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遼寧省:錦州市の張秀蘭さんは危篤状態になり、やっと一時出所

(明慧日本)遼寧省錦州市の女児河紡織会社の元従業員・張秀蘭さんは良い人で真実のことを言っただけで、2008年2月、錦州市公安局太和支局の警官に強制的に連行された。その後、翌年4月まで、錦州第1留置場に拘禁され、残酷な迫害を受け続けたため、危篤状態に陥った。4月中旬、張さんは歩けなくなり、視力も衰え、食事を摂ることも困難で、さらに病状が悪化した。家族や他の法輪功修煉者の努力の下で、一時出所ができた。

 2008年2月25日朝6時30分、自宅のドアを叩かれ、張さんがドアを開けると、太和支局の警官4人が不法に侵入してきた。警官は張さんを確認した後、直ちに両手を背中に曲げ、警官2人は、綿入れの上着で頭を覆った。張さんは靴も履かないまま、警官に車で連れ去られた。

 暫くして、7〜8人の警官が再び張さんの家に侵入し、隅々まで捜査した。見つかった4800元の現金、VCD・1、MP3・1、テープレコーダー1、携帯電話1、家の鍵、大法の書籍、大法の師父の法像などを奪って行った。

 白日の下、警官は、張さんを太和支局に連行し、両手を縄で椅子に縛りつけ、両脚も同様に電線でしっかり縛った。その後、何度もスタンガンでショックを加えながら、罵ったり、髪の毛を掴んだり、殴ったりした。張さんは17時間近く苦しめられ、電気ショックを受けた脚は黒褐色に変色していた。夜の11時過ぎ、張さんは嘘の供述にサインを強要され、その後、錦州第1留置場に移送された。

 2008年4月、張さんは、突然お腹が痛くなり、錦州の公安病院で検査を受けた結果、腹部に腫瘍が一つ見つかった。その後、錦州の婦嬰病院で再び検査を受けたが、その腫瘍は子供の頭ぐらいの大きさになっていた。同年8月、錦州市の公安太和支局、裁判所、「610弁公室」などは、張さんの健康状態に全く配慮せず、6年の判決を下した。警官・戴薇と第1留置場は張さんを瀋陽大北刑務所に送った。同刑務所での健康診断の際、腹部に二つの腫瘍があり、首にも一つ見つかったため、張さんの入所を断わった。それでも、錦州第1留置場の所長・梁懐福は、張さんを釈放しようとしなかった。

 2009年1月初め、第1留置場の警官・戴薇らは、再び張さんを瀋陽大北刑務所病院に送ったが、張さんの病状が酷いため、病院側に入院を断わられた。所長・梁懐福の強い要求で、入院を1週間だけ同意した。その後、所長は警官・戴薇を指図して、戻ってきた張さんを引き続き迫害した。その間に、張さんの家族は数回にわたって、面会に来たが、所長は部下に指示して、面会を許可しなかった。


2009年6月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/4/202186.html