■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/06/03/mh044477.html 



自分をよく修める

文/大陸の大法弟子

(明慧日本)私はなぜ自分の修煉が自分と関係がある衆生の未来と係わっているのがずっと分かりませんでした。修煉の中で少なくない苦を嘗めたので、私は非常に良くない考えがありました。当時なぜどうしても世間に下りて法を得なくてはならなかったのか、天上で大法を待って同化しても良かったのに。師父はこの方面について説法なさいましが、私はこの件についてずっと悪い念がありました。

 当時私たちが衆生を救うために世間に下りたことに関する同修の文章を見たとき、私はパッとなぜ私達が世の中に来て、この最低の次元で大法に同化して、衆生を救わなければならなかったかの原因が分かりました。

 師父はかつてこのようにおっしゃいました。「宇宙は一つの循環しているものであり、全ての物質の要素は循環しているのです。罪のある生命が消滅される過程の中で、その生命の罪を滅し、消滅して、消滅して、さらに消滅して、決して生命のない死滅した物質にまで消滅したとき、彼らはまた一つ一つ次元が高まり、利用されるのです。宇宙が一つの循環しているものであるため、物質が変異したら、とても厄介なことになります。変異した物質は低次元の生命に吸収されますが、高次元の生命は低次元に来て問題を解決することができません。

  低次元の生命が解決できない物質は再利用された後、循環の中で再び昇華します。物質があらたに始まったとき既にあった変異した物質が昇華した後、その上の次元の生命にもそれを完全に解決することができません。昇華の中で、いずれの次元もこれを完全に解決することができず、しかも多くの物質にこの情況が起きたら、広範囲の宇宙が変異してしまいます」(『2003年アトランタ法会での説法』)

 多くの主、王達が世間におりて人の体で法を得た原因を理解しました。まず、分子の次元から自分を変えて、その後各層の自分を正しくするうちに、自分と関係がある衆生もこれで救われます。それで私は師父がお話しされたように、良く修煉してこそ、真の大円満になる意味を理解することが出来ました。昔は、ずっと法を読むだけでしたが、今は法を暗記するようにしました。さらに暗記するとき、一つ一つの字が目の前に現れるように、ゆっくり暗記しました。初めのころは暗記する速度が非常に遅かったのですが、速度に影響されず、法を暗記することは形式ではないことが分かりました。師父が『転法輪』の中であげられた例のようにしようとしました。「人が佛の名前を念ずる時、心には何も雑念がなく、大脳のその他の部分が全部麻痺して、何もかも分からなくなるまで、一心不乱に念じなければならず、そうすれば一念が万念に代わるので、『阿弥陀佛』の一文字一文字が目の前に現われてきます」

 このように堅持してから、半月と経たない内に、私は巨大な変化を覚えました。今では、法を暗記してから、頭の中に天地を覆すほどの語句が浮かんできます。私は異なる空間の変化は非常に大きいのだと分かりました。法の威力は大きいのですが、昔は心を静かにして法を学ばなかったため、法の威力を感じ取る事ができませんでした。私は若い弟子で、実は修煉した時間は長いのですが、ずっと清浄ではなく、色々な問題に妨害されました。日ごろ自らは学法を重視していると思っていましたが、問題にあったら駄目になりました。しかもかつては大法の反対面へ歩みました。私は大法に戻ってきてから、一体なぜ、反対面に行ったのか深く考えてみました。結果としては師父が『転法輪』の中でおっしゃった2点で、一つは内に向って探さなかったことで、二つは法をよく学ばなかったことでした。

 実は、私が毎日学法する時間は少なくありません。しかし読んだ法は心に残らず、問題にあったら乗り越えられず、最後のころ旧勢力の迫害で大法の反対面に行きました。非常に悲痛な教訓でした。幸いにも慈悲なる師父が又私を救って下さいました。周りにもこのような状態にいる同修を見ました。昔の私と同じように、法を学ぶ時間が長くて、自分では学法を重視していると思っていますが、問題にあったら内に向かって探さず、名利や情を重く見ています。私はこれを見て非常に焦っています。同修が私と同じように間違った道を歩んでいるのを見たくありません。こういう状態の現れは私が思うには自分が学法するとき、心が静かではないからです。

 師父は「法は一切の執着を打破することができます」(『精進要旨二』「妨害を排除せよ」)とおっしゃいました。なぜ少なくない同修が家庭の関、病業の関、経済の関に長く苦しめられているのでしょうか? 私が思うには、法をよく学んでいなかったからだと思われます。本当に、学法の時、速度に執着せず、ゆっくり法を暗記したら、法の一つ一つの文字が目の前に現れてきます。師父もおっしゃいましたように、一つ一つの文字の背後には各層の佛、道、神がおられ、覚者たちの無辺の法力は、私達のあらゆる思想業力と執着心を取り除くことができます。堅持すれば本当に柳暗花明又一村です。

 以上は個人の悟りで、間違ったところがありましたら同修達の慈悲なる指摘をお願いします。

  2009年6月3日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/31/201874.html

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