内に向って探し、善意を持って他人に対処する 文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)最近になって私は、法の中で法を認識できたら、真に正念を揺るぎ無いものにできると分かりました。ここまで到達するには、トラブルにあったとき無条件に内に向かって探すべきです。
私は師父の次の段落の説法をしっかりと記憶しています。「私までこのようにできるのに、皆さんはなぜ善意をもって全ての人に対処することができないのでしょうか?(拍手) トラブルに遭ったら、私に問題があるのではないかと皆自分の内心に向かって探すことができれば、どんなこともやりやすくなります。修煉は飛ぶように速くなります」(『米国西部法会での説法』) 何事に遭っても、私は自分を探し、しかも善意を持って人々に対処します。時には、難の中で自分がどこで間違ったか全く分からないとき、どうしたらいいでしょうか? 私はずっと心を動かさず、同時に善意を持って人に対処することを堅持して来ました。
半年前、私の夫は浮気をして、どうしても離婚しなくてはいけないと話しました。私は自分に問題があると思い、自分の執着を一杯探しましたが、状況は変わってきませんでした。私は苦しくて、大量に法を暗記しました。この時こそ、私は問題を解決するため内に向って探さなければならないと分かりました。まず、問題にあって心を動かさず、離婚するかどうかを考えず、自分がなすべきことを考えました。彼が夜遅く帰っても、私は彼に食事を作りました。夫が帰らなくても、問い詰めず、夫が金銭を浪費しても、私は見ぬ振りをしました。当時、私は発正念をしながら、彼を操っている邪悪の要素を取り除きました。
ある日、私は夫に相談する事があって話しかけましたが、夫は機嫌が悪くなって私に「出て行け」と言いました。私は、部屋を出ましたが、心はやり切れない思いでいっぱいでした。師父の法を暗記してから、ちょっと落ち着いてきて、怒られても善意を持って夫に対処すべきだと思いました。翌日、夫は何も発生しなかったように私に話しかけました。このように一定の時間を経てから、夫は次第に変わってきました。相手は原因が分からず夫とその後離れました。現在も時に夫は離婚の話を出しますが、当初の状況よりはよくなりました。これは多分私が修煉の中でまだ足りない部分があって、もっと向上すべきなのだと思いました。
他の人と付き合う時、私は一つの事をずっと考えます。どんなに大きな問題が起こっても、表面の常人の理では私がどんなに正しくても、私は修煉者で、常人の道理で量ってはいけません。私は常に、善意を持って他人に対処し、同時に私は自分の不足を見つけました。その過程の中で自分の向上は大きいものでした。自分も以前のように容易に興奮しなくなり、他人を寛容する事ができたと感じました。
心性が向上してきて、私は真相伝えのことをより良く行うことが出来るようになりました。とりわけ面と向って真相を伝える時、心理状態が穏やかになって、昔よりうまく話しました。
内に向かって探し、善意をもって他人に対処する。これは現段階の私の修煉体験で、間違ったところがありましたら、慈悲なる同修の指摘をお願いします。
私は良く修めている同修とはまだ差が大きく、師父の要求にも差があります。私は続けて真剣に学法し、絶えず精進していきます。
2009年6月10日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/8/202348.html)
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