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最後まで修煉して、師父について家に帰る


文/中国大陸の大法弟子聖梅

(明慧日本)「修煉する、最後まで修煉する」 この言葉は私が1999年7・20の時、邪悪が大法と大法弟子を迫害する事に直面して、大法書籍を没収している時期に決めた一念です。「本は渡さない、大法は修煉しない訳にはいかない。大法の修煉を止めれば、お金がなくて治療できずに死が待っている。大法を修煉すると中国共産党の迫害に遭って待っているのは死。(当初の浅い認識です)その時私はまだ2年しか修煉していなかったが、大いに受益した、病気はいつの間にかなくなって、全身が軽く感じられた。本当の無病の楽しさとすばらしさを体感した。

 こんなに良い功法をなぜ最後まで修煉しないのか、誰がなんと言おうと私は最後まで修煉すると、このようにして97年から今まで修煉して11年になる。

 今私は「修煉は何事もなく平坦で首尾良くすんなりと、円満成就に向かって行ける道はないと思う。それでは修煉ではなくなる」と思っている。実際、邪悪な妨害や破壊、旧勢力の妨害、これらすべて修煉者として試されている。2001年夏、私達の煉功点の指導員が迫害により世を去った。私の心は急により所を失って、失落した。師父の経文と資料は何も手に入らなくなった、外部とも(私達が辺鄙な田舎に住んでいる)連絡をとれなくなった。どのように対処しよう? 私は修煉をするなら出て行かなければならない、自分で師父の経文と資料を探しに行かなければと思った、すぐに市内へ野菜を買いに出かけた。先生の助けのもとで、私は本当に私が以前知っている修煉者と会えた。そして、彼女は私達に師父の経文と資料を提供してくれる事になった。師父は私達を見捨てたくなくて、このように手配してくださいました。それからの私は、都市と農村の間を往復し始めた。困難は絶えなかったのですが、資料の入手先の問題を解決しました。

 修煉して十数年たちましたが、振り返って見て、どの心も修煉してきれいになくせていない。どうしてまだ常人と同じだろうか、師父は常に、修煉者はトラブルに遭った時、内に向かって修煉し、内に探すようにとおしゃっている。しかし私はトラブルに直面すると他人を見てしまい、いつも自分の修煉を忘れて、自分の心に触れさせないでしっかり守って、誰にも言わせない、言われると不機嫌になる。師父は『オーストラリアの学習者に対する講法』の中で触れた問題はすべて私にあてはまる、私達がしっかりと行っていないため、法を正す事の足を引っ張ってしまった。師父は何度も私達を待って下さった、師父の慈悲により、私達のような意気地のない弟子を捨ててはいない。

 私はここまで書くと、心の底から耐えられなくなって、そして自分に言い聞かせました。「急げ、修煉は厳粛です、早く自分の一つの思い、一つの念、一つの言動まで、修煉者の基準で自分を厳しく律して、どの常人の心もすべて無くしていかなければならなりません。出来て初めて真・善・忍に同化できるのです。特に今は3つの事をしっかりと行って、大事なのは真相を伝える事、人を助ける事。私は恐怖心やどうしたらいいか分らない気持ちが強く、ずっとしっかりとやれなかったのです。自分は勉強が出来なかったし、何か言うのも苦手と思って、見知らぬ人の前では口を開くことすら出来ませんでした。明慧ネットの真相を伝える項目欄で毎回どのように真相を伝えるか、どのようにやるかを紹介しています。本当は学ぼうとすればマスター出来るはずです。うまく出来ない理由はなにか? 実は心性の問題にほかならないのです。心を何処に置いたか、個人のため、自分のための心だったのです。今から私は自分を厳しくチェックし、時間を切り詰めて人を助けて、自分の先史時代からの望みを完成させ、師父と家に帰ります!

 2009年6月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/24/201526.html