大門を閉じておらず、門が開いた瞬間に犬が出てきました。突然のことだったので、本能的に後ろに逃げましたが、しっかり踏んでいなかったので足首をひどくひねってしまいました。ひねった足は痛くて地を踏むことができず、それで仕方なく地面に座りました。このとき、この犬はまた飛びかかって来ようとしました。私は腰をかがめました。この時、家の人が外の音を聞いて出てきました。私を見て「ここに座って何をしているのですか」と聞きました。私は、「あなたに真相を伝えに来たのですが、あなたの家の犬に驚いて、足首をひねってしまいました」と話しました。

 この時、彼はビニル袋を見て、「あなたは法輪功をやっている人でしょう、あなた達は、これは反党ではないですか」と聞きました。私は「違います。私達は迫害に反対しているのです」と答えました。中共に捕まえられることは怖くないかと聞かれて、「私達は正々堂々と衆生を救うことを行っているし、またこれは間違ったことではありません」と私は話しました。私は地面に座ったままで、真相を話し始めました。天安門焼身自殺から、いわゆる薬を飲ませないのことなどなど、彼が法輪功に対する理解できないところを、私は根気強く一つずつ彼に説明してあげました。最後に、彼は「脱退します」と言いました。私はこんなに傷を負ってやっと一人救われたと思いました。この時、彼の妻が出てきて、彼は妻に話し、妻も脱退するようにしました。私たちは大体30分くらい話しました。彼は「これで歩けますか」と聞いて、私は大丈夫と話しながら、立ちました。ちょっと経っただけで足はそんなに痛くありませんでした。帰ってから私は、あの時、自分に怖がる心がなく、衆生を救い済度することだけを考えたから、すべてが安全になったと分かりました。

 2009年6月3日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/31/201952.html