日本明慧
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神韻のチケットの販売を通して修煉する


文書/カナダモントリオール修煉者

師父、こんにちは! 同修の皆様、こんにちは!

  2004年に法輪功の修煉を始めてから、私の心身に起きた大きい変化を言葉で表現することは出来ません。この短い数年の間、自己中心的に考えるばかりだった私は幸いにも修煉の道を歩み、法を正す時期の大法弟子になることが出来ました。数日前パスポートを更新する際に、自分の写真を旧いパスポートの写真と比較して見るとまるで別人のようでした。私は写真を撮る時に化粧をしなかったのに前より優しく、綺麗になっていました。これは大法を修煉してからの変化です。実は最大の変化は内心の変化です。宇宙の大法「真・善・忍」の法理は私の生命の根底から、私を浄化してくれました。私の多くの罪と執着心を削り取って、長い時を経てほこりに埋まっていた生まれつきの善良・天性を現すことができました。師父が弟子である私に修煉のチャンスを与えてくださったことに心から感謝しています。大法は私に新しい命を与えてくれました。弟子は師父に心から感謝します。

  この数年間、私は幸いにも法を実証するための様々な企画の中で修煉することが出来ました。下記の記述は私が神韻のチケットを販売しながら修煉した経験を同修の皆様と交流したいと思います。

 最初の神韻のとき、私の仕事はスポンサーを探すことでした。政府の営利機構で働いている友人と連絡が取れ、彼の推薦で初めは結構順調に、我々は重要な人物と会うことが出来ました。続いて私に強い顕示心と自分が偉いと証明してみせる心が生じてしまったのです。この心が生じた途端、せっかく順調に進んでいたことも失敗に終わり、当初私は暫く落ち込んでしまいました。私はやっと自分の大きい執着心のせいで失敗してしまったことが分かりました。それから自分を実証する心が生じたとすぐ分かって心を正すことが出来、気持ちを正して、仕事に携わるときの心を綺麗にすることが出来ました。

  その年、私はショッピングセンター内でチケットを販売することを任されました。我々は申し込んで小売り場が当たりました。それは朝の店が始まるときから夜の閉店時間まで必ず時間を厳守しなければなりませんでした。開店前に来て準備を整え、閉店後に片付けなければなりません。こんな小さい当たり前のことで心の中に不平を抱いていました。実にこれらは強い私心と顕示心でした。立派に仕事をやり遂げて他人に認めてもらいたい執着心だったのです。特によくやって他の人に認められたいと言う心が強かったのです。数年の修煉を経て、この心は薄くなりました。時々まだ出てきますがすぐ分かるし抑えることも出来るようになり、前よりは遥かに良くなりました。

  その年、私は毎日来なければならない「常任」の仕事以外に、調整役の人が毎日1人の同修を派遣し私を手伝う事になりました。はじめの頃、私は自分と同じ仕事が出来る同修と一緒にやりたかったのです。チケット販売の経験のない同修と一緒にやりたくなかったのです。私は固い気持ちを抱いて調整役の人に私が好きな人を派遣するように交渉しました。理由はその人は経験があるから私が教えなくても出来るからでした。我々はよく提携できるからと理由をつけました。調整役の人は私の執着心を知って私の意見を無視して自分たちの計画通り進めました。結果として、誰が来ても皆お互いによく協調することが出来ました。ここへ来る一人一人の方は皆それぞれの独特の販売方法があり、ここでの仕事を楽しくしてくれたのです。経験のない人も良く頑張って任務を完璧にこなし、縁のある人々に神韻のチケットを渡すことが出来ました。毎日、1日の仕事が終わったら、同修からたくさんのものを学ぶことが出来たのです。これに私は感動して、かつての自分の考えは非常によくない常人の心であることが分かりました。実際誰と一緒に働くかどうかは師父が決めておられ、全部完璧でした。この心を取り除くことが出来てから新たに来る人と一緒に働くことが出来、チームワークが出来て、スムーズに仕事をやり遂げました。

