日本明慧
■印刷版   

時間を無駄にせず真に修めて、衆生を救い済度する

(明慧日本)度重なる困難や苦労の中で今日まで歩んでくることは、本当に容易なことではありませんでした。こんなに多くの衆生がまだ救われていないことを考えると、嫌な気持ちにさせられます。正法時期の大法弟子としてどのように師父が要求されたように行うのか? どのように師父が段取りされた道を歩むべきなのか? いつも考えるべきです。私はこの1年間の修煉状況を師父に報告し、同修と交流したいと思います。

 一、法を実証する中で心性は向上し、大法は奇跡を表した

 去年の年末の頃、私は部屋を片付けているとき、不注意で高いところから転んで堕ちました。正念が足りなくて、顔と口に酷い怪我をして凄く腫れました。この前、私は同修と翌日真相資料を配ろうと約束しました。顔と口が酷く腫れていて、食事をするのも非常に苦しく、足も痛んでいました。翌日私達が真相を伝えようとする所は非常に遠くて、前日の夜、私は行きたくないと思い、他の同修に代わりに行ってもらいたいという考えがありました。少しして「自分はなぜこんなに私心が重いのか、ほかの同修も彼らがすべき事があるのに・・どんなに苦しくても、自分が克服すべきだ」と思いました。

そこで私は痛みを我慢して同修の家に行きました。この時同修は、嫁さんとギョーザを作っていました。同修は私をみて驚きながら「どうしたの?」と聞きました。私は事情の経過を話しました。同修は私に「今はまだギョーザを作り終わっていないから、今日は行けません。明日の夜に行きましょう」と、言いました。私はこの話を聞いて内心では非常に苦しく思いました。「同修よ、私がこんなに苦しい状況下でも来たのに、貴方はなぜ常人のことを後回しにしないのですか? 法を実証し、衆生を救うことより重要なのですか?」と思いました。私は同修に何も言えず、心のバランスを崩して家に帰りました。

家に帰って落ち着いてから「自分はなぜ同修を寛容しないのか? 同修は同修で困るところがあるのではないか? 同修は嫁さんとギョーザを作っているところで、すぐに離れたら、嫁さんに対して悪いと思ったのではないか? 同修は他人のことを考えるのに、自分は何故同修のことを考えてあげられないのか?」と、考えて自分の私心を見つけることができました。私は法を実証することで、同修に触れられた私心を隠そうとしました。この私心を放下できて、私は楽になりました。

 翌日の夜、私は苦しさに耐えて同修の家に行きました。同修は私を見てすぐに「何故こんなに遅く来ましたか? 早く動きなさい」と言いました。寒風の中で、顔はもっと痛くなり、足も痛くて早く歩けませんでした。同修は私を責めながら「こんなにのんびりしているなら行かないほうが良いです。私が別の同修を呼んで行きますから」と、言いました。私は「それでも良いです」と言うと、同修はちょっと考えてから「ここまで来たのだから、行きましょうか」と、言いました。私はやり切れない思いで一杯でした。

しかし、すぐに自分の間違いを認識しました。法を実証し、衆生を救う時、人の感情を持って人心で行うことは良くないことです。私達は目的地に到着し、同修は糊で資料を貼り、私はそばで資料を持って発正念をしました。寒い寒風の中で糊が手に付いているのにもかまわず熱心に資料を貼っている同修を見て、心から同修が素晴らしいと思いました。最後まで私達は順調に終わらせ無事に戻りました。翌日、夫は私の顔と口が回復したのを見て驚きました。私は、法を実証する中で、私の心性が向上し、大法が奇跡を表したのだと分かりました。

 二、心性が向上してから、家庭関係がよくなった

 私は1998年から修煉をし始めました。幼い時から党文化に毒され、虚栄心、嫉妬心、報復心、負けん気、度量が狭い性格が形成され、これらの悪い物質がしっかり頭に染み込みました。今までトラブルに遭ったら、これらの心が作用して、家庭が融和ではありませんでした。今年も、夫の妹が子供を連れて私の家に来ようとしました。夫の妹は気立てが悪く、子供も腕白でした。さらに、姑は私の隣の家に住んでいて、私は夫の妹に来て欲しくはありませんでした。当時私はあれこれを考えて心を静かにして法を学ぶことができませんでした。そのため直接、面と向って真相を伝えることに影響をもたらしました。同修と交流してから、気持ちがよくなり、家に帰って、夫の妹と子供を見ても嫌ではありませんでした。

 あの日のお昼、姑が子供の問題で夫の妹の前で下品な言葉を言いながら私を大声で罵りました。当時は忍びましたが、心の中では、面子が潰されたと思いました。この時私の報復の心が作用して「私のどこが間違ったのか、話して私が直せば良いのに、こんなに罵られるのは嫌だ、今度私がどのように親孝行をするのかを見てほしい」と考えました。その後虚栄心が作用して夫の妹に顔を向けることが出来ませんでした。そうして更に姑のことを恨みました。このような心理状態が、真相を伝えることに影響を与えるのは当たり前のことです。私は心を落ち着けて「このままではいけない。私はこの心を修めるべきだ」と思いました。それから一定期間の修煉を続け、姑に対する態度は次第によくなってきました。その後、これらの悪い心が作用するのに気付いたら、すぐ修めて捨てました。現在、姑と夫の妹との関係はよくなりました。


 三、恐れる心を放下し、衆生を救い済度する

 北京五輪の前、私達のここの環境はまるで「7.20」の時のように邪悪になり、同修たちに圧力をもたらしました。私も例外ではありませんでした。私はこの前、毎日電車や、バス亭に行って真相を伝え、時には同修と協力して資料を配りました。同修は外地にいる孫の面倒を見なくてはいけないため、私は他の同修と協力するようになりました。しかし、この同修は私と資料を一回配った後、家族に邪魔されて来られなくなり、私は1人で真相資料を配らなければなりませんでした。ある日、1人の同修が私の所にきて、今は昼も夜も厳しくなったので、夜遅くには出かけない方が良いと注意を与えました。私はそれを聞いて、心に圧力が生じました。自分の安全を考えるのか? それとも衆生を救い済度することを考えるのか? 私はどうしたら良いのか分かりませんでした。最後に私は恐れる心を放下して、やはり人を救うことを選びました。

 あの夜は、小雨が降りました。私は資料とCDを持ってあるアパートに行きCDを門に差し込み、資料はポストに入れながら、師父の加持をお願いしました。師父の慈悲なる保護の下で、私は25階のアパートに資料を全部配り終え、家に戻りました。

 今も、私は昔のように、わたしがすべきこと、神聖で、偉大なことを行なっています。偉大なる師父の保護の下で、私は安全に今日まで歩んでくることができました。

 2009年6月6日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/2/202077.html