日本明慧
■印刷版   

正しいことをしていることを言い訳にして、他人のことを気にしないのは利己的である

(明慧日本)五月の連休の時、私と夫はバスに乗って実家に向かいました。バスに乗ると、すぐにある女の子が「さっき泥棒を見た」という声が聞こえました。そして、すぐに自分のカバンを見てみると、チャックが空いて財布が無くなっていたので、少し焦りました。財布の中に数枚のカードといくらかのお金が入っていたからです。しばらくして、夫(修煉者)に財布が無くなったことを話し、私たちは急いで運転手に話しました。運転手は「仕方ない、通報した方がいい」と言いました。その時、運転手は地面に財布が落ちているのを見つけ、「これはあなたの財布ですか」と私に聞きました。それを見て自分の財布だと分かり、中を開けるとお金は無くなっていましたが、カードは入っていたので、ホッとしました。席に戻り、「どうなっているの? なぜこんなことがあるの? よく内へ向かって探すべきよ。なぜ3か月も経たないうちに、同じバスで二度も泥棒に遭ったの? ただ、前回お金を失くしたのは私ではないけど」と夫に言いました。

 前回は、年越しのときに、今回と同じバスに乗っている途中で、誰かがお金を失くしたことに気づいて通報しました。運転手はこのバスは目的地には行かず、警察局に行くと告げました。これを聞いてとても焦りました。なぜなら、私は真相資料を持っていたので、何か面倒なことが起こるかもしれない、邪悪に妨害されたのだと思いました。余計なことをして公安局に行ってもあまり意味がないし、しかも時間が無駄になると思いました。そのとき、周りの人たちが騒ぎ出しました。この事件が成立しないようにと私たちも一緒に騒ぎました。そして私たちは発正念をし、私たちが衆生を救い済度することを妨害するすべての邪悪を否定し、正念で自分の恐怖心を否定し続けました。バスが公安局に着くと、警察がバスに乗り込み、乗客の男性やお金を失くした人の周りの数人を調べました。その時、私たちはすぐに安全にそこから逃れることができ、安心しました。

 この出来事があってから、内へ向けて探しました。最近あまり精進してないことに気づき、だから絶えず妨害されるのだと思いました。しかし、この出来事の中で、自分がどう考えていたかは詳しく考えませんでした。泥棒にお金を取られた人に対して同情していないし、しかも泥棒を厳しく叱りませんでした。そして、調査に協力しなかったうえ、お金を失くした人に対して不満に思っていたのです。これはなんと汚い心でしょう! また、周辺の人と皮肉を言っていて、それを聞いた人はなんと不快になることでしょう! なぜ他人のことを思わないのでしょうか! このような汚い考えがあることにまだ気づいておらず、最後には旧勢力に弱みにつけこまれ、自分がお金を失くしました。ここまで考えて、心が落ち着きました。何も起きていなかったかのようでした。財布の中のお金は少ししかなくなっていないことに気づいて、とても恥ずかしく思いました。当時、自分が良くなかったことは、自分が正しいことをしていて、起きた全てのことを妨害だと思い、他人のことを考慮しなかったことです。正しいことをしている、と自分の私心を隠していたのです。

 正しいことをすることを言い訳として、他人のことを気にしないのは利己的です。しかもそれは悪いことで、私たちが最も捨てるべき執着心です。同修の間に起きた矛盾の多くはこれが原因です。常人に真相を伝えるときに、効果が良くないのも、ここに原因があります。この教訓を書き出して自分への戒めとします。適切でないところは慈悲なるご指摘をお願いします。合掌!

 2009年6月11日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/31/201962.html