小弟子が智慧をもって「三退」を勧め、5千人以上を脱党させた
(明慧日本)息子の炯儿は1995年生まれで、現在、中学生です。炯儿はまだ14歳ですが、大法を修煉してもはや10年です。大法が中国共産邪党の迫害を受けてから、炯儿はずっと「三つのこと」を行い続けてきました。真相資料を配り、「三退」を勧め、恐怖心がなく、理性で対応できます。数年間、大勢の人に中国共産党、共青団、少先隊からの「三退」を勧め、脱退させました。
4歳で法輪功の修煉を始める
炯儿の生まれた時がちょうど中国政府の「一人っ子政策」取締りの敏感な時期に当たり、4歳まで炯儿は田舎で過ごしました。あれは1999年のことでした。炯儿を連れて師父の講法の録音を聞き、講法のビデオを観に行きました。4歳の子供がまるで大人のように、法を一心に聞き入っていました。10年も経ちましたが、当時の炯儿の様子は、今なお記憶に新しいままです。
6歳で真相資料を配る
炯儿が6歳の時、大法は迫害を受けて2年になりました。私は真相資料を配りに炯儿を連れて出かけると、炯儿も一緒に配ります。炯儿は私に「どうして資料を配るの?」と聞いたことがありました。「人を救うために配るのよ」と教えます。すると炯儿は「ママ、僕も人を救いたい」と言ったことがありました。このようにして、迫害される逆境の中で私たち親子2人は真相資料を配り続けました。それと同時に、師父の経文を読み聞かせ、『転法輪』も一緒に学びました。毎回の資料を配る過程において、炯儿は観念を持たないため、常に順調で、安全に帰宅することができました。
炯儿と真相資料を配りに出かけたある日のことでした、当時、炯儿は8歳で、50部の資料を持ち、私は40部の資料を持って配っていました。配って行く途中で、2人は離ればなれになってしまいました。どうしよう? と少し焦りましたが、師父に見守られていることを思い出し、落ち着きました。そのまま資料を配り終え家に戻ると、家の前で炯儿とばったり出会いました。炯儿は「ママと離れても慌てなかったよ、ただママが心配しないように配ったら早く帰ろうと思った」と言いました。
最も印象に残ったのはあの時の事でした。2003年のある日の朝、私は警官に強制連行され、午後、何とか魔の手から抜け出すことができ、家に戻りました。すると炯儿が「ママは怖かった?」と聞きました。「最初のうち怖かったけど、師父の『洪吟二』の「怕口舎(しゃをおそれる)」を暗唱したら何も怖くなくなった」と答えました。あの日夕食の後、夫は私がまた出かけるのを防ぐため、いっそう厳重に見張りました。しかし家にはまだ真相DVDと資料の残りがありました。炯儿に「迫害が続く限り、真相資料を配り邪悪を解体しなければならない」と言い聞かせました。炯儿は「僕1人で行ってくる、安全に戻ってくる」と私に約束し、「気をつけるのよ、安全が一番だよ」と炯儿に言い含めました。夫の注意を逸らし、こうして炯儿は家を出て行きました。1時間後、家に戻って来て、持って行ったDVDと資料は全部配り終えました。私は心から息子のことを喜びました。
炯儿が1人で真相資料を配ったのはあの時が初めてでした。あれ以来、炯儿はよく1人で出かけて資料を配るようになりました。炯儿は純粋で善良であり、とても良く出来ていました。人を救うようにと師父に教えられたことを肝に銘じています。
10歳で顔を合わせて真相を伝える
炯儿は10歳になるとよく集団学法に参加し、法を学びました。時には私について行きますが、時には1人で行きます。法を正す進展に応じ、心性が高まるにつれ、学法グループの数多くの同修は妨害を突き破り、人と顔を合わせて真相を伝えることを始め、良い結果が得られました。自分と同修の差を感じた炯儿は焦り、必ず突破して、法を正す進展に追いつくと心の中で決心しました。
ある日、炯儿はおばあさんに逢い、おばあさんに「法輪大法は素晴らしい」と言いました。おばあさんは、ただきょとんとしており、それを見た炯儿はきまり悪い思いをしたと話したこともありました。
