学法と正念
文/ウルムチの大法小弟子
(明慧日本)今日、夜10時ごろになって、眠くてたまりませんでした。私は、今日はとりあえず寝て、明朝5時に起きて発正念を補えばいい、一回ぐらい発正念をしなくてもかまわないだろうと思って寝ようとしました。しかし、どんなに寝ようとしても寝られず、頭にいろいろな考えが浮かんできます。心の中で旧勢力の妨害ではないかと思いました。それで、正念で妨害を排除しながら、師父の加持もお願いしました。でも相変わらず寝られず、イライラしました。
11時になって、私はもう寝られなくて起きました。落ち着いてから頭の中で師父のお話が思い浮かんできました。「問題が現れたら、それは自分が法理とねじれてしまったからです。問題の所在を探し、ねじれている部分を解きほぐし、問題を整理して解決します。最も良い方法は、問題に出遭ったら、前へ前へと突っ込んではならず、追い詰めて解決を求めてはならず、心を放下し、一歩下がって問題を解決すべきです」(『米国首都法会での説法』)
これは私を寝させないで、発正念する時間まで待たせるためではないかと、ハッと悟りました。しかし、自分はかえって師父に早く寝られるように要求しました。これは私心ではありませんか? 自分の得失のことばかり考え、他の同修のこと、ひいては不法に監獄や労働教養所に監禁されている多くの同修のことを考えもしませんでした。しかも、今回の一回ぐらいは発正を念しなくても大丈夫だという考えは、大法弟子の状態なのでしょうか?
師父は『ロサンゼルス市法会での説法』の中で次のようにおっしゃいました。「あなたが包容する範囲内は、あなたが責任を負うべきであり、そこの良くないものと邪悪な要素をあなたが一掃しなくても良いのでしょうか? 必ず一掃しなければなりません。一部の大法弟子は正念を発することを重視していないため、自分が妨害されるだけではなく、それらの邪悪要素はほかの弟子をも妨害しているのです。自分が行なうべきことでさえ、しっかりできないのでしょうか? 自分の分をしっかり行なうだけでなく、ほかの人のも手伝うべきです」
私はここまで考えて、本当に恥ずかしくて、師父に顔むけができませんでした。師父は私達に、無私無我の境地に達し、なおかつ他の人を優先に、自分を後にするという正覚まで修めるよう要求されましたが、私はこのような状態と比べると非常にかけ離れています。
正念を時々刻々持つべし
私は高校生で、もうすぐ大学入試試験があり非常に忙しいところです。どんなに時間がなくても、私は毎日帰ってから法を勉強することを堅持しています。現在、社会の良くない習慣を学生達はすぐに習います。私は、これらに染められないためには、毎日法を勉強し、正念を強めなければならないと思います。学校は中国共産党の棲息地ですから、毎日の学法と正念で、異なる空間の学校に対する妨害を取り除いて、よりよく真相を伝えなければなりません。私のクラスの人達はみな党文化に毒されています。例えば、私が毎日12時まで勉強していると言ったり、授業中に質問に答えたりするとクラスの人達は嫉妬の目で見てきて、裏では陰口を言ったりします。師父が私達に、外界の妨害に抵抗するために伝えられたのは学法です。だから、常に自分を修煉者だと自覚し、学法をしなければ、その中に堕ちやすいのです。
師父は『精進要旨二』の「妨害を排除せよ」で次のようにおっしゃいました。「悪らつな破壊性のある試験の中で現れるあらゆる問題について、前もってわたしはすべて説法の中で皆さんに教えています。真に着実に修めていない人には、なかなか乗り越えることが難しいのです。今になって、なぜ、わたしがいつも皆さんに本を多く読むようにと言っているのか、皆さんにも、よりはっきりと分かったでしょう! 法は一切の執着を打破することができて、法は一切の邪悪を打破することができますし、法は一切の虚言を打破することができて、法は正念を固めることができるのです」
私は以前はこの言葉の内涵を知らず、師父が多く学法するようにと要求されましたが、私達はその通りにすべきだと思いました。まるで任務を完成する状態で、師父に見せるために行い、しかもこれで良いとさえ感じました。しかし、今考えると大間違いでした。
色欲の妨害を取り除く
同年齢の学生たちは、片思いにしても、恋愛するにしてもみな好きな人がいます。私はこの問題について、すでに大法弟子として、これらの心を断絶すべきだと思います。中学生の時はこれらについてよく把握できていましたが、高校生になってからは、友達はよくエロチックな映像を見ていて、私の前で同性愛のことについて話したりもします。私も妨害されました。
師父は次のようにおっしゃいました。「大法弟子よ、色欲は修煉者にとって最も乗り越えがたい関であると私は随分前に既に言いました。常人のこの情にひどく動かされています。これほどのことでさえ、自ら抜け出すことができません」。(『2004年米国西部法会での説法』)
師父のこのお話から、私は修煉の厳粛性について深く分かりました。私も以前、エロチックな映像を見たことがあり、今日このことを暴露して、この心を取り除きます。ここで私は私と同じ年齢の同修に注意を促します。自分の考えを法の中に置くべきで、いかなる言い訳であっても、自分を欺いて旧勢力に隙に乗じられてはいけません。私はこれらの心が見つかったら、力を入れて取り除こうとします。まだ徹底的ではありません。今日、私は学法の重要性を認識し、学法を重視し、これからの修煉を一歩一歩、正しく歩みます。
以上は個人の悟りで、間違っている所は同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
2009年6月12日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/8/202322.html)
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