  ショッピングホールで丸一日立つことは容易ではありません。特に木曜日と金曜日のショッピングセンターは夜の9時までやっており帰ることが出来ませんでした。他の人が帰っても私1人で待たなければならず、そのとき心の中は結構辛いのです。特に金曜日に皆法を学習しに集まっていくのですが、私に声をかける人はおらず、当時結構不平を抱いていました。私にいろいろ執着心がありましたが、師父は相変わらず私を励ましてくださいました。私が最も辛いとき、縁のある人が来てくれて一家6人のチケットを買ってくれました。帰る途中私の中には様々な気持ちが現れました。感動、恥ずかしさなど、間違いなく今日の出来事は私を励ますために、師父の法身が用意してくださったものです。しかし、私の心性はかなり低いものでした。このようにしないとなかなか悟れないのです。それから私は毎日楽しく明るくショッピングセンターに立つようになりました。ショッピングセンターの人が全部立ち去ってから自分は最後に帰りました。すると奇跡が起こったのです。毎日、店の閉鎖時間が過ぎてからチケットを買い求める人が現れて、ほとんどの場合家族全員に買ってあげるのです。その年から、今後私は調整役の人と協調しながら仕事をやり、不平を抱かず、文句を言わず、できるだけ大勢の人にチケットを提供すると私は決心しました。

  翌年の神韻を宣伝している期間、劇場側は室内でチラシを配布してもいいと許可してくれました。モントリオールの寒い冬に外で配らなくてもよかったのです。これはとても良いニュースでした。皆、室内でチラシ配ることを喜んで大勢集まったのです。連絡人として、私は少しも警戒しなかったのですが、間もなく、邪悪が我々の隙に入ってきました。我々は劇場側に警告を出されてしまい、最後に室内で配ってはいけなくなったのです。特権を失うばかりか、劇場の人は第三者の目で我々を厳しく見るようになり、いろいろ制限するようになったのです。連絡人として私は大きい責任があります。内に向かって探して下記の問題をみつけました。1、自慢する自己満足の心。2、熟練ではなかった。3、回りを気にしなかったなどです。それらの事で劇場の管理に不便をもたらして、出入りする観客に影響が出てしまいました。その年、調整役の人は私に文句を言わず、同修の間でもお互いに誰の責任かを追及せず、皆話し合って問題点を整理して、内に向かって自分の問題を探すことが足りなかったと分かりました。その年、モントリオールは「転んでしまった」のですが、皆一緒に乗り越えようとしました。今回の失敗で皆たくさんのことが分かりました。

  3年目は、モントリオールにとって、皆一体となって昇華した1年でした。同修の間では無条件に協調しあい、私心なく貢献して我々は二度と失敗しない全体に育ったのです。同修のみんなの強い正念の下で、すべての障害はなくなりました。本来ならば劇場内ではチラシ配布はだめだったのですが、我々は意識して神韻のチラシは衆生を救い済度する重要なものなので室内で配ることが当たり前のように皆が意識するようになりました。これは直接縁がある人を逃さないようにチラシを配布する良いチャンスなので世の中の人々を救うために正々堂々とやったのです。調整役の人の心遣いのお陰で我々はすべての出入り口で1人も逃さないようにチラシを手渡して人々にチャンスを与えました。はじめは警察と劇場のスタッフが来て邪魔をしましたが、最後は奇跡的に「放置」して、我々が何を要求しても全部要求通りにやってくれたのです。最後に全部我々がやりたいようにやりました。(もちろん、我々も細かいところまで配慮し、絶対に劇場に影響が出ないように工夫し、劇場側の代わりにいろいろ誘導したり、質問に答えたりお客様へのサービスまでした)。強い正念の前で、警察とスタッフは我々の前を通るとき、見て見ないようにしました。

  モントリオールの冬は寒いのです。大勢の同修、特に白人の同修はずっと外でチラシを配りました。休みはありませんでしたが、文句もなかったのです。同修たちの姿を見て私はとても励まされました。調整役の人の下で、我々は室内外でチラシを配り続け、一人一人が動き回り大きな機械の部品のように、それぞれが重要な役割を果たしました。

  去年更に今まであまり口を開かない同修まで単独でチラシを配布できるようになったのです。我々のチケット販売処に慈悲と安らぎの気分が溢れました。よく5〜6人の同修が同時に5〜6人の通りかかる人々に神韻を紹介する場面が見られました。時々、我々に法輪功の動作を習いたいと声をかける人や、法輪功の真相を知りたいという人が大勢現れました。チケットを求めるとき我々に法輪功の真相を求める人がたくさんあり、チケット販売は同時に真相を伝える場にもなっていったのです。

