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人心と正念(一)

 (明慧日本)法を正す時期の過程は、人から神になり、人の執着心を取り除き、絶えず正念を強化する過程であり、適切に三つのことをしっかりと行って、さらに良く衆生を救い済度し、先史の誓約を果たして、師父に遵って圓満成就する過程です。

  常人社会という染めものがめの中で完全に迷い、旧勢力の妨害によって、思想が少しでも法から逸れると、人心が容易に広がり、大事な衆生を救い済度することを遅らせ、甚だしきに至っては邁進する意志が消えかねません。こうした時は、ただちに法を学ぶことを重視し、しっかりと心性を高めて、円容すれば、威力はこの上なく、できないものはありません。

  2008年の末、私は一つの会社に代金を受け取りに行きました。相手のマネージャーが留守のため、待ち時間を利用し、オフィスビルの側にある団地へ真相資料を配りに行きました。行ったときに慌ただしかったので、団地の周囲に存在する邪悪と妨害の要素を徹底的に取り除かなかったためか、ちょうど1棟のビルを配布し終わって、階下に下りようとしたところ、1人の中年男性があたふたと駆けてきて私に、「あなたは宣伝チラシを配布しているのですか」と聞きました。私は、「はい、何か問題でもあるのですか」と私は両目を直視して答え、正念を発して相手を操る背後の邪悪要素を取り除きました。相手が少しびくびくしてぼうっとしていた時、私は早足で階下に下り、団地の別の棟に向かいました。

  この団地は大きくてとても分散していて、私はまだあまりに多くの資料を配り終えていないので、このまま立ち去りたくないと思い、正念を発しながら、またもう1棟のビルに行きました。ところが半ばまで配布すると、階下のコミュニティの警務室の人が、「団地に法輪功の人が来ている、行ってみよう」と言い、ひとしきりの乱れた足どりを耳にして、心の中は少し慌て、人心が動じて、残った資料をさっそく廊下のゴミ箱の中に隠して迅速に団地から出ました。団地の入り口で、私はやっと気分が落ち着きましたが、衆生を救い済度することは、宇宙の中で最も偉大な壮挙であるのに、どうしてこれほど恐れるのでしょうか?

  師父は『精進要旨』「同じく二言三言」の中で、「強い正念であればあるほど、大きい威力があるのです」と教えられました。師父のこの説法は私の頭の中にはっきりとあります。大法弟子は衆生を救い済度する責任を多く担っており、邪悪に脅されることはないのに、私が資料を配布することは任務を達成して安心を求めるだけなのか、それとも本当に生死を度外して慈悲をもって衆生を救い済度しているのか、ちょうど私自身のことを指しているようで、思わず先ほどの自分の不潔な人心を恥ずかしく思いました。私は師父の加持を求めながら、自分の心理状態を整えて正念を発して、全面的に人心を取り除き、団地のその他の空間場のすべての邪悪を解体し、これらの衆生の救い済度に影響させず、さらに貴重な真相資料を悪人の手に入るようにさせませんでした。正念が出てくると、心は直ちに楽になり、先ほどの抑圧と狼狽は雲散霧消して、ようやく順調に資料を持って帰りました。

  再び会社に行くと、マネージャーはまだ会社に戻ってきておらず、事務所の中は職人と労働者でいっぱいでした。私は真相の小冊子を彼らに1冊ずつ配り、またパソコンで『風雨天地行』の真相ディスクを放映すると、彼らはとても興味深く観て、多くの質問をしてきました。私は、天安門の焼身自殺偽事件から法輪功が全世界に広く伝わること、また貴州に現れた億年の「蔵字石」から全世界の脱党ブームまで、一つ一つ根気よく説明しました。ほとんどの人は真相を理解して、その中の2人がその場で自発的に三退を求め、ある人は国外のウェブサイトをブラウズするために暗号システムを破るソフトウェアを求めました。

  私は幸いなことに邪悪の圧力の前で正しい選択をしました。さもなければ今回向かい合って真相を伝える機会を逸してしまったに違いありません。私は、人心と正念はちょっとした考えによって、神と人との違いがはっきりと現れると悟りました。人心は自分個人の損得にばかりこだわり、一種の私利私欲をむさぼる態度です。見たところ生まれつきのようで、甚だしきに至っては極めて頑固で、しかし浮き草のように、強大な正念の前で、瞬時に消えてなくなり、すっかりなくなってしまいます。したがって、正念が大法弟子のあるべき状態です。大法は異なる次元の法理で求めた基準が正念の異なった表現形式を決定します。したがって全体的に大法弟子の正念の現し方は各々で、それぞれの特徴があります。強大な正念は大法と師父に対する正しい信念と悟り、および宇宙の衆生に対する計り知れない慈悲によるものです。

  人心と正念の現れは真相を伝える中ではっきりと異なった結果が現れてきます。懐疑、心配、面倒を恐れる、安逸心等の人心はすべて身の回りの縁のある人に好機をみすみす逃し、救い濟度する機会を逃してしまうことに繋がるのです。

 (続く)

  2009年6月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/16/195538.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/3/8/105387.html