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馮暁梅さんは拘置所から姿を消し、生死不明(写真) (明慧日本) 2009年5月5日は、監禁生活で迫害を続けられてきた石家庄市の法輪功修煉者・馮暁梅さんが断食をして迫害に抗議して9日目になった。しかし、今は姿がなく彼女を探すため、家族と弁護士はずっと行方を追っていたが、監禁側は一切わからないとコメントした。
5月2日午後、「5日間拘束令」によって彼女を迎えに行った馮暁梅さんの家族は5月3日朝に釈放すると拘置所に言われた。しかし、その後馮さんの弁護士が駆け付けたところ、彼女はすでに藁城市の国保局に所属する粱杰という人に連れ去られたという。しかし、拘留所側は行方の情報を提供せずに所長さえ弁護士から逃げて責任を負おうともしない。 家族側と弁護士で藁城市公安局に国保局の副局長と大隊隊長に相談するよう要請をしたが、それどころか当局の隊員に門前払いをされた。 こうして、消息不明の状況下で、弁護士側は藁城市の拘置所に対して不法監禁などで訴訟を起こした。一方、訴訟を審理する検察院の局長・ハオ彦杰は捜査の進捗について数日経ってもずっとノーコメントだった。また、検察院の藁城拘置所に所属する監察室科長・趙?波にまで尋ねたが、電話にすら出なかった。 5月4日午後、弁護士と家族が当時彼女を連行することに関与した裕華区公安分局の副局長・李軍を尋ねて行ったが、コメント無しとしか答えなかった。 5月5日、所々を捜査してきた弁護士と家族は石家庄市公安局を回ったところ、ひとりの警官から法輪功向けの制圧大隊の国保第3大隊はこの建物の21階にあるとわかり、張教導という人がその手配者であることも明らかになり、そこへ駆け付けて当人を追いかけたり責めたりしたものの、自分はやっていないと張は否認し続けた。 同日午後、家族は石家庄市公安局の督察署の通報電話(86863070)に藁城市公安局の警官・粱杰を訴えても相手にされず、弁護士は石家庄市公安局の訴訟係属に届け出たところ、そこの副署長に勝手にかばんを捜索されて乱暴な態度を取られた。 最後に、藁城市拘置所の所長からの電話により裕華区の610弁公室が彼女を連行した事がわかり、そこへ駆け付けて彼女の行方を聞き出そうとしても、向こうは一切わからないという返事ばかりだった。 行方を追いかけた5月4日の夜に、市長の公開電話に助けを求めたが、この電話はただの飾りものとわかり、実際に何の協力も得る事ができなかった。 情報によると、馮暁梅さんは不法拘束の1日目からもう断食で迫害に抗議を始め、9日目になったとき、血圧が190に上がって命の危険に晒されたという。 2009年6月7日 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/5/8/200414.html) |
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