  去年私は自分で小売店を始めました。私は昔、西洋人はどうしても中国人のように仕事で苦労することができないと思っていました。この見方があったから、西洋人に対する慈悲心は口先だけに留まっていました。小売店を始めてから、西洋社会の苦労がわかるようになりました。私のお客様はほとんどが西洋人です。私は母と一緒に短かい期間に大法弟子の善良、勤勉、優しさでお客様に認められました。大勢のお客様は生活に目標を持たず、毎日タバコ、お酒、宝くじに楽しみを託していて、現実の生活の悩みから逃れようとしていました。彼らの生活の現実を知った後、私の考えは変わり始めたのです。これは中国人と違うもう一つの悩みであることに気づきました。すべての法を得られなかった命は悩みで一杯でした。様々な分野で大法弟子が彼らと縁を結ぶことを望んでいるに違いありません。大勢のお客は私たちの誠意と善良を受け入れ、私と母も彼らに心から感心したのです。お金を儲けるためではなかったのです。我々はこの素晴らしい大法を彼らに知ってもらう義務があるのです。行き先を失っていた命にとって、我々のここへの「訪問」は決して偶然ではないのです。

  小売店に英語とフランス語の大法を紹介したチラシを置いて、テレビ画面で神韻の紹介の宣伝用のDVDを放送しました。母と私は誰が来ても神韻を紹介しました。母は言葉の壁はありますが、体の表現でなんとか言いたいことを伝えることが出来ました。去年、小売店は30枚の神韻のチケットを販売して、法輪功のDVDを数十枚お客様に渡すことが出来ました。大勢の人が大法に正しい認識を持つようになったのです。数日前、ビール会社の営業マンの若い青年が私に「この前、あなたの店でもらった法輪功を紹介するDVDをもらって、自分の母にあげたら、母はその後、ネットから法輪功の煉功映像をダウンロードして非常に喜んで、今ずっと修煉している」というのです。

  モントリオールの小売店はほとんど中国人が経営しています。仕事絡みで我々は大勢の中国人に真相を伝えることが出来ます。皆同じ経営をしているので、同じ中国人だから会ったらもちろんうれしく思います。真相を伝えやすいからです。法輪功の修煉を始めてから母の病気は全部消えました。60歳を越えているのに皆40歳ぐらいだというのです。母は誰にでも前向きで、元気と言う印象を与えます。その結果、真相を伝えやすいのです。大法の素晴らしさを自分の体で表しているから真相を伝えるには苦労しないのです。大分前から海外に来ていた自分が知っている中国人は少ないのですが、店をやりはじめてから、たくさんの中国人と接触のチャンがありました。その中で大勢の中国本土から最近来た人たちは、法輪功の真相を知りません。しかし、私の想像しているように中共をそれほど信じていないようでした。また、大勢の中国人は結構善良だったのです。彼らの疑問に答えたらすぐ真相を信じるようになり、その中の数人は今法輪功の修煉を始めています。

  これらの出来事は師父の法身が私の修煉のために用意してくださったものです。私の小売店は人を救う拠点にならなければならず、仕事と人を救う大法のことを同時にやり遂げるのです。我々の修煉は決まった道と言うものはなく、師父が教えてくださったように、社会との接触の中で、小売店をやるにしても、大きい会社を経営するにしてもどんな商売をしても、公平に取引を行い、心を正しくすれば、人類社会の様々な職種はどれも存在の意味があります。問題は人の心が正しくなく、歪んでいることです。どんな職業をやるのかは関係ないのです。「昔から『商(あきな)いをする者は、十人中九人がずるい』という言い方がありますが、それは常人の言い方です。わたしに言わせれば、それは人間の心の問題です。心を正しくもち、公平に取引をすれば、多く働くだけ多く稼ぐのは当然のことです。「失わないものは得られず」と言われているように、それは常人社会のあなたの働きに対する当然の報酬です。いかなる階層においても、良い人間になることができますが、階層が違えば、違ったトラブルがあります。高い階層には高い階層のトラブルの形式がありますが、しかしどこでも正しくトラブルに対処することができます。どの階層でも、良い人間を目指しさえすれば、あらゆる欲望や執着心を捨て去ることができます。どんな階層においても良い人間になることができ、誰でも自分のいる階層で修煉することができます」(『転法輪』)

  1年また1年、神韻を広げる中で、忙しい日々を送ってきました。衆生に残されたチャンスもますます少なくなっています。今年は更に大きい進展を見せないといけません。最大限に衆生を救うことが最も大事です。私はそのためにまず数人の同修と一緒に法を学習するチームを作り、毎日法を学習しています。みんな共通の認識があり、法を学習するとき昔のように怠ってはいません。我々の法を学習するチームは停まってはいけないのです。今年のモントリオールの同修たちは無条件でお互いに協調しあい、私心を放棄し、一体となって衆生を救う義務をもっと果たさなければなりません。

  師父に深く感謝します! 皆様ありがとうございました。


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/4/202230.html