集団学法を堅持することと集団学法の中で得られた体得(一)
(明慧日本)大法弟子は師父に従い人間として法を実証し、同修達はそれぞれ自分の修煉の道を歩み、自分の威徳を樹立しています。しかし、一部の同修は精進できず、一部の同修はずっと観念に妨害され、三つのことを同時にしっかり行うことができません。一人も置き去りにしないでで、全体で高まり、全体で昇華することは、全ての同修にとって三つのことはしっかりと行い、必ず直面しなければならない修煉内容です。集団学法は修煉者を精進させ、向上することのできる唯一の最も良い方法ですが、私達の村の同修のこの方面での認識といくつかのやり方を紹介します。
同修を探し出して集団学法を回復する
私は1997年4月下旬に修煉を始めました。7.20以前、私は当村の指導員の一人でしたが、7.20以降、恐れる心のため、半分以上の主要な指導員は修煉をやめましたので、村の修煉状態は砂のようにばらばらになりました。
私は関連機関に何回も調査され、公安局に何回も拘留され、最後に関連機関は私が法輪功の修煉を放棄しないことを理由として、強制的に病気休暇で私を家に帰らせました。その後の数年間、私は恐れる心がとても重かったのですが、社会、家庭の二重の圧力の下で苦しく過ごしてもなお、学法を放棄しませんでした。ある時、師父の経文を勉強する時、師父のある言葉に私の心の鎖が解けました。「法は一切の執着を打破することが出来、また、法は一切の邪悪を打破することが出来ます。法は一切の虚言を打破することが出来、法は正念を固めることが出来るのです」(『妨害を排除せよ』)そうです、集団学法は、師父が按排された道で、私の前で私をさえぎる全てのもの押し退けることができるはずです。
私はまず自分の家で学法グループを設置しました。ふだんは『転法輪』を学んで、それから7.20以降の各地の説法を学びます。師父の短編経文もよく学び、月曜日は皆で明慧週刊を学んでから交流をします。皆は、自分が急速に昇華して来ていることを感じました。明慧週刊の文章からも、多くの啓発を得ることができました。
7.20以前、私達の村の指導員と副指導員は同じ村に住んでいましたが、7.20以降、二人とも修煉をやめてしまいました。その村は大法弟子が多かったのですが、みんな修煉をやめてしまいました。常人に戻った人さえもいました。それからの数年、彼らを探し当てて、彼らと交流した同修もいましたが、全然効果がありませんでした。2005年冬になって、私達4人の同修が交流して、その村で学法グループを設置しなければならないと意見が一致したので、そこで私達を二つに分けて、その村で二つの学法グループを設置しました。そしてどんな天候に関わらず、毎晩堅持して彼らと一緒に学法して、交流しました。次第にその村の同修の正念も強くなってきて、だんだんと多くの同修が大法の中に戻って来ました。そして、三つのこともすることができるようになりました。
この事で、私達に対する啓発がとても大きかったのです。以前、私達はこのような同修達とただ交流をしただけでしたが、彼らと一緒に学法することはありませんでした。その結果、交流したあとの2、3日は良くても、次第に元の状態に戻ってしまうのです。内に向かって探してみたら、結局私達は真に学法を習得しているわけではありませんでした。法こそが一切の邪悪を打破することができ、同修の本性を呼び戻せるものです。私達は同修を探し当てる時、ただ彼らを説得だけして、修煉の機縁を大切にすることを望んでいただけなので、同修の状態に左右され、たまに私達は自分の心性を守りきれなくて、怒り出したりして、まったく自分の心性を修めて向上できていませんでした。思い出すと、たくさんの貴重な時間を浪費しました。昔の同修を探し出したい同修がいれば、私達のことを教訓にして下さい。同修を探し当てる時、あまり説得しないで、同修と一緒に学法して、できればしばらく彼らに付き添い、それからそこで学法グループを設置することです。学法グループに入り、堅持して学法さえすれば、その同修は次第に付いて来ることができます。「どんなに辛くても、ぜひ頑張って受講に来てください。この会場に入ればすべての症状が消え、何の危険もありません。この事を皆さんに言っておきたいのですが、どんなに『病気』で苦しいと感じていても必ず来てください。法は得がたいものです。」(『転法輪』)法には幾重にも重なる内包があります。大法弟子は過去のいかなる時期の個人修煉とも異なり、師父が私達に按排して下さったのが集団学法であり、この環境の中で学び、修めれば、早く向上し、どんな難関も突進することができます。
集団学法は全体を向上させた
集団学法は私達全体の昇華をとても速くさせ、一つ一つの難関を共に突破できました。ある50歳前後の女性の同修は、数年前に邪悪に隙に乗じられて、心臓手術をしましたが、一昨年、突然また同様な状態が現れてしまいました。私達は彼女の家で学法グループを設置しました。同修たちは学法して、交流して、何事もないかのように誰も彼女の病業に言及しませんでした。学法のみをして、彼女に自分で内に向かって探させました。法の中から「修煉する心があればとて、功を得る心無し」という理を認識できましたので、毎日心を静めて学法して、正念で邪悪を一掃しました。だんだん彼女が自分の修煉の中の抜け穴を見つけ、心性が高まってきました。彼女は名利心と顕示心がかなり強く、大法弟子として、してはいけないことをして来たために、徳を常人の業力と交換していました。そのうえ、同修の忠告も聞き入れませんでした。しかし、彼女は徹底的に目が覚めて、自分の延長された命は、全て法を実証することに用いなければならず、常人の生活のために使うことはできないことが分かりました。今、彼女は三つのこともちゃんとできています。特に面と向かって真相を伝えることは一番良くできていて、今は村の主要な協調者となっています。彼女のことは法を広げる作用となり、特に彼女の家族は大法の摩訶不思議さを一層知り、一家全員が人を救う事に参加しています。