最初はなんだかぎこちなく感じましたが、なんと言っても最初の一歩を踏み出しました。あれから炯儿は仲の良い友達に、またクラスメートに真相を伝えることを試み始めました。徐々に経験を積んでいきます。彼はすべての機会を利用して、誰一人縁ある人を見逃したりしません。放課後の帰り道で、クラスメートの家で、先生に、退職した警官に、大人、子供、共産党員、団員にまでも堂々と真相を伝えることが出来ます。その効果も日に日に増し、炯儿から真相を聞いた生徒や先生は自ら真相を伝える列に加わりました。
智慧をもって「三退」を勧める
ある日、学校の帰り道で、炯儿は同級生に真相を伝えていました。「塀に『天は中共を滅ぼす、脱党、脱団、脱隊して平安無事』と書いてあるのを見た? 今良い人がすべて捕まえられるのを見ると、公安や政府はあまりにも悪くなっているよ、共産党から脱退すれば、平安になれる。諺にもあるように、むしろ起こらないと思うより、起こると思うほうが良いですよ」とその子に話し、また、「教科書に書いてある劉思影ちゃんは99パーセントの火傷を負ったにも関らず、普通に歌を歌っていた。それと、テレビで映された王進東という人は服と髪が焼け焦げていたのに、手に持った灯油入りのペットボトルは引火していなかった。これらの映像は明らかにでっちあげで人を騙したのだ」と説明しました。
その子に法輪大法は人に良い人間を目指すことと人から殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないことを教えてくれますと言った時に、その子のお母さんが現れました(実はずっと炯儿の後ろにいました)。炯儿はそのお母さんにも「三退」を勧めました。するとそのお母さんは「私は信じます、私たち2人は脱退します。家に帰ったら父親にも教えて、私たち一家3人揃って脱退します。感謝するわ、あなたはよく知っていますね」と言いました。炯儿に感謝の意を表すため、肉マンを二つご馳走してくれました。
炯儿は学校の卓球チームの練習に参加しました。練習が終わり、チームの皆はとても喉が渇いており、炯儿もお水を買おうと思い、持ってきた1元を取り出しましたが、1人の生徒が近づいてきて、今度返すからそのお金を貸してほしいと炯儿に頼みました。炯儿は自分の水を我慢して、返さなくてもいいよと気遣いし、その子にお金を貸しました。
その後、その子の誕生パーティーに炯儿が呼ばれました。「あなたと同じクラスじゃないのに、どうして僕を呼んだの?」と聞くと、その子はこう言いました、「この前の卓球の練習を覚えている? 誰もお金を貸してくれなかったのに、貸してくれたのはあなただけだった。自分も喉が渇いていたでしょう、あなたは本当に優しい人だ」
その瞬間、炯儿は真相を伝えるタイミングがやってきたと分かりました。慌てて家に帰り、手ぶらでは友達の誕生パーティーに出られないからと言い、私から10元を受け取って戻っていきました。誕生パーティーではその子の父親がテーブルいっぱいのご馳走をつくり招待してくれました。炯儿もパーティーに来た8人の子に真相を伝え「三退」を勧め成功しました。「ほかの人が言っても信じない、あなたが言うなら信じる、あなたが私たちを救ったのだ」と炯儿は告げられました。
また雨が降っていた日のことでした。炯儿は交差点で通行人に真相を伝えていました。突然、ある青年があわただしく早足で、いきなり炯儿にぶつかってきました。青年は「すみません。急ぎの用事がありますから」と謝り、直ぐその場を離れようとしましたが、「大丈夫です。お兄さん、ちょっといいですか」炯儿は止めました。「ちょっと聞いてもらいたいことがあります」 炯儿が真相を一通り伝えると、青年はすでに3人からこのことを聞いたことがあり、「三退」していませんでしたが、今、再び炯儿の話を聞いて「三退」に同意しました。
