日本明慧
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同修と一緒にいた日々


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)修煉の中で接したある同修のことが、ずっと忘れられません。正しい念と正しい行いをもって、吃苦を当(まさに)に楽と成し、精進して修煉していました。この同修は忙しくてご飯を食べる暇もなく、節約のために歩いて移動することもよくありました。毎月300元の給料で、よく資料点を支えていました。また、いつも陰で他の人の噂話をせず、何かあったら直接指摘しました。私に何か不足があって、この同修に単刀直入に指摘されたとき、とても感服しました。なぜかと言うと、この同修は純粋に私の向上のために言ってくれたからです。今考えると、この同修と一緒にいた日々に、私はとても向上しました。今日、この交流文を書き出して、同修の間に正念の場を形成し、互いに向上していくと邪悪の居場所がなくなることについて話したいと思います。

 この同修と知り合ったのは大法のおかげです。ある日、協調人が「あなたの家を借りて資料点を作りたい」と言いました。私は即座に承諾して、1人の女性の同修と一緒に住むようになりました。この同修はハルピン市女子刑務所から出たばかりでした。当時、私達の地区に資料がとても不足しているのを見て心配し、1カ月間、他地区に1人でコンピューター技術を勉強しに行きました。帰るときに、他地区の同修は彼女にノートパソコンと小さいプリンタをくれました。資料点はこれで成立し、1人の男性の同修が来て教えてくれました。私は雑用を手伝いました。例えば『九評』の本に表紙を付けたり、縁を揃えたり、小冊子を作ったりしました。軌道に乗ってからは女性の同修が1人でできるようになり、男性の同修は帰りました。男性の同修はたまに顔を出してみるだけで、今は女性の同修が『九評』、『転法輪』を全部自分で作ることができるようになりました。

 私達の地区は正法の形勢の進展につれて、相次いで家庭式資料点を運営し始め、資料不足を緩和しました。この同修は生計を計るために外で家政婦の仕事をしました。朝8時から夕方6時まで働いて、毎月300元をもらいます。仕事が終わって、私たちは一緒に資料を作りました。毎週、小冊子800冊、チラシ800枚、『九評』を数箱分と『明慧週刊』を作らなければなりません。その時はよく明け方3時まで続け、やっと寝て、朝6時に起きて発正念しました(当時、朝の全世界の煉功はまだなかった)。朝6時から8時まで学法して、8時から仕事をしました。

 当時、私は業を消すことを知らず、法理に対してあまり分からなかったので、具合が悪い時に、自分は年をとって70歳なので当たり前だと思い込んでいました。時には全身が痛いこともありました。ある日の夜、私は同修と対立しました。私は彼女のために手伝っていると愚痴をこぼしました。「今夜はあなたと一緒に朝3時までしないよ、12時の発正念が終わってすぐ寝ます」と言うと、同修は笑って、何も言いませんでした。私は一層不平に思い、ぶつぶつ長いこと言いました。「資料を作る人がさらに届けて、配るまですることはないよ。一部の同修はあなたのことを理解できない(私も含めて)。要するに資料を配布する同修はプレッシャーをとても感じているので、この寒い日にはなるべく少なめに作って欲しい、少し緩和したほうがいいのではないか・・・」と私は言いました。

 すると、相手の同修は知らん振りで、ひたすら小冊子を作りました。翌日、同修は定時に帰ってきませんでした。実は、同修は資料を配る同修の実態調査をしていたのです。同修の考えが真っ白なのを見て、私は、自分の私心とくらべてとても辛かったです。同修はまだ晩御飯を食べていなかったので、残りの冷たいジャガイモを食べて晩御飯にしました。それから、同修は、今の資料配りのルールは、必要な分だけそのつど渡していて、割り当てをしていないと説明しました。

 同修が正しい念と正しい行いをして、大法のことを行なううえで全く文句を言わないので、私は内に向かって探しました。私は法理に対してまだ認識不足で、修煉時間が短く、正法のことをするだけが修煉だと見なしていて、まだ安逸心があると分かり、さらに師父の説法を読みました。「大法(ダーファ)弟子が邪悪の迫害の中でよく行えなかったり、自分をゆるめてしまえば、これまでの努力が水の泡になります」(『精進要旨二』)。利己的な私心を探して、基点を正しくして、する事すべては自分の責任であると分かりました。それから、この同修と上手く協力し合って、私も同修につられて精進するようになりました。

 ある日、私は庭で柴を切っていたときに、どん! どん! と音が聞こえました。誰かと聞くと、派出所だと言いました。私は合掌して、ここは資料を作り衆生を済度するところなので、悪い人が何も見えないように師父にご加持をお願いしました。私は歩きながら正念を発して、ドアを開けました。すごくたくさんの人が来ました。派出所の所長、指導員、警官、役場の総合管理幹部が入って来てから、私は笑いながらどうぞと言いました。4人はすぐに電線で作った物干しロープを見て、質問しました。これは普通の物干しロープだと私は答えました(彼らはブロードバンドケーブルを探していると私は分かっています。最初ドアを引いた時にすでに上手く処置しました)。

  あなた達は何を探しているの、と私は質問しました。所長はこの部屋(資料の部屋)は誰のものかと聞くので、知らない、名前も分からないと答えました。名前の知らないのに住んでいるのか、と聞かれて、私は金さえもらえば住ませると言いました。この時にある警官は、通報人があなたの家に爆発の危険物があると言っている、というので、そんなことはない、内装する仕事だけでそんな危険物はないと私は答えました。「では開けて見せて」と警官が言うので、「いいえ、鍵はありません。部屋にいろいろあるから鍵を渡してくれないのです」と私は答えました。警官は「いつ帰るのか」と聞き、私は「知らない」と言いました。4人は、そのまましおしおと帰りました。今振り返ると、当時の私は恐怖心もなく、自然に応対したため、邪悪も隙に乗じることができなかったのです。4人が帰ってから、同修は部屋から出てきて、すべて聞こえたと話しました。実はもう1人の同修が資料作りの勉強のため他地区から来ていました。

 それから安全のために資料点を移転しました。その後、警官がもう1度来て、ドアを開けて見ましたが、何もなく、ただなぜ引っ越したのかと聞いて終わりました。今回の危険を経験して、普通に見えますが、実は心性の修煉でした。念が正しければ、邪悪も隙に乗じることができないのです。

  2009年6月12日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/31/201956.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/6/11/108196.html