日本明慧
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同修の夢を通じて内に向かって探す体得


文/トン

(明慧日本)先日、実家に帰りました。最近は、法輪大法に言及しても家族の人はもう以前のように怖がらなくなりました。師父の説法を聞かせると、皆が良い功法だと言い、そして自分も学ぼうとしていました。

 そこで、私は知り合った同修に連絡して師父の煉功動作教本を取りに行きました。同修の家に着くと、顔色がよくないことに気づきました。同修はずっとひとりで孫の世話をしているので、結構疲れていますが、以前、何度も会った時は元気そうなイメージが強かったのです。今回はとても疲れた様子だったので話しかけました。すると、同修は昨日夢を見て、目覚めてからとても後悔したと話しました。「夢の中で、邪悪な人が大法弟子を殴っていました。とても酷くて、終わってから私の方へ来て、捕えようとしました。私は慌てて直ぐに『私は違うよ』と言いました。でも、邪悪な人はやはり近寄って来たので、私が走りだすと、後から邪悪も付いてきました。もうちょっとで追いつかれそうになりました。私は、もう一回『捕えないで、私は違うよ』と叫びましたが、やはり邪悪が付いてきました。その時、後から内装する人たちが来たので、私はその隊列に入って、『この人達と同じですよ』(内装の人です)(編集者:中国語では内装を、【装修】と言う)と言いました。回わりの人は皆笑っていて、私はそのとき急に目が覚めたのです」

 この夢の話を聞いて、私も笑いました。師父の啓示はあまりにも明らかです。「装修、装修、それは真の修ではありません(中国語では、装が装うという意味であり、装修は修める振りをする意味)」
 
 実はこの同修は普段から精進していて、自分ひとりで孫の世話をし、朝、煉功し、毎週の集団学法も同修の家に行きます。普段、時間があったら夫(修煉者ではない)といっしょに各団地を回ってチラシを配ります。このような同修さえも、夢の中での試練で不合格でした。私は「まだすべて終わっていないからチャンスがあるよ」と激励しました。

 家に帰ってから私は、この夢と私自身の修煉についていろいろ悟りました。

一、修煉は厳粛なこと

 師父は、「修煉は厳粛である」とよく言われました。今の段階で大法弟子が面していることは、三つの事であり、自分自身の条件を利用して法を実証することです。しかし、三つのことを真にやり遂げていますか? 学法は心を込めて行なっていますか? 煉功は毎日続けていますか? 発正念は真剣に対応していますか? 真相を伝えることに全身全霊でしていますか? この質問をしていたら、自分に存在しているたくさんの問題が分かりました。毎晩、母(同修)と一緒に学法をしていますが、眠かったらすぐ寝ており、とても気ままで、どこまでも構わず、居眠りしながら読んでも仕方がないと思っていました。しかし、毎日このようではと、効果がぜんぜんよくありません。週末の昼間の読書時間も居眠りをしてしまいます。以前、昼間は仕事をして疲れるので、夜に法を学習する時に居眠りすることは自然だと思い込みました。今は、これも人間の観念であり、自分が重視していないだけで、それを承知したからこそ、それは「自然」だと定着してしまったと悟りました。

 法を正す進展はここまで進んでいるのに、この初級次元のミスをすることはとても情けないのです。煉功は毎日していますが、よく時間通りに起床しないで、そのときにはまた時間をとって補おうと思いますが、結局そのまま翌日になります。発正念は4つの正時に発していますが、しかしノルマをするようで真に発正念の厳粛性と重要性を理解していません。真相を伝えるために、真相紙幣をつかうのは親戚と友達の限った範囲内で行っています。知らない人に対してはやはり恐れています。

 とにかく、精進していないので、修煉の厳粛性を意識していません。もっと深く考えると師と法を信じることが足りません、円満成就に自信がありません。あの「金仏」と言う修煉ストーリを思い出しました。もしそのような試練があったら自分はできるでしょうか? 「信」は長期に亘って積み重ねた修煉の結果であり、一歩一歩難関を乗り越えて心性を向上してから自然に到達したものです、無理にするものではありません。

二、修煉者として正々堂々と行うべき

  数年前、私は勤めていた会社で真相を伝えて、告発されました。洗脳班に拘禁されて迫害されることを恐れその会社を辞めました。それから会社の中で同僚に真相を伝える事をしなくなり、徐々に口を開く事さえ出来ませんでした。会社の中で、自分は法輪功修煉者であることを言う勇気がなく、自分が大法弟子であることを知られていないことをありがたく思いました。しかし、私の修煉は基本的に会社の中にあり、単身の私は母と一緒に生活しているので、ほとんど難はなかったのです。だから、試練はほとんど会社の中で現れ、自分が積極的に環境を作らず、いつも脇道ばかりを探し、同僚以外の知り合いに真相を伝え、親戚、友達に言うばかりでした。毎日付き合っている同僚に対して、自分の安全を先に考え、同僚の電話とアドレスを海外に送って、同修に電話を掛けさせています。これだけで十分と思いました。まだ、他所の同修にも情報をあげて、同修から手紙を送らせて真相を伝えています。言わば、同僚への真相伝えは、とても隠蔽で複雑にしています。仕事の中でよく人間関係が悪くなったりしたのは、実際に自分が正々堂々と修めていないからでした。

 私の仕事及び人柄は上司と同僚にとても評価されているものの、自分はこれを法を実証することに用いていません。少し前に、私の目の前によく「正」の字が現れました。この「正」の字は、縦も横もまっすぐではありませんでした。同じ文字ですが、この字自体が歪んで、字の意味と違っていました。このことは師父の啓示だと分かりました。これで、心の闇から抜け出さねばならないと悟りました。(私は完ぺき主義のタイプで、自分の過ちにも釈然とできず、これは常人の観念です)。もうすでに改めているのに、なぜ放下できず、ひいてはもう一つの執着になって、法の実証及び衆生を済度することに影響を与えるのでしょうか? 倒れたら立ち直るべきで、もし心の底から放下することが出来て、正々堂々と法を実証することができたら、修煉も一つのステップアップになります。これからは、もしもと言う部分を現実に変えていきます。



(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/24/201528.html