恨むことも業を造ること 文/浄蓮
(明慧日本)私の夫は同修の中の一員で、当初彼にプロポーズされた時、私はとてもためらいました。まず彼は私のタイプでない上、常人の角度から見て、彼の各方面は私に及ばなかったからです。したがって結婚した後、彼が私に順応するならまだ良いのですが、私の要求に満たさなければ、すぐに恨みが生じてしまいました。
私はとても長い間彼に対して恨んでいて、数年前のある時、夜寝ていると2本の魔の手が私をつかんで握って、しかも2本のとても長い黒い手が私の足まで挿し込んでいて、私はびっくりして大声で、「師父、私を助けて」と叫んだため、やっと一難を乗り越えることができました。後に子供の誕生と姑(同修)の介入にしたがって、三人の対立はますます大きくなりました。師父は修煉者の離婚は漏れがあるとおっしゃっているので、私はかろうじて離婚せずに婚姻を維持しているものの、心の中は彼を自分の夫と見なさなくなり、姑に対しても強烈な恨みが生じました。
先月、私は突然鼻水が出て風邪の病業の現象が現れて、自分がよく行っていないため、旧勢力に隙に乗じられ迫害されているのを知っていました。しかし、内に向けて多くの執着心を探し出しても、病業の現象は依然として残ったままで、肝心な執着を探し当てていないようでした。しかしどこが誤ったのか分からなくて、ずっととても困惑していました。
数日前、師父の『各地での説法・シンガポール佛学会創立式典での説法』の中で、「人間は誰かも業を造るもので、ある人は殺生したことがあり、人をいじめたことがあって、あるいは彼を罵ったり恨んだりしたことがあり、何か悪いことをしたことがある等等、いずれも業を造ることになります。これは一種の黒い物質で、人の身の回りにも存在しています。その黒い物質は1人の苦痛や疾病に繋がり、あるいは何が面倒なことに出会ったり、商売ができなくなったりする等等の苦痛はみな業力からもたらしたのです」との経文を読みました。私はようやく、恨みは人を殴ったり罵ったりすることと同じように、いずれも業を造ることになると分かりました。
師父は、『音楽と美術創作会での説法』の中で、「穏やかな状態こそ、善であり、本当の人間の状態です」、「皆自我を放棄し、皆修煉が良くでき、それほど強い自我がなければ、夫婦は大法弟子なので、これらのことを正しく扱うことができないのでしょうか」「二人とも修煉者で、お互いに思いやりあっていれば、なぜ離婚がありえるのでしょうか? 壊すことができないほど固い仲であるはずです」(『各地での説法六・アジア太平洋地区学習者会議での説法』)と教示されました。
法理の上ではっきりしたことによって、私の空間場の良くない物質は直ちにたくさん取り除き、度量はすぐに広くなりました。夫と姑はみな私の同修であり、師父は世の全ての人がかつて師父の身内だとおっしゃったことがあり、私はどうしてまた彼らを恨んでいて、恨むことも個人のためなのではありませんか。今恨むことも業を造ることができると分かって、自分の恨むことを執着する心を掘り出したことによって、鼻水が出る風邪の現象もなくなりました。
2009年6月10日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/8/202357.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
|
|