「三退」を勧め、1学期に3千人の「三退」に成功
6年の下半期、炯儿は毎日昼と夜、近所の学校へ真相を伝えに行きました。あの頃、平均毎日50人が「三退」しました。炯儿は生徒の寮に行き、部屋順に尋ねて勧め、監督の先生が来れば、生徒たちは彼を隠して守ってくれました。1学期に3千人に真相を伝え、「三退」に成功しました。
夏休みに、個別指導の時間を利用して、真相を伝えました。そのクラスで、各学年から英語補修に集まった生徒の20人以上に休憩時間に真相を伝えました。結局、個別指導を受けた生徒は全員「三退」し、果ては先生まで脱退しました。ある女の先生は『転法輪』を読みたいと話されたので炯儿は『転法輪』の本をその先生にあげました。なぜかその先生が他のクラスに移動する時、炯儿についてこないかと聞いてきました。丁度新しいクラスで真相を伝える良いチャンスではないかと思い、炯儿はその先生について新クラスに行き、先生と2人力を合わせ、200人の「三退」を成功させました。
正念で険しい関門を突破
いつも同じ場所で真相を伝えるのも良いが、たまには場所を変えてみればと炯儿に言ったことがありました。この不正な一念のため、炯儿にマイナスの物質が加わり、彼の正念に影響を及ぼしました。炯儿が学校の補修に行った時、1台のパトカーとオートバイに乗った人が正門にいるのに気づき、ちょっと怖くなり、先生にちょっと用事があると伝え、その場を去り、学校から離れて間もなく、パトカーが尾行して来ていました。炯儿はついてこないでと心の中で念じました、すぐパトカーが交差点でエンストし、一瞬にして、こんどはバイクが尾行してきました。炯儿は走り続けて、何とかバイクから逃れました。
家に着いて、私に「ママ、今日は走り続けて本当に疲れた、私の人心が起きたから、邪悪に隙を乗じられた」と話しました。次の日起きて「ママ、夢で師父に会ったよ。師父に、すべてが幻像で、怖がらないで、人ごみの所へ行き真相を伝えなさいって言われた」と私に教えました。
ある時真相を伝え終え帰宅する際に、炯儿は1人の少年に後をつけられているのに気づきました。また邪悪が隙を狙っていると思い、このまま帰ってはよくないと、外でぶらつき、チャンスを待って逃げようと決心しました。一周しても逃れられませんでした。最後、炯儿は見知らぬ家の門の前に止まり、門をノックして、「ママ、ただいま」 また、独り言のように、「おかしいな、誰も帰っていない」と装いました。跡をつけて来た少年は「お前の家が分かったから、また来るぞ」と去って行きました。
炯儿は安全に家に戻ることができました。
人を救うことを忘れない
今、炯儿はもう中二です。朝晩に自習の時間があります。2週間に1回しか休みがありませんが、学法と煉功を続けています。時間があれば、真相を伝えに行きます。
数年間、炯儿は数多くの人に真相を伝えました。その数は累計5千人でした。
炯儿は自分が行った「三退」を同修には内緒にして欲しいと私に言います。でなければそれは顕示心だと言います。その上、他の同修も行なっていることだから、むしろ自分よりもよく出来ているかもしれません。顕示しないほうが良いのです。それと同時に、自分は何回も危機を無事に乗り越えられたのは師父の慈悲なるご加護のおかげで、師父は常に傍にいらっしゃると炯儿は言います。「修は己にあり、功は師父にあり」なのですから、師父の保護がなければ、何も出来ません。
前日、炯儿は夢を見ました。夢の中で、たくさんの人が彼に手を振っていました。「三退」で人を救うことは怠けてはなりません。いくら学校の勉強が大変だといっても、決して人を救うことを忘れてはならないと認識しました。
2009年6月5日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/24/201508.html)
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