病業のこの例から、今まで同修を手伝って病業を超えることに存在していた問題を見つけました。以前、同修の家に行く時、まず先に正念を発して、学法をしても目的性が強くて、その場にいる同修はみな病業の同修が早く良くなって欲しいと思っていました。これは強烈な求める心です。求めれば求めるほど、ありがた迷惑であると今になって認識できました。とても重要なことに私達は気づいていませんでした。「自分が良く感じても、悪く感じても、実はあなたははっきり区別できません。一つ教えておきます。全部良い事として受け入れれば良いのです。」(『米国西部法会での説法』)しかし、私達の第一念が同修のこれらの状態をすべて悪い事と見なしていて、それをうわべだけの現象として見ていなかったのです。私達は人のものを修めて取り除く必要があり、理性的に向上すべきで、神の道でもう一歩前進しなければなりません。もし、病業になった同修と一緒に学法している同修が病業をうわべだけの現象であって、良い事だとして気にかけなければ、邪悪はどうなるでしょうか? 要するに、私達みなが最も肝心なことを忘れていました。それは修煉です。私達の認識は同修の助けになります。病業の同修が好転しなければ、彼の心に抜け穴あり、そこの認識がまだ高まっていないからだなどと陰で非難することは正しくありません。それはまた同修によくない物質をプラスして、最後には皆どうしようもないという諦めの気持ちを抱き、病業の同修の元に行かなくなり、病業になった同修1人だけが取り残され、旧勢力に肉体まで奪われてしまいます。病業の同修に対して、どのように修煉するのか、私達の地区ではまだ全体で早く昇華することが必要です。
集団学法で旧勢力の按排を打破する
この数年、私達は集団学法で旧勢力の按排を打破した例があります。ある出来事は私達全ての修煉者に大法の威力を見せてくれました。
何人かの同修は、親戚同士で商売の提携をしたことで、旧勢力に隙に乗じられ、お互いの対立がとても深くなってしまい、その中には修煉をやめた人もいれば、相手を◯◯してやると言いふらした人もいました。周囲の同修は説得しようとしましたが、結局巻き込まれてしまいました。何人かの同修が学法の時、このことについて交流し、これらはすべて旧勢力の仕業だと分かりました。このことは、すでに常人の中において大法に対して良くない影響を生じていたので、私達は決してそれを認めませんでした。しかし、彼らの中の誰とも交流したくてもすでに交流できない状態なので、どうしたら良かったのでしょうか。学法しかありませんでした。そこで、私達はそれぞれ彼らの中で二つの学法グループを作り、学法の時間は始終師父の各地での説法を学び、誰も喧嘩して対立したことについて言及しませんでした。それぞれ各自に内に向かって探すのみでした。私はこのことについて同修は私達の鏡であり、彼らの名利心、争闘心、嫉妬心、触るとすぐに爆発する心は、自分自身にもあり、しかもとても強いのだいうことが分かりました。その他の同修も、自分がこの面ではまだ良くない物質が存在しており、必ず取り除かなければならないと見つけました。
学法することによって、当事者の同修は少しずつ向上し、自分はまだ内に向って探すことが分からなかったのだと認識でき、揉め事は良いことであると分かりました。揉め事を通じて多くの悪い物が、修煉を通して取り除かなければならなかったのに、残念ながらこんなに良い向上の機会を逃してしまいました。お互いに向上が見え、憤慨も消えて、魔に利用されて無責任な言葉を言ったり叫んだりしなくなり、皆が笑い合いましたが、引き続き学法を続けました。なぜならば、彼らにはまだ捨てなければならないたくさんのものがあり、学法だけが、彼らに自分の内心からそれを理解させることができるからです。しだいに彼らは、自分の行為が大法に悪い影響をもたらしたことが分かりました。彼らのこの事は各家の常人の親戚までも巻き込んだため、家族の中でも対立させてしまいました。しかし、これらを認識してからは、彼らは自発的に努力し、少しずつ自分の心で問題を解決して、今この大家族の関係はまた元の正常な状態に回復しました。
この同修たちは学法してから、まず自分の行動で先に双方の間隔を打ち破らなければならず、人のメンツ、自尊心が強いことを放下して、先に自らが口を開いて相手と話をしなければならないと気づきました。この第一歩は進みにくいのです。ある同修は何回もこの関を越えられず、皆が彼女を励ましました。「法理の上ではっきりと見分けなければなりません。あなたと同修との間隔を取り除くことを阻止しているのは邪悪な生命で、断固としてそれに制御されてはいけません。断じてそれを消滅させなければなりません」と伝えました。ある日、彼女は遂にこの一歩を踏み出すことができました。みんな彼女のために喜び、彼女自身も大変感慨を覚えました。
この事で私達は一年近くの修煉の時間を費やしましたが、その過程で大変な受益がありました。いかなる面倒なこと、良くないことも全てうわべだけの現象であることを認識できました。すべてが私達を向上させるためにあるのです。法理から見れば、この事は一念で解けるのですが、常人の念を使えば、永遠にこの関所を越えられません。しかも、どのことも単一ではなく、当事者のみが修めるだけでなく、全体の昇華が必要です。このことに対して、皆が最初に同修を説得したにも関わらず、同修は自分を修めずに説得を聞き入れなかったので、それで皆は陰で非難し事態が悪化し、人身事故が起こりそうになりました。それにより自分が巻き込まれるのを恐れて皆がこの事を避けるようになりました。しかし、最後は学法を通して、共にこの関を乗り越えることができました。このことの全過程を思い返した時、皆は感無量になりました。
(続く)
2009年6月11日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/4/3/198225.html)
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