日本明慧
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人心と正念(二)

(明慧日本)子供は冬休みになると、地方から私の仕事の地まで遊びに来ます。平素、妻が子供の面倒をみており、私は以前は法を深く学ばず、良く行わず、数回にわたって迫害を受けました。そのため、家族にとても大きな心理的なダメージを負わせ、大法にマイナスの影響をもたらしたので、子供も多かれ少なかれいくつかの良くない観念が生じました。

  夜、私が真相の年賀状をプリントしているとき、息子がそばで遊んでいました。私は、彼はまだ小さいし、真理を堅持するために迫害を受けた現実を理解することができるのか、共産党の無神論の洗脳を受けた彼が、三退の重大な意義を理解することができるのか、言うべきかどうかと迷いました。

  しかし、人類のすべてが大法のために来ており、衆生はみんな救い済度されることを待ち望んでいて、身の回りの身内はいっそう救うべきなのではないかと思いました。もしかして、彼は一つの大きい宇宙の体系を代表して大法と縁を結んでおり、天体の壊滅の時に大法の救い済度を待っているのかも知れません。このように、人心の配慮から飛び出した後、直ちに強大な正念が生まれました。大法は円容しているのであって、できないもことはなく、必ず彼の理解できる方法で、彼に真相を理解させることができるに違いないと思いました。

  そこで、私は1冊の真相小冊子を渡して見せました。息子は直ちに「蔵字石」の写真に惹きつけられて、「本当にとても不思議だね。石の上に字が隠れているなんて」と言うので、私は、「ええ、共産党は佛法を迫害して、今、神は中国共産党を滅ぼそうとしているのよ。私たちは天意にそって、三退して自分を守るべきよ」と言いました。引き続いて、私は細かく中国共産党が法輪功に罪を着せた真相と三退の重要性を話し、また彼に『善と悪』を含むいくつかの真相ディスクを放映して見せました。子供の心はとても純真で、思想もあまり複雑でなく、彼らにいったん真相を分からせると、大人よりさらに直接に、さらに心から善良と正義に対する支持を表すのです。息子は、映画の中で警官が大法弟子を追跡するシーンを観た時、思わず「速く逃げて、悪人が来たよ」と叫びました。

  また、彼は法輪功修煉者の母と娘が、厳寒の野原で恐怖を追い払うために大法の歌を歌って、正念を強くしたシーンを観た時、子供は心から、「彼女たちは偉いね」と言いました。このようにして、息子はその日のうちに自発的に少先隊から脱退しました。それからの数日、彼はずっと真相資料とディスクの整理を手伝い、大法の事を熱心にするようになりました。

  この事を通して、私はさらに一歩進んで、人心と正念は修煉者の身に共に存在しており、人心が強ければ、常人の状態が現れ、人の拘束から抜け出ることができれば、正念を発揮し、神の状態になることを認識しました。私たちがこの世で師に遵って法を正し、そして、真相を伝えて世の人々を救い済度することは表面の形式であって、大法から開かれた智慧で意のままに行うことや、実際に相手を同化させて救い済度する背後の要素は、大法であり師父なのです。私たちは人心に阻害されて、大事な人を救い済度する事に影響を及ぼし、師父が法を正す全体の進展に足を引っ張るべきではありません。

  私は、これらのすべてが師父の按配と導き、および悟らせてくださったことによるものだと知っています。後天の観念と繁雑な人心を捨てて、異なる環境の中で絶えず正念を強化し、本当の大法弟子の基準に達していかなければなりません。

  人心と正念の現れ方は他にもいろいろありますが、時には人心の現れ方がはっきりとしないため、なかなか気づきにくく、そのため発した正念が清浄でなくなり、作用もあまりなく、威力も強くなく、甚だしきに至ってはまったく役に立たないことすらあります。

  昨年の末、私はある友人の会社が催した大晦日の宴会に参加しました。始まる前に、私は彼女の従業員に真相を伝え、彼らもみな聞きたがっていました。私は次に一歩進んで話そうと思って、1つの対句を練っていました。ところが、出てきたのは常人のお世辞や祝福の言葉ばかりで、結局どうしてもうまくいきませんでした。私は、これが妨害であろうと思い、正念を発しましたが、しかし宴会の席で発言を求められた時、言った言葉はやはりどもっていて、なめらかではありませんでした。

  後に、私はいったいどうしたのだろうと理解できませんでした。師父は、問題に出遭ったらまず自分を探し、内に向けて探し当てるようにとおっしゃいました。今回は本当にこの事の中で様々な人心が混ざっていたことを探し出しました。これらの人心の妨害で正念が発揮できなくなったのでした。まず、顕示心を取り出すことができます。自分の才能を現したくて、これは決して法を実証することではなく、自分を実証しようとしたのです。その次に、法に則って話したのではなく、常人の金運や福はすべて運命づけられたものなのに、自分は、しかし他の人に迎合するために良い言葉ばかり話しました。1人の修煉者の出した言葉はエネルギーを持つので、言いだしたら機能するので、口を修めるように注意しなければなりません。また演説の語気も修煉者のあるべき状態に合わず、謙譲と慈悲心が不足していたなど、あっという間にこれほど多くの人心を探し出しました。大法の要求には本当にほど遠く、道理で正念を機能することができなかったのです。

  確かに人心と正念は雲泥の差があり、修煉は厳粛なことで、いい加減にしてはならず、大法によって開かれた智慧と能力で常人の虚名を博したりすることは、絶対に駄目なのです。1人の人間を救い済度することは、それほど簡単なことではなく、必ず本当に法の上に立たなければならず、善良と智慧で相手の本性を啓発し動かして、正念でその背後にある邪悪な要素を取り除き、大法に同化させ、中国共産党から離脱させて、その上、師父の随時随所に存在する量り知れない慈悲を加えて初めて1人の人間を救うことができるのです。

  私たちは神になる道を歩む修煉者であり、宇宙の法を正すことと衆生を救い済度することは最後の段階に来ており、今になってほとんど人を奪い取るような状態で、人を救うことの重要さと切迫感を物語っています。人心と正念のはっきりした認識は自分の不足を探し当てることができるだけでなく、法の中でさらに邁進して、強大な正念はさらに私たちの真相伝え、迫害制止、邪悪を取り除くことの中で、師父が私たちに与えた威力はこの上ない宝物なので、必ず重視しなければなりません。私たちはみんな大法の中から強大な正念を修め、正念の放射した光芒はさらに純正です。だから、私たちの師父に喜びと安心をより多く、苦労を少なくするように頑張りましょう。

 (完)

  2009年6月4日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/16/195538.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/3/8/